第3話 境界線が融けるとき

 久野英美里と別れてから家に着くまでのことを、俺はあまり覚えていない。

 まさに上の空、まさに夢遊病者。


 気がつけば、薄ら寒い自室で、ギアズトリロジーを立ち上げ、コントローラを握っていた。

 

 ゲームの中で俺は「エリア」だ。

 兄を殺された無力さに打ちひしがれながらも復讐を誓い、理不尽な帝国の統治をぶっ壊すために力を蓄えようと決意したばかりの少女だ。


 かねてから騎士の修業がしたいと帝都への留学を父に懇願していたが、女のする仕事では無いと拒否され続けていた。

 

 しかし、もうエリアは止まらない。

 帝国に従う振りをしつつも、同じ反逆の意思を持つ有志を集めようと、固く決意していたのだ。


 とはいえ父は猛反対する。


 なにしろ兄は罪人として死んだ。

 一族と民の平和を守るため父は断腸の思いで兄を捨て、縁を切った。

 それゆえ帝国からは謀反人クロードとは無関係であると認められ、おとがめ無しで済んだ。


 しかし周りの人間はそんなことお構いなしで見てくる。

 そんな状況で帝都に留学してもエリアは「謀反人の妹」として辛い思いをするだけだろう。父はそれが心配なのである。

 兄を失って悲嘆に暮れる父の気持ちがエリアには痛いほどわかったが、やはりここはなんとしてでも帝都に行きたい。

 

 さてどうするか。

 といったところで自由に動けるようになった。

 

「森に行ってみるか……」

 

 ストーリー的には全く繋がりのない行為だが、このゲームを作った開発者のひとりが教えてくれた隠し要素である。

 行けるところまで行ってみようと俺は城を出てみた。


 広大なフィールドを抜けて、小さな町や集落をふたつみっつ通り過ぎる。


 クロードが死んだことでセリフがすべて変わっていた。


 彼が処刑されたという事実に人々は恐れと不安を抱き、かつて皆がエリアに注いでいた「おてんばなお嬢さん」といった微笑ましい眼差しは失せている。


 だれもがよそよそしく、冷たい。


 この人と関わるべきではない、俺たちも殺されてしまうという恐れが、ちょっとした会話からひしひしと伝わる。

 この演出の巧みさ、言葉のセンスこそ、久野英美里という人の凄みなのだとひしひし感じる。


 そして森に辿り着く。

 宝箱はすべて開いており、出てくるモンスターも雑魚だらけ。


 イベントが終わったあとの使用済みダンジョンほど寂しい場所はない。

 ここに潜むモンスターは、もう戦う相手なんか来ることもないのに一生ここで暮らすのかと思うと、なんだか虚しくなってくる。

 

 久野英美里が言った三叉路にやって来た。


 左を行けば城、右を行けば町。斜めを行けば行き止まり。

 親切なメッセージが書かれた立て札の真裏に立ち、まっすぐ歩く。

 

 確かに隠し通路があった。

 どんどん奥に進んでいく。

 不思議と敵が出てこない。

 途中から音が止まる。

 効果音も失せた。

 スピーカーの故障かと思ったけどそうじゃない。この演出は意図的なものだ。

 

 小さな花畑に辿り着いた。

 あたり一面、黄金が混じったオレンジの花で埋め尽くされている。

 これはキンセンカだろうか。


 真ん中に石碑がある。

 触れてみるとメッセージが表示された。


「我は歯車なり。

 人を活かす歯車なり。

 世界を繋ぐ歯車なり。

 

 我は奴隷にあらず。

 血と水で動くだけの機械にあらず。

 命は持てども自由のない生物にあらず。


 この世界を、

 我が兄と、

 兄が愛したすべての人に捧げる」


 これだけである。

 何度ボタンを押してもこのメッセージが流れるだけ。

 レベルそのまま、ステータス変動なし。

 冒険に有利なアイテムを手に入れたとかそういうのもなし。


「うそだろ……?」


 大した苦労があったわけではないけれど、一時間は消費した。

 何と無駄な一時間だろう。


 久野英美里さんよ……。

 いったい何をしたかった?

 何を伝えたかったんだ?


 もっともらしいことを言って、厄介なファンを追っ払ったのか?

 いや、そうじゃない。

 そんなはずはない。


 俺は必死で不信感と闘った。

 あの時間には意味があったと思いたかった。


 今思えば、この葛藤こそが無駄な時間だった。

 俺は、が近づいていたことに全く気づいていなかった。


 振り返ってみても本当に間抜けだ。

 自宅アパートの隣から火の手がゴウゴウと上がり、炎はすでに俺の背後に迫っていた。

 外から大きな声で「火事だ!」と聞こえてくるまで、本当に気づかなかった。


 赤い業火が俺を喰ったのか、白煙が俺の息の根を止めたのか、それはもうわからない。

 ヤバイと思ったときには目の前は真っ暗。

 バタッと倒れて、眠るようにすっと意識が飛んだ。


 あっけなく、俺の一生は終わった。

 地球の、日本という小さな島国における俺の一生は、終わった。


 そして。


「大丈夫か?」


 温かい手が俺の額に触れている。


「目を覚ませ。もう大丈夫だ」


 人を安心させる、包容力のある声。


 うっすら目を開けると、栗色の髪をした美青年がいる。

 吐息を感じるくらい、近くに彼の顔がある。


「あ、あんた……」


 それ以上言葉が出なかった。


 俺は知っている。

 

 彼の名はクロード。

 帝国第三の都市エクリアの主、エルンストの息子。

 

 信じられないけど、どう見てもそうだ。

 

 彼の壮絶な一生を見届けたばかりだ。

 正義を貫いたばかりに処刑された、あのクロードだ。


「マジかよ……」


 起きたことをありのままに伝えるしかない。

 俺は転生した。

 ギアズトリロジーの世界に。

 

 では、誰に?

 もう頭の良い読者なら想像つくかもしれないが……。


「ジェレミー! 帝国市民に対してその態度は何だ!」


 誰かが俺の腕をつかんでクロードから引き剥がす。

 全身に痛みが走って、俺は悲鳴を上げた。


 何があったが知らないが、体全体に怪我を負っているらしい。

 転んだとか、そういうんじゃない。

 きっと暴力を振るわれたんだろう。

 それも日常的に。


 俺はあのジェレミーらしいから。


 ジェレミー。

 あの可哀相なジェレミー。


 無限大に枝分かれするギアズトリロジーの中で、どういうルートを進もうが絶対どこかでひどい目に遭って死んでしまう男。


「おら、クロード様に謝罪しろ!」


 俺は地面に叩きつけられ、渾身の力で顔を踏みつけられた。

 相手はただ踏むだけじゃなく、靴をぐりぐりねじってくる。

 靴底にこびりついた砂がこぼれ落ちては口の中に入ってくる。


 苦い。不味い。そして臭い。

 吐きそうだ……。


「やめろ! そんなこと望んでない!」


 慌てたように叫ぶクロードの声が聞こえた。


「いいやクロード様。こいつにはそろそろ自分の立場を思い知らせなきゃいけません。あなたは市民。こいつは三級奴隷なんですよ」

 

 俺を踏みにじる男が誰かわかった。

 あの町長だ。名前はボルストック。

 

 クロードの目の前で自分の奴隷を殺害し、その後も平然と酒を飲み続けた。

 こいつのクズな部分がクロードにクーデターを決意させたわけだから、物語のきっかけを生んだ重要人物である。


 そう。

 もし俺がジェレミーだとしたら、ヤツに殺されることになる。


 いきなりヤバイ。

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