9.おかしい二人
鍵山たちにコンビニのホットスナックを買い与えて帰らせ、使い物にならないうえに行く当てもなさそうなキバチを担いで事務所に帰り着くと、もう午後三時を過ぎていた。
昼食を食いそびれているが、気分的に疲れすぎて、食欲を感じない。ただ喉が渇いていた。
「今日は最悪続きだ」俺は思わず呟いた。
「そう? でも、成果だけ見れば全部計画通りだけど」オリガは水場の前に並んだボロいソファのひとつにキバチを寝かせながら言った。
「まあ、全面的な敗北ではなくて良かったか。失ったものは体力と気力くらいで」
あと俺はススキにまたいじめられて自尊心が削られた気がするが。あいつの輪郭線を剥がしておかなかったのだけは本当に悔やまれる。
事務所は無人で、所長の大佐戸がいつも使っている机の書類の山の一番上に、チラシの裏紙が置いてあった。
白く光沢のある紙に、ボールペンで俺とオリガ宛てと思われるメッセージが書き殴ってあった。
『来ないので先に行く。
食事と睡眠は各自取ってから来るように。』
思わず溜息が出る。なんだよ、先に行くって。飲み会の待ち合わせか。
そもそも、本来はオリガが大佐戸の特技の発動を目印にして飛ぶはずで、それが上手くいっていれば三時間前にここに着いていたのだ。
「なんかさ、来るはずのものが来ないんだから、何らかのトラブルを疑って助けに来てくれるとか無いのかね」
「まあ、信頼されてるんでしょう」オリガはチラシを手に取り、眼鏡の奥の目を細めた。「睡眠も取って来い、てことは、明日行けばいいのかな」
「昼寝で済ませてさっさと追いつけって意味かも」
しかし、オリガの「飛ぶ」能力が回復しないことには動きづらいのは確かだ。そうなると、現実に苫山へ向かえるのは明日だろう。
なんかムカつくから三日くらい待たせてやりたいが。
「あいつはどうしよう」俺はソファで爆睡しているキバチを見やった。
「連れてくしか無いかな。一人にするとどう動くかわからないし、Nコート側が連れ戻しに来る可能性もあるので」
「確かに……わざわざそうするだけの価値はあるだろうな」
鍵山たちの能力を見て実感できたが、ああいう特技者を意図して増やすことができるなら、Nコートみたいな組織にとっては金の卵を産む鳥だろう。ミニシアターと酒を与えてでも引き留めるのはわかる。
「苫山で何が起きているか聞いた?」
「さあ」オリガは首を傾げた。「何かの抗争と言ってたかな」
「連盟と何か関係あるの?」
「どうなんでしょう」
「うーん。適当だなあ」
「個々の超常災害がどうかというより、そろそろこのエリアがおかしいのかなという気はしてます」
オリガは流しの下の戸棚から缶コーヒーを二本出してきて、片方を俺に渡した。
「このエリア?」
「キバチさんの件を抜きにしても、超常災害や特技者の出現は市内の一定のエリアに集中しているので……誰かが地図にプロットしてたんですけど。市街地から北東部、苫山もそう。海よりは山の方。私が見る次元の歪みも、いつもそこら辺です。だから、何か土地に根ざした原因があるのかなと」
「へえ。土地ねえ……」
こんな可もなく不可もない地方都市に、特別な土地柄があるとは思えないが。特技者を生み出しやすい土地柄ってなんなんだろうか。もしくは、キバチの上位互換みたいな奴がいて、適当に近所の人間ばかりに能力を付与しているとか?
「そういえばさ、オリガはいつから特技が使えるようになった?」
「一昨年の六月四日から」オリガはすぐに答えた。
「細かいな。ああそうか……『記録』か」
オリガが当たり前のように他人の名前や能力を把握したり、過去の出来事に言及しているので、忘れそうになる。こいつの知識は大半が自分で書き残した「引継ぎ資料」の受け売りなのだ。
「コンタクトを作ったら、見え方が変わっちゃって。単に視力が上がったんだと思い込んでたから、だいぶ訳の分からないことになった。結局、コンタクトは体質が合わなくてやめちゃったんだけど」
「コンタクトをやめても特技は残ったのか」
「そう。確かにちょっと不思議かも。というか、一度特技を持った人でそれを失った人っていないはず。使ううちに強くなっていく人はいるけど」
「へえ」
言葉を覚えたり自転車に乗れるようになったりする感覚に近いのだろうか。俺自身、自分の能力についてはわからないことばかりだ。
「でも、だとすると、特技者は増えることはあっても減ることはないんだな」
「そうなりますね」
「そうすると、いつかは社会が崩壊するだろうな」
「社会が崩壊?」
「それこそ交通機関やインフラが破壊されて戻らなくなったり、警察が捕まえられない犯罪者が増え過ぎて、このエリア一帯が無法地帯になるかもしれない」
「そんなことになるかな」オリガは苦笑した。
「なると思うよ。今のところどうにかなってるのは、特技者のコミュニティが狭いからだ。どこの組織がどういう特技者を確保してどんなことをしてるか、だいたい互いに知ってるだろう。お互いに監視し合って、なんとか自浄作用が機能してる。特技者が出現するエリア自体も狭いんだったら、それも良い方向に働いてたのかもしれない……けど人数が増えてきたら、こうは行かないぞ」
「うーん。なるべくこれ以上増えないことを祈るしかない」オリガはあまり深刻に捉えていないような口調だった。
確かに俺たちが悩むようなことじゃないし、今から悩んだって何も変えられるわけではないのだが。
キバチを一人で事務所に残すわけにもいかないので、俺とオリガは缶コーヒーを飲みながらそれぞれ端末を眺めて午後を潰した。俺はともかく、オリガは体力の回復が必要なんだろうし、帰宅して休んだらと勧めてみたが、「帰ってもすることは同じだし」と言ってオリガは空いたソファに寝転んだ。そのままゲームアプリを立ち上げ、くるくると変わる画面をずっと単調に操作している。
俺は誰かのデスクチェアを借りて座り、SNSを眺めたり、テレビ番組の再配信を眺めたりして過ごした。
静かで退屈だが、それくらいで丁度良い。今日はもう十分働いたし、明日も苫山でどんな重労働をさせられるかわかったものじゃない。しかもタダ働き。やる気が出ない。
なんとなく気が緩んでいた。自分たちが相手取っている現象が曲がりなりにも災害だということを忘れて、こっちの都合で適当にスケジュールを組めるようなつもりでいた。少し多めに寝たいから明日は十一時くらいでも良いか、とか考えていたほどだ。
日没頃にふと眠気が襲ってきて、空いたデスクに突っ伏して眠ってしまっていた。
目が覚めたら真っ暗だった。
何度か経験した、目隠しをされて縛られている状態とは違う。単純に部屋が真っ暗だった。
慌てて立ち上がる。本当に視界が黒く塗りつぶされたように暗くて、自分が立っているのかどうかもわからなくなる。
「えっ何? 何?」誰かの慌てふためいた声が近づいてきて、端末の画面の白い光を浴びせられた。
キバチだった。
「え、ちょっとここ、どこ? 何? ほんと何?」
「落ち着けよ」俺はうんざりして言った。「連盟の事務所だよ。お前は飲み過ぎなんだよ」
「はあ? 事務所なわけないだろう!」
「まだ酔ってんのか?」
「酔ってるのはお前だろ!」
キバチが自分の端末をライトモードにして、強い白い光で辺りをぐるりと照らした。
まず、二歩先に床が無かったのでぞっとした。
思わず後退りたくなるが、後ろに床があるという保証もない。
「えっ……ここ、どこ」
「だから僕がそう言ってるだろ。君はバカなのか?」
「はああ?」
こいつにだけは絶対に言われたくない。
頭に来たんでキバチの端末を奪い取ってぐるぐると辺りを照らした。かなり広い空間だ。事務所ではないし、そもそも屋内ではない。高くうねった天井から不揃いな岩の柱が垂れ下がり、足元も同じように起伏の富んだ床に、無数の岩の柱が生えている。
大まかな印象としては、鍾乳洞と呼ばれるような場所に近いが。
「これ……超常災害、だよな」
どこが、とははっきり言えないが、岩肌の質感や辺りを流れる空気のにおいには不穏な偽物っぽさがあった。事務所から移動した覚えがないまま急に放り込まれている状況も合わせると、ここにあるものが通常の次元に属するものだとは思えない。
「オリガは? いるのか?」
一応、声を張り上げてみるが、返事はない。
まあ、そうだと思ったよ。あいつマジで肝心なときにいないな。
「もう嫌だ」キバチはその場に座り込んで頭を抱えていた。「なんで僕ばっかり。頭いってえし」
「いや、それは酒のせいだろ。自分のせい」
「うるせー! あと僕が持ってきた酒はどこだよ? 一本まだ開けてなかったよな?」
「ああ……お前が握りしめて放さなかったやつな。事務所の冷蔵庫に入れたと思うけど」
「その冷蔵庫はどこだよ?」
「いや、知らんて」
「もう、ほんとさ、なんてことしてくれたんだよ?」
「いや、俺じゃないって」
なにこれ、本当に。俺の週末はどうなってるんだ。
災害に昼も夜も週末も無いってことを忘れていた。苫山でトラブルが起きているからといって、他の場所で何も起きないという保証など無いことも。
「ほらもう、立ってくれよ。ここで座り込んでても仕方ないだろ」俺はキバチの腕を取って引っ張った。
「もう嫌だ」キバチは駄々をこねる子供みたいに首を振った。
「そう落ち込むなよ。良かったじゃないか、ここにいたら当分働かなくて済む」
「そういうことじゃないよ! 君は何言ってんだよ?」
「夢だったんだろ、働かなくていい暮らし。今まさにそれが叶ってるぞ」
「ほんとに何言ってんの?」キバチは絶望的な顔でこちらを見上げた。
実はそこまでの危機感は無かった。俺にはオリガがいる。しばらく時間を潰してオリガの体力の回復を待ってから、俺の特技でここにあるもの全ての輪郭線を剥がせば、オリガはその次元の歪みを目印に飛んでくるはずだ。だから、ここがどこであろうと俺は確実に脱出できる。
問題はその待ち時間を、目の前のこの男と過ごさなきゃいけないってことだけで。
「もうほら……機嫌を治せよ。酒くらい、探せばあるかもしれないだろ。探しに行こう」
「もうあり得ない。ここがあり得ないし、君が一番あり得ないわ」
「もっとポジティブに考えろ」
「ポジティブの意味、わかってる?」
とりあえず充電を節約するため、ライトの光量を最小限に絞ってから、足場の良さそうな方向へ足を進めてみる。
キバチは悪態を吐きながら追ってきた。「こら、それ、僕の端末! 返せ」
「お、ポジティブになったか」
「何がポジティブだ。腹立つ奴だな」
「とりあえず酒が入った冷蔵庫を探せばいいんだよな」
「あるわけないだろ、どんだけ馬鹿にしてるんだよ?」
しかし数分歩くとそれはあった。
なんとなく見覚えのある小型の冷蔵庫が、岩の柱の隙間にねじ込まれるように収まっていた。
ドアを開けると普通に中の明かりがついて、酎ハイの缶が横倒しになって入っているのが見えた。
「ほら」と俺は言った。
「え、なんの『ほら』なの、それは……」キバチは青褪めた顔で低く呟いた。「なんなんだ、これ……」
「だからこれは普通の次元の現象じゃないんだって。こんな感じなら案外オリガもその辺に埋もれてるのかも。ソファはどこ行ったのかな」
「ちょっと意味がわからない……吐きそう」
「え、吐くんなら流しを見つけてそこで吐いてくれない? 冷蔵庫の左だったはずなんだけど」
「無理、無理、ほんとにキモい」
「せっかく念願の酒を見つけたのに。飲まないのか?」
「今、全然、そんな気分じゃないよ。君たちはほんとに頭がおかしいな」
「え、なに、『たち』って。俺以外も入ってるの?」
「そう、もう一人もおかしい。二人ともおかしいと思う」
「うーん。確かにあいつはおかしいからな」
俺は思わず笑いながら、酎ハイの缶を取り出して冷蔵庫のドアを閉めた。
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