君の鼓動はスケルツォ

雪待ハル

君の鼓動はスケルツォ




厚手のウェットシートで床を丁寧に拭く。そうするとそれまで見えなかった埃が固まりとなって現れる。

それを掃除機で吸う。ガンガン吸う。

そうして床がぴかぴかになる。

トイレ掃除の話である。


「さてと、じゃあ掃除機出したついでに衣類乾燥機のフィルターも掃除しちゃいましょうかね」


そうして山本奈央の家事は続く。











奈央はそれなりに体力がある方だが、やはりあれこれ家中の家事をすると疲れる。


「あーっ、終わった・・・」


ベッドにぐったりと横になる。

頑張った。わたしは頑張ったぞ。

疲労感と達成感を両方感じながら目を閉じる。

すると、頭をぽんぽんと優しく撫でられた。


「おつかれー」


「ん・・」


うつ伏せていた顔を上げるとそこには片手に大鎌を持って黒いフード付きマントをまとった骸骨がいる。

骸骨なのに微笑んでいると分かる。


「これでもう思い残す事はないね?」


「あるわッ!!」


奈央は跳ね起きてぴしゃりと言った。笑顔で何てこと言いやがるこいつ。

ベッドの上で胡座をかいて、骸骨を睨みつける。


「あのねえ、わたしは死ぬつもりは毛頭ないから。100歳まで生きるって決めてるから」


「ええー。そんなつれない事言わないでよー」


骸骨は奈央の言葉にしょんぼりとうなだれる。そんな様子はユーモラスだが、油断してはいけない。

こいつは自分の命を奪いに来た死神なのだから。


「私は奈央にひとめぼれしちゃったから、どうしても貴女の魂を刈り取りたいワケ」


「そっちの事情は知りません。いい加減出てってくれない?」


「やだー!!ぜったいやだー!!奈央の魂欲しいー!!」


黒衣の骸骨は両手でしっかり大鎌を握りしめながらいやいやと身をよじらせる。

奈央はその姿をげんなり顔で眺めた。こいつ・・・。


「ご飯食べる。邪魔しないでよね」


しばらくベッドでごろごろしている予定だったが、騒がしい同居人(?)のせいで落ち着いて休めやしないからさっさと昼食を済ます事にした。


「うん?ご飯?そっか、分かった」


ベッドから立ち上がる奈央を見て骸骨はすっと大人しくなる。

マイペースに見えて、意外と空気を読む骸骨だな。そんな事を思いながら台所へ移動し、冷凍庫から食パンを取り出した奈央だった。
















「ねえ、毎日辛くない?私なら貴女を楽にしてあげられる。ねえ奈央」


初対面でこう言い放った骸骨。

あの日は仕事が残業になり、帰りが遅くなった夜だった。

ふらふらになりながら帰宅して玄関のドアを開けたらそいつが廊下にのっそりと立っていた。

骸骨である。どう見ても人間ではない。その上不法侵入。

だがしかし、残業で限界まで思考に回すエネルギーを使いきっていた奈央は恐れるのではなく、その場で感情を爆発させた。


「やかましい。これはわたしが自分で選んだ道だ」


彼女の“爆発”はただ静かだった。

その時刻が夜中だったというのもあるし、彼女が疲れきっていたのもあるが、他人相手に怒鳴っても仕方がないと思ったのだった。

基本、山本奈央は「他人に怒ったって仕方がない」「他人に期待したって仕方がない」という思考で生きている。

その彼女が数年ぶりに感情を爆発させた結果が、この静かな怒りだった。

その言葉を聞いた骸骨はちょっと首を傾げ――――「そう」と頷いた。


「分かった。じゃあ貴女が限界になった時、他の奴らに貴女が奪われないようにそばで見てるね」


骸骨は彼のみが納得する理論で、その時から奈央のそばに背後霊よろしくついて来るようになったのだった。
















「んー。やっぱピザトーストおいしー」


奈央が幸福そうにパンを頬張っている姿を、そばで骸骨は見ている。

彼女が椅子に座って食事する時は、彼も向かいの椅子に腰かけて大人しくしている。

始めの頃は黙って見られるのはいやだなあと思っていたが、最近は慣れて、気にならなくなった。

彼は奈央が「出てけ」と言っても「いやだ」と返して頑として動こうとしない。

困った存在ではあるが、彼がいる事で特に生活に支障は出なかったので、こうして謎の同居人として居続けて今に至る。

事あるごとに「貴女が望むなら、終わらせてあげる」と選択肢に“死”を紛れ込ませるが、骸骨が“死”を強制してきた事はなかった。

それ故、奈央はなんだかんだ言いつつも彼の存在を受け入れていたのだった。


(・・・そういえば)


彼は、何という名前なのだろう。ふとそう思った。

口をもぐもぐと動かしながら聞いてみようかと思ったが、なんとなく聞いてはいけないような気がしたので、やめた。

パンを咀嚼して飲み込んでから、代わりに別の事を聞いた。


「・・・どうしてわたしに目を付けたの?」


「うん?」


「あなたはここに来た時、既にわたしの事を知っていた。だから、何でわたしの所へ来たのかなって」


「ああ、それ」


骸骨は座っている時も大鎌を手放さない。両手で大事そうに握りしめながら、奈央が嬉しい話題をふってくれたというように笑顔になる。

“満面の笑顔になった”と奈央にはなぜか分かった。


「貴女が仕事してる姿がかっこよかったから」


だから、ひとめぼれしちゃったの。

恥ずかしげもなくド直球でそう告げた骸骨に、奈央は「・・・・・ふ、ふーん」と思いきり彼から目をそらしながら返し、皿に残っていたピザトーストを勢いよくがつがつと食べた。


「奈央、顔赤いよ」


「うるさい」


こいつはわたしの命を狙う死神で、わたしの“死”を今か今かと待ちわびている。

その理由が、そんなこっぱずかしい理由だなんて思いもしないじゃないか。


(・・・くそっ)


今の仕事を望んだのは自分自身。

けれどたまに全部投げ出して逃げたくなる。でもそう思ってしまう自分が許せない。

だって自分で選んだのに後悔したくない。間違いだった事にしたくない。そう思って苦しかった。

――――それでも。楽しいと、嬉しいと思える瞬間が確かにあって。

だからこそここまで何とかやってこれた。

頑張って頑張って頑張って、どうにかここまでやってきた。

その自分を、誰かが見ていてくれたなんて思いもしなかったから、骸骨の言葉に戸惑って・・・照れた。

そうか、わたしは君からそう見えるか。

奈央はマグカップのポタージュスープを飲み干して椅子から立ち上がりながら、「ねえ」と骸骨に声をかけた。

骸骨は首を傾げてみせる。


「なに?」


食べ終えた皿を持って奈央はそのまま歩き出す。

骸骨に背を向けて一言、


「・・・わたし、これからも頑張るから」


と言い残して早歩きで台所へ行ってしまった。

骸骨はその後ろ姿をじっと見つめて、笑う。


「・・・ふふ」


死神レニィは思った。これって“しあわせ”かな。

いいや違う、私は彼女の魂が欲しい。あのかっこいい魂が欲しい。

だから待つのだ、彼女が「もう終わりにして欲しい」と自分に希うその時を。

楽しみだなあ、その時を楽しみに待っている今も楽しいなあ。

あれっ、じゃあやっぱりこれは“しあわせ”なのかな。


(まあ、どっちでもいいや)


彼女をそばで見ていられるのなら。

どっくんどっくん、貴女の鼓動が聞こえる。

その鼓動を終わらせる存在が、願わくば自分である事を。

死神レニィは今日も祈る。





おわり

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