2.新たな特技者
モノレール駅の騒ぎから三日後、またオリガから連絡が入った。テキストメールだ。
『お仕事中だと思うのでそれが終わってからでいいです。今晩一件、出動の依頼があると思ってて下さい』
もともと、本業に差し支えない範囲で出動するという約束だ。これは俺のというよりオリガの方針だった。だから前回みたいに夜か、休日の出動がほとんどになる。
それはいいんだが、昼間からこんな連絡が来ると気が散ってしょうがない。
昼休みが終わったばかりだった。定時まで五時間はある。オリガに状況を聞きたかったが、聞くとますます気が散るだろう。どうせ何も手に付かないんだから体調が悪くなったとか言って早退してしまいたいが……出動を理由に仕事をサボるとオリガが滅茶苦茶怒るし。実際、俺がオリガの立場でもそれは困るだろうし、分かっちゃいるけど。
転職したてだから、俺も職場側も様子見という段階で、指示されたことをこなすという単純な仕事しかしていない。要するに俺がしなければいけない仕事ではないのだ。今まで俺という存在無しで回っていた職場なのだから、当然ではある。
引き換え、出動依頼のほうは俺にしかできないことも多い。オリガ自身の特技は「見る」「見つける」ことに特化していて、戦闘力は皆無だ。俺が出動できないときは主に
こうした問題に直面すると、Nコートやカンナ中央ネットが新規の特技者の確保に躍起になるのも少し分かってくる。個々の特技の使い道や汎用性にはかなり振れ幅があって、俺みたいに何でも壊せるとか、誰とでも戦えるとかいった能力は珍しいらしい。それに、能力自体が金を産むケースは少ないので、生活の為には何かしらの本業や財源を持つ必要がある。その上で適材適所を実現し、更に過剰な労働にならないように休憩や休日も確保し……となると、結局それなりに大きな組織にならざるを得ず、常に追加の人手は欲しいわけだ。
「ヒナモトさん、どう?」
上の空でぼんやりとパソコンの画面を眺めていると、指導役の
喫煙所で一服してきたらしく、全身から煙草のにおいがした。一服というか五、六服くらいしてそうだ。そこそこ高そうなスーツなのに、何か勿体ないようにも思える。
「ああー、そうですね、まあまあ……」俺は返事というよりは無意味な鳴き声みたいなものを口にしながら、必死で思考を仕事に戻そうとした。
「へえー、すごい早いじゃん。さすが」小岩井は画面上で編集し掛けたまま止まっているデータを眺めて、頷いた。「さすがさすが。ヒナモトさんはプログラミングとかもできる人だもんね。や、でもこんなに早いと思わなかった。ラッキー」
「ラッキーですか」俺は適当に愛想笑いを浮かべた。
「ラッキーだよ、自分の手間が減るもんね。ははは。もう少し頼んじゃおっかな」
「あのう、俺、実は今日ちょっと定時で上がりたくて……」
「あ、いやいや、今日中じゃなくてさ。もちろん今日中なら超助かるんだけど、いや、明日とかでいいよ全然」
「すみません」
「いやいや謝るなって。定時に上がるのは別に、犯罪とかじゃないから。うちそんなブラック企業じゃないって。え、これパワハラとかじゃないからね? え、パワハラになってないよね?」
「いえいえ……」
小岩井は俺と同い年らしく、既にちょっとした役職も付いていて有望な若手らしい。俺のことは部下として扱うか、将来のライバル候補としてマークするか、まだ決めかねているといった様子だ。
俺としては、ぜひともモブキャラの下っ端奴隷として忘れ去って欲しいところだが。しかし入社したばかりで早速やる気のない態度を前面に出しすぎるのも問題だろうし。
結局、「明日まででいいから」と小岩井が追加してくれた仕事が結構複雑で、夕方まで小休止する暇もなく取り組むことになった。
定時退社して外に出ると、まだ空は明るいのに風はかなり冷え込んでいた。どうにも今年の春は春らしくない。オリガにメッセージを送り、最寄駅で合流した。
「ちょっとまずいことになりまし……なってて」
オリガの表情は固かった。声も冷たく緊張している。
スーツにごついスポーツシューズというチグハグな格好に突っ込みたかったが、そういう雰囲気ではなさそうだ。
電車に乗るのかと思ったが、オリガはバスプールの隅のタクシー乗場に向かった。後部席に並んで入る。
運転手に「
「急ぎなら、切り上げたのに」俺は言ったが、オリガは小さく頷くだけだった。運転手に聞かれるのを警戒しているのかもしれない。
日が暮れたばかりの大通りは混んでいた。先ほど一雨来たばかりらしく、道路が濡れている。前の車のタイヤが踏んだ水気が明かりを反射してギラつくのを、俺はぼんやりと眺めた。
湊沢駅はモノレールの終点駅のひとつだった。北側で二股に分かれた路線のうち片方の端で、小さな工業港と公園広場に繋がっていた。
タクシーを降りたオリガは、俺が何か聞く前にモノレール駅を指差した。
湊沢駅は先日の
ビルの窓やら開口部から、白い吹き流しのような触手が勢いよく飛び出して蠢いていた。
前回も聞いた不快な高音が耳にまとわりついた。
「また同じのか? 相変わらずキモいな」
「モトちゃん、」
「分かってる分かってる。今日は壊さないようにするよ」
「それもそうなんですけど、この後二箇所あって」
「は?」
「今日、ここと二玉駅と、
「ええー」
三条通駅もモノレールの終点のひとつだ。二玉駅の先で二股に分かれた線路の、一方の終点がここ、湊沢駅。そしてもう一方の終点が三条通駅だった。
「なんでそんな同時多発的なの? しかも絶妙に場所が離れてるな……」
「すみません。モトちゃんに一報を入れたときは二玉駅だけだったんですけど。数時間の間に増えちゃって……」
「それを連絡くれよ」
「どうしようかなと思ってるうちにもう夕方だったんで。連盟本部もバタバタしてますよ。二玉駅には皆川君も向かってくれたはず」
「なんなんだろうな。モノレールの線路全体に何かあるのかね……」
今までに対応した「災害」はどれも、現れてそこを(一部の人間にしか知覚できない形で)占拠するだけで、片付ければそれで終わりだった。しつこい吹出物のように再発したり増えたりするものは初めてだ。
とりあえず「立入禁止」と書かれた工事用の衝立の隙間から駅ビルに入った。
前回見たのと同じ、灰色の象の足のような物体の無限コピーが改札の向こうを埋めていた。夕食前のせいか、空腹感が胃の不快感に変わってムカムカする。
前と同じ方法で攻略することにして、床のタイルの継ぎ目から剥がしていく。前回は改札機を一つぶっ壊してしまったんだっけ。今回は駅員詰所の前の手動改札の方から剥がしてみた。詰所の窓枠が消えてガラス板が落ちてしまったが、前よりは被害額が低いだろう。
剥がした輪郭線は灰色の化け物の輪郭に上手く繋がり、連鎖的に消えていく。
前回のように早く引っ張りすぎて駅を壊さないように、手元に注意しながら少しずつ線を手繰り、足を進める。改札の奥へ、そこから階段を上ってホームへ。
注意していたのに、階段の手摺りを消してしまった。だがそれ以外は概ね成功だった。気付くと俺は何もない、誰もいないモノレール駅のホームに立っていた。
オリガが付いてきていないことに気付いたのは、それから数秒後だった。
いつから?
普段に比べて小言が少ない、というかほとんど無かった……それは、俺が輪郭線を剥がすスピードをコントロールできているからだと思っていた。しかし思い返してみれば、駅に入って以降あいつと言葉を交わしていない。
端末にメッセージが入っていないか確認しようとしたとき、
「おい!」と声が掛かった。
振り向くと、変わったデザインのパーカーを着た小柄な男が、ホームの端の方から近付いてきた。
三日前の騒ぎの時にもいた、自称妻子持ちの少年だ。いや、妻子の話は結局ジョークだったのか。しかし年齢的には、無いとも言い切れないんだよな。
「また会ったな」少年は変な形の二股に分かれたチャックを上げ下げしながら、スタスタ歩いて行く。
俺に用があるわけではないらしく、目を逸らし素通りして階段に向かう。
「いや、待てよ」俺は彼の半歩後ろに並び、一緒に階段を下り始めた。
「なんだよ、付いてくんなよ」
「なんで」
「しつこいんだよ」
「なんで、また現場にいるの? お前、特技者……だよな」
「トクギシャ?」
「何かの特殊能力を使っただろ? ここでも、前に会ったあの駅でも」
「知らない」
「知らなくはないだろう。こんな偶然があるわけない」
「偶然だよ」少年はイライラした手付きでパーカーのチャックを下げ、また上げた。
二股に分かれた不思議な形のチャックが両方とも開き、真ん中の三角形の布がぺろりと外れそうになる。
その途端、頭を締め付けるような高音のノイズが耳を襲った。
「えっ」
下りかけていた階段の上を振り返る。ホームに白い吹き流しのようなものが大量に蠢いていた。
「おっ……待っ……」
足を早めて下りて行こうとする少年の前に回り込んだ。
少年は嫌そうな顔で足を止めた。「何?」
「お前がやった? 今?」
「知らねえよ」
「そのチャックが発動のトリガーなのか」
「はあ? これ?」少年はわざとらしくまたチャックを上下させた。
頭痛を誘う高音ノイズは少年の手の動きに合わせて強まったり弱まったりした。
ぐらり、ぐらり、と。二股になったチャックが開いて、その間を埋める三角形の布が外れそうになるたびに。
チャックの描くY字には既視感がある。最近こんな形を観たような。
地図……いや、正確には、モノレールの路線図だ。
「まさか……」
「ねえ、もう行っていい?」少年は俺を押しのけて残りの階段を下りようとする。
「待て。お前……」言葉が、見つからない。こういう現象を、なんと言うのだろう?「そのチャックが、モノレールの線路に対応してるのか? 一体どういう……」
「いや、知らねえよ。そんなことあるわけないじゃん? 何言ってんの?」少年は早口で畳み掛けるように言った。
「そこが湊沢駅」俺は少年の首元を指差した。「そのチャックの一つ目の端。あと二箇所、騒ぎが起きてるのは三条通駅と二玉駅。チャックのもう一方の端と、二股に分かれる分岐点」
「そんなはずがない。俺はこれ、そこら辺で買った服だぞ。同じもの着てる奴はいくらでもいる」
「でもお前は特殊技能が発現してるから」
「そんなものねえよ。俺はフツーの人間だ」
「俺だってそうだったよ、去年まで。特技は急に発現するんだ。だからそれに戸惑って孤立する人が多くて。そのために連盟というものが……」
「いや、知らん! 知らないから! 関わりたくないよオメーと」
「じゃあなぜここに来たんだよ」
少年が今にも逃げていきそうなので、俺はその腕を掴んだ。
あれ、これって大丈夫だよな。「痴漢!」とか言われないよな? もし言われたところで、今この駅には他に誰もいないが……オリガは本当にどこ行ったんだか。
腕を振り払われるか、すごく嫌な顔でもされるかと思ったが、意外にも少年はほとんど抵抗せず俺を見返した。
不安はあっただろう。訳のわからなさ、先の見えなさ、誰とも共有できそうにない悩み。
俺が去年、経験したばかりのものだ。
「自分の能力を確かめに来たんだな。今日も、前回も。もしかするとずっとあちこちの駅をチェックしながら、小出しに能力を使っていた?」
「なぜそんなこと……」
「俺ならそうするからだ」
「………」
少年はちょっといじけた様な顔付きになり、ジトッと俺を睨んだ。
「あれを引っ込めることは?」俺は階段の上に蠢いている白い吹き流しの大群を振り返った。
「さあね」
「おい! 真面目に答えろ」
「もう放してくれない? 帰りたいんだけど」
「自分が何してるのか分かってるのか? 交通機関を止めてるんだぞ。単なる悪戯とは規模が違う。どれだけの人を足止めして影響を与えてるか……」
「はー? 説教? 今?」
「とにかく連盟の保護を受けてくれ。あのモジャモジャは、お前は出せるけど消せないんだな?」
「え? 消したら幾らくれる?」
このクソガキ……。
俺は無言で財布を開けた。だいたいの支払いは端末の電子決済で済ませてしまうが、非常用に一応入れている現金があった。
一万円札を取り出して少年に押し付ける。「ほら、さっさと消せ」
「へえ」少年の目がちょっと大きくなった。「そんな簡単に払うんだ。意外と金持ち?」
「大人を舐めるな」
少年は不承不承という顔でチャックを上下させ、二股に分かれた部分を両方とも閉めた。
頭を締め付ける様な異音が止んだ。ホーム階の白い吹き流しも、霧散して搔き消えた。
起こした異変を取り消すことができる、可逆タイプの特技か。俺みたいな不可逆な特技を持つ者にとっては、羨ましい性質だ。使い道が見つかれば有能そうなんだが、まず本人が改心すればの話だな……。
俺は端末のメッセージ機能を開いた。
『三条通駅→二玉駅お願いします』と、オリガからメッセージが入っていた。
「一人で行けってことか?」思わずつぶやいた。
何か急用が入ったか。別にあいつに居てもらって役に立ったことは無いが、居ないとなると実はかなり不安だった。俺はあいつの言う次元の歪みとやらを感知できないので、常に能力の暴走と隣り合わせらしい。だからお目付役にオリガを必ず付けろと、所長からは厳命されている。それに、俺が個人的に不安なのはNコートやカンナ中央ネットなどの他組織だった。俺は今までに二度、誘拐されている。背後からの急襲には弱い。オリガは他の特技者の接近を次元の歪みによって感知できるので、番犬としては優秀だ。
「帰っていい?」少年はうんざりした顔でこちらを睨んでいた。
「名前は?」と俺は聞いた。
「鈴木」
「免許証か保険証」
「無い」
「学生証は?」
「おい、こんなの犯罪だぞ」少年は半歩下がった。「いきなり捕まえて、身分証出せって?」
「電車を止める方が犯罪だぞ。ごちゃごちゃ言える立場なのかよ。さっさとしろ」
少年が渋々差し出した免許証には、「鍵山 星青」という名が記されていた。何が鈴木だ、と思ったが指摘するのも面倒だった。俺は無言でその免許証を端末のカメラで撮影した。
「おい、なんで、個人情報……」
「連盟から後日連絡する。帰っていいよ」
「は? ほんとになんなんだよ」
「交通機関の運行妨害テロ犯として警察に突き出されないだけありがたく思え。お前の能力はかなり強そうだから、連盟がなんとかしてくれる。じゃ俺は忙しいんでこれで」
この鍵山という少年が自分の起こした異常をちゃんと取り消したのなら、三条通駅と二玉駅の「災害」も既に収まっているはずだ。しかし一度足を運んで確認は必要だろう。
駅の建物を後にし、タクシープール兼ロータリーになっている広場に出る。小雨がまた降り始めていて、夜の潮風は冷え込んでいた。
広場の隅にいたタクシーに乗り込もうとすると、鍵山も憮然とした顔で付いてきていた。
「何、お前も来るの?」
「だって、モノレール止まってるし」
「すぐに再開するだろう」
「それまで駅で待てってこと?」
自分で止めておいて何を言ってるんだか、と思ったが、少年が思ったよりも不安げな顔をしているのでなんだか可哀想になった。
さきほど見た免許証の生年月日を思い返し、計算する。十九歳。自分が十九のときこんな感じだっただろうか。それほど昔のことではないはずなのに、記憶は朧げだった。
開けっ放しのタクシーの後部ドアから雨混じりの風が吹き込んでいて、運転手は嫌そうな顔でこちらを窺っている。
「わかった、とりあえず乗れ」俺は自分が先に乗り込んで、鍵山を促した。
「どこ行くの?」
「三条通駅にお願いします」俺は鍵山を無視して運転手に告げた。
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