4.楽な仕事、怖い上司
最初の依頼は、駅の改札前に二時間ほど立っていろ、というものだった。その後も数度、そういう依頼が続いた。指定される駅は毎回まちまちで、時間も長かったり短かったりした。さすがに四時間以上になると、大怪我とその後の療養で鈍った身体にはキツかったが、日当はそこそこ良かった。連絡が付くようにさえしていれば手元で動画を見ていても良いし、近くにベンチがあれば他人の邪魔にならない範囲で座って休んでも良いとのことだったので、接客のアルバイトなどするよりはずっと楽だった。
そのうち、途中で別な駅へ移動するように言われたり、服装の特徴を事前に知らせろと言われたり、細かな注文が付くようになった。それも言われた通りこなしていると、やがて依頼はある駅で誰かから荷物を受け取り、それを別な駅で別な人物に渡す、といったものになった。
ほとんどが書類サイズの封筒か、手土産を入れるような感じの紙袋だった。封筒も紙袋も、いつも封がされておらず、いかにも無造作だった。きっとまた試されているのだろうと思って、俺は意地でも中身を見なかった。
自分の「特殊技能」を使うような機会は無かった。妨害に遭ったり尾行されたり職務質問をされたりはしなかった。会社勤めのときよりはだいぶ収入が減ったが、どうにか質素な暮らしを賄う程度の金額はもらえた。時間的には前職の半分も働いてないのに、それだけ貰えるのだから、やはりかなり破格のアルバイトだ。
たまに、明日の始発で、とか、今夜、などと急な依頼が来ることもあった。都合が付かなければ断って良いことになっていたが、引き受けると普段より割増で金が貰えるので、俺には有難かった。
あっという間に冬が来た。傷の違和感はほぼなくなった。たまにどうにも腕が怠くてしんどい日はあったが、医者に言われた通りなるべく動かすようにした。寒々しい駅構内で長時間待つ仕事に耐えるため、俺はいつもの冬よりも防寒具に気を遣った。手袋、耳当て、コート、ブーツ。着膨れた男が改札前なんかに長時間立っていると不審者っぽくなりそうで、なるべくすっきりしたデザインでなおかつ暖かいもの、と探すと、急に値段が跳ね上がる。それに充電式のカイロなんかを幾つか買ったら、だいぶ貯金が削れた。
安定した暮らしとは言い難い。でも、今すぐ困るような暮らしでもない。家でぐうたらしている時間が長いと、身体のリズムもそういう生活に適応してしまい、今さら会社勤めに戻れる自信もなくなってきた。
もう、これくらいでもいいかな。贅沢な生活に興味はないし、結婚する気もないし。
傷が癒えて身体が軽くなるのと対照的に、気分はもったりと重く鈍くなっていった。かといって、全てを拒否して引き篭もるといった負の行動力が湧くでもなく、ひたすら何も考えず流されるままでいたかった。俺はゆっくりと、底無しの緩慢な無気力に飲まれていった。
年末の喧騒が過ぎ去り冷え込みが一段と増す頃、初めて組織の事務所に呼び出された。
それまで、組織の拠点の場所を知らされていなかったし、自分がそこに呼ばれるとも考えていなかった。テキストメッセージで知らされた路線に乗り、電車で移動する間はぼんやりとしていたが、いよいよ目的地が近付いてくると一歩ごとに腹の痛みが増し、変な汗が出て、寒さはまったく感じなくなった。
また痛い目に遭わされるんじゃなかろうか。俺は真面目に依頼をこなしているし、一切の反抗をせず組織に服従する気満々なのに。
小ぢんまりとした新しめのオフィスビルの、七階だった。フロントは無人で、メッセージの指示通りにある一室へ入ると、拍子抜けするほど普通の会議室みたいな部屋だった。組み合わせると楕円形のドーナツのようになる机の周りに、重ねて片付けられる簡素な椅子が一定間隔で置かれている。部屋の正面奥には電子ホワイトボード。空調は切られていて寒かったが、清潔で手入れの行き届いた部屋だった。
「はいお待たせしました」
俺のすぐ後ろからパンツスーツの女が入ってきた。ショートカットの黒髪、きりりとした眉が目立つ、三十代くらいだろうか。美人でも不美人でもない。どこにでもよくいそうな仕事人という感じだ。
その女が楕円の片側の席に座り、向かいに俺を座らせてから、「こうしてちゃんと会うのは初めてだネェ」と言ったとき、あのスピーカー越しにさんざん罵倒してきた声の主がこの女だと知った。
男だと思い込んでいたので、軽薄でチャラチャラした声だと感じていたが、面と向かって聞いてみると女にしては低く湿った声だ。
「よく来てくれたネ。あんなに怯えてたから、呼んでも来ないかと思ったヨ。それとも呼び出しに応じなきゃ殺されると思ったかな?」
「ええ……はあ」
俺はここ数ヶ月の自分の心境の変化やら、相手が女だと思わなくてびっくりしたことやら、色々なことが一気に頭に浮かんできてモゴモゴと曖昧な声を出した。
「ヒナモト君、だったネ。私はススキと言う。佐々木の『佐』を、アメリカの何とか州の州っていう字に変える。それで
「ええ……だいぶ、慣れたと思います」と俺は言った。
「君はすごく熱心だし真面目で助かってるヨ。この仕事について質問とか、困ってることとか、何か言っておきたいことはある?」
「いえ……特には」
「そう? ほんとに?」
「何を運ばされているのかは、少し気になりますが」
「だよネ」
「ヤバいものを運ばされてるのなら、それなりにこちらも気をつけることがありますし。でも内容が分からないと何に気をつければ良いのか……」
「実を言うとネ、ヤバいものなんてないヨ。そんなもの運ばされちゃ堪ったもんじゃないからネェ。いつも封がされてないデショ。誰でも中身が見放題。その状態でもいい、っていうお話しか引き受けないからネ、うちは。犯罪に加担させられないための自衛策だネ」
「えっと……それはどういう」
「だいたいは、急ぎの書類を郵便より早く届けたいとか、そういった話がほとんどかな? 手土産としてお菓子とか付けたいとなると、封筒じゃなく紙袋になる。依頼主は企業だったり自営業の一人社長だったり、単にサラリーマンの個人依頼だったり。封をしない約束だから、さほど重大なものは頼まれない。ご挨拶やダイレクトメールみたいな配達が多くなるネ。こっそり中身を確認したことない?」
「いいえ。見たら殺されるかと」
「まあそうデショ、相変わらずだネェ」ススキはにやりと大きく口角を上げた。「君はすごく律儀にこなすし一ミリもサボらないと我々のあいだでは評判だヨ。どう? 慣れてきたのならもう少し重要度の高い仕事も回せるけど、やる気ある?」
ここは迷うべきなのかもしれない、と俺は思ったが、躊躇いの気持ちは特に湧いてこなかった。頭がぼうっとして、危機感も判断力も働かない。
「はい。やります」と俺は言った。
「いいネ。素直な子は良いと思うヨ。元気そうだし相変わらずみたいで安心したヨ。そしたら今後は今まで通りの仕事に加えて、配達を依頼してきた人のところへ荷物を取りに上がる、つまり『集荷』をときどき頼むからネ。今までの仕事で君に荷物を渡してきた人たちがいたと思うけど、今度は君がその人たちの立場になる。集荷し、駅で別な仲間に引き渡す。あと逆もやってもらおうかな、駅で荷物を引き受けてきて、依頼者が指定した宛先へ届ける。お客さんと接する仕事になるからネ、まあでもチェック項目をチェックしてサインもらうだけだから、ごくごく機械的な作業だヨ。後で接客マニュアル送るから。どう、大丈夫そう? ま、ヒナモト君は元々仕事してたし全然問題ないでショ」
「あの、この……組織? 会社? は、全体としては何をしてるところなんでしょうか」
俺はオリガの言ってたことを思い出しながら、恐る恐る聞いた。
「ウーン、金だね」ススキはきっぱり言った。
「はあ……前も確かそのように」
「表の事業はこういう、配達業とか、あと立看板のリースとか、ポスター広告の斡旋、仲介。変なところでは、畑持って花作って売ったりもしてる」
「花?」
「そう、花。花束にする用のネ。なんとかっていう品種……忘れちゃったけど。花束に使う花にも流行ってあるらしくてネェ。よく分からん世界だがニッチ産業っていうやつだヨ。そういうのもやってる。まァ、金になりそうなら何でもやってみてるってことだヨ」
「はあ……」
「裏稼業は、もちろん、君のような能力者の確保と統率だ。最初に会ったときも言ったネ。常に人材の取り合いだヨ。うちは表の稼業できっちり経済基盤を持ってるから、強いヨォ。給料が出せるもん。君だってなんやかんやでうちに忠誠を尽くしてくれるのは、金が出るからだろ?」
「まあ、そうですが」
「能力者を囲ってどうするかというと、もっと金が欲しい。大規模な金儲けのためには、権力にもパイプが欲しい。もっと儲けられれば、もっとたくさん、強力な能力者を囲える。そうしたらもっともっと儲けられる。馬鹿みたいな言い分だけどネェ、結局、もっと儲けるためにこそ、もっと儲けたい。大きくなるために、大きくなりたい。個人の成長には限界があるが、組織というのは無限に育つものだ、育て方さえ良ければネ。ロマンがあるよネェ? まァ、君にはピンと来ないだろうけど」
ピンとは来ない。あんまり理解したい気もしない。
「俺の能力は、ここで働く中で、活用する機会はあるんでしょうか」
「ウン、そのうち必ずあると思うヨ、それはネ」
「でも、何のために?」
「ソウネー」ススキはなんとも言えない曖昧な笑みを浮かべた。「君のその能力、明らかに戦闘向きじゃなくて暗殺向きなんだヨネー。応用も効きにくい。だから何のためにっつうと、ニッチな需要のために、ってことだネ。必要なときは必ず来る、ただそれがいつどういうタイミングで何なのかは、事前にお知らせしづらい」
「敵をこの力で……倒すというか俺の場合、記憶を消すということになりますが、そうしろという依頼は今後あるかもしれないという……?」
「どうだろうネ。あるかも知れないネ。でもネェ、人を殺したり記憶消したりするのだって、それで直接儲かるかっていうとあんまり儲からないからネェ。むしろ間接的には損害が大きいかもしれない。敵でも味方でも、人が欠けるってのはビジネスの観点から言えば損失だヨ。ほとんどの場合はネ。だからあんまり分かりやすく、あいつがうちの敵だから殺してこい、なんてことにはならないだろうネ。まァ、絶対無いとも言えないけど。それよりも、忘れたいと望む人の記憶を消してあげる、なんて仕事のほうがずっとありそうだネ。今後ネ。相手が望むことを引き受けるような仕事の方がいい。そういうもののほうが儲かるからネ。まァ、どうなるかはまだ分からない。私一人で決めることでもない。上の意向も待たなければ。いずれにしろ今後もヒナモト君に振ってく依頼の内容はちょっとずつ種類が増えるし、幅も広がると思ってて欲しい。もちろんそれらは強制じゃなくて、あくまでも依頼だヨ。受けるか受けないかの決定権は君にある。しかし我々がかなり多めに金を払ってでも君を囲っておきたいと思ってる、ってことは、理解してて欲しいネ。何事もタダではないし、金を掛けるからにはそこに理由と目的があるんだヨネ」
脅すような口調ではぜんぜんなかったが、言い知れぬプレッシャーを感じた。実際俺は大した仕事をしてない割には貰いすぎている、と感じる。そういう「投資」をした分、きっちり利益は回収するのが、この組織の方向性なのだろう。となると、このまま貰うものだけ貰ってバックレというわけにはとても行かなそうだ。
「ほら、また怯えた顔をしている」ススキはニヤリと笑った。「本当に小心者だネ、君は。その指先一つで何でもできるんじゃないのかネ。なぜそんなにオドオドする?」
そりゃオドオドはするだろう。俺は死ぬほど痛い目に遭わされたのに。こいつにとっては冗談半分の遊びだったのかもしれないが。
人の腕と脚をぶっ刺しておいてその後も仕事を頼んだり事務所に呼び付けたりするのが、まずおかしいが、それを言うならそんなことされても真面目に働いたりノコノコと呼び出しに応じる俺もおかしい。全部、何もかもがおかしい状況で、一部分だけ常識的なことを求められてもな。
結局、今後の依頼やマニュアルについては追って連絡すると言われ、なぜか一口サイズのチョコレートを三個渡されて帰された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます