第85話 医療兵部隊

 それにしてもメフメト二世も思い切った手段に出たものだ。

 間諜の報告を聞く限りオスマンの軍制改革と政治改革は、成果を挙げつつもいまだ道半ばであることは間違いない。

 イェニチェリの拡充と督戦隊の選抜、銃兵の登場でその魔力を失いつつある軽騎兵の再編、大砲の量産など。

 どれをとっても一朝一夕に片付く類のものではない。

 本来は戦機が熟すのを待ちたいのが本音であったはずだ。

 しかし動員に時間を要するオスマンとしては、戦をするなら先制して主導権をとるのは正しい。

 既にアナトリアを中心に大規模な動員が開始されているが、戦時体制を構築したオスマンを相手にこれを各個撃破することは不可能であった。

 それでなくともワラキアの実働戦力はオスマンに比してあまりに少ないのである。

 兵士の質的向上と火力優先の思想が、兵力の動員を阻害するという弊害がこのところ浮き彫りになりつつあった。

 銃兵に射撃と戦場で必要な各種の運動を教え込むには最低でも三ヶ月以上を要する。

 しかもフリントロック式の銃や新式の機動砲は、高価で弾薬とともに国庫に大きな負担を強いていた。

 末端まで銃を行き渡らせ、十分な教導を施すには莫大な資金が必要であり、自ずから養成できる兵の数には限りがあるのだ。

 旧来の方法なら五、六万人は動員できる国土と人口を擁するワラキアだが現在の編成を適用すればどう頑張ってみても三万人が限界であった。

 残念なことにライフルの試作もまた量産という壁の前に足踏みを余儀なくされている。

 工作精度が一定しないうえ、最高レベルの職人芸をもってしてもものになる銃は全体の1%に満たないからだ。

 百丁作ってようやく一丁が実用に足る程度では、とうてい主戦武器にはなり得なかった。

 それでもワラキアの火力の充実ぶりは欧州でも随一を誇る。

 しかしその火力がどこまで兵数差を補えるものかは未知数であり、とうてい楽観するどころではない。

「くそっ! 史実どおりあと一年猶予があればな」

 史実を改変しまくって言えた義理ではないが、俺は痛切にそう思わずにはいられなかった。

 そうすれば兵員数も増やせたろうし、何より河川海軍を外洋型の海軍として生まれ変わらせることができただろう。

 一部の艦隊が外洋航行の訓練中であり、ガレオン船も完成が間近に迫っている。

 就航の暁にはボスフォラス海峡での海上勢力圏を、完全にオスマンから奪ってしまうことが期待されていた。

 しかしそれはこの戦には間に合わない。

 である以上、手持ちの戦力でオスマンを撃退しなくてはならない。


「殿下、お呼びにより参上仕りました」

 数少ない手持ちのなかでも、ギリギリでこの戦に間に合った新戦力の長がこの男であった。

 ロドリーゴ・フロイド………フィレンツェ出身の元医者である。

 間に合った戦力とは、彼が率いる医療兵部隊なのだ。

 戦場医療の歴史は遠くローマ時代に遡る。

 ローマが誇るレギオンの中に、負傷兵の救出・治療・看護の係りをおいたのが戦場医療の始まりであった。

 しかも戦線後方に内科医と外科医を配置するという念の入れようで、軍人の平均寿命は一般人のそれよりも五年は長かったと言われている。

 このころすでに創傷治療において、乾かすのではなくワインを染み込ませた包帯を使って湿潤環境を作り出すことや、傷口をワインで洗浄するなどの治療法が確立し医学者ガレノスによって医学辞典が編纂されたりもしていた。

 ところがこれらの知識はローマの衰退とともに急速に失われ、その後数百年の間にむしろ後退させることになる。

 なかでもアラビア人医師アビケンナによって西洋にもたらされた医学典範は、外傷の治療法として焼灼法を普及させたため、治療の過程で身体を損なうものが続出したのだ。(その他の点では有用な記述も多かったのだが)

 15世紀の外科医たちは銃創や刀創に対し、熱したニワトコ油の膏薬を塗るというのが一般的な処方であった。

 現代の治療法から見れば、完全に誤ったこの治療法は身体の組織そのものが広範囲にわたって破壊されてしまうというおそるべき結果をもたらしていた。

 史実でこれが改善されるのは1540年も近くになってからの話である。

 当時フランス王に仕えた医師アンブロワーズ・パレはニワトコ油を切らしてしまい、その応急処置としてテレピン油とバラ油を混ぜた膏薬を傷口に塗ってみたところ、患者がなんの炎症も腫れも起こさなかったという事実に遭遇した。

 現代では常識の血管を結束する止血法も彼が発見している。

 ようやくここにおいて外傷の一次治療は革命的な前進を見たのであった。

 ロドリーゴ・フロイドが運用する医療兵部隊は、さらにナポレオンの大陸軍のように荷馬車を改造した救急車や負傷兵用の二輪荷車などを装備し、積極的に負傷者を後送することを目的としていた。

 そして19世紀半ばにパスツールやコッホが、細菌と感染の関連を証明するまで普及しなかった消毒の概念が、すでにワラキアではヴラドによって導入されていることも大きい。

(もっともその具体的理由まで開示されているわけではなかったが)

 当時患者を変えるごとにわざわざ手を洗い、あるいは手術道具を殺菌する医者など皆無であったからである。

 真新しい包帯、手術道具の煮沸消毒、医師の手の殺菌などの徹底は負傷兵の帰還率を決定的に上昇させるはずであった。

 これはあくまでも私見だが、決して命中率の高くない銃の存在がすでに戦の決定的な役割を果たしていることの理由のひとつは、銃創の治療の難しさにあると俺は考えていた。

 刀や槍の鮮やかな切れ口と違い、醜い破口をさらした銃創は弾丸の摘出や破口を縫い合わせることが難しかったことから容易く四肢の切断にいたるということがままあったのである。

 ただでさえ士気の低い傭兵にとって、不具になるという恐怖はおそらく死の恐怖に勝っただろう。

 怪我をしても味方が見捨てることはないという保障と、精度の高い治療の保障は、カントン制度によって召集された兵が大半を占めるワラキア軍の士気を維持するためには、なくてはならないもののはずであった。

「殿下、馬匹の手配をいただきありがとうございます。いまだ荷馬車の納入は半ばなれど職人ともども配備を急いでおりますゆえ近日中の完了は間違いないものと」

「配備は優先させる、わかっているだろうが急いでくれ」

 戦時になれば馬匹や資材は、真っ先に実戦部隊が攫っていってしまう。

 馬の繁殖に励んできたワラキアでもそれは例外ではない。

 結局のところ馬と糧食はいくらあっても困るものではないから、どの部署も多めに確保しようとしてしまうからだ。

 しかし熱狂的な士気を誇るイェニチェリ軍団を相手にするうえで、医療兵部隊の編成に手を抜くわけにはいかない。

 ワラキア軍に一体感を生み出し、将来の幹部候補の生命を確保するという決して損にはならない投資である以上それは必然であった。

「…………まことにおそれながら殿下にお願いの儀がございます………」

 ロドリーゴが改まって頭を垂れる様子にオレは違和感を覚えた。

 これまで可能なかぎり融通は利かせたつもりだが………いったいなにが不足があったろうか?

「この度の戦の規模を考えると阿片の量が足りませぬ………なんとかお力添えをいただきたく…………」

 ロドリーゴの要求は完全にオレの思考の死角を衝いていた。


 阿片はこの時代それほどものめずらしい麻薬ではない。

 麻薬というよりはこの時代の感覚では高価な薬品である。

 特に麻酔薬が存在しないこの時代に、外科手術を行おうとすれば阿片の存在は貴重であった。

 もっともハシシを用いたアサッシンの洗脳や富裕者が陥る重度の阿片中毒がなかったわけではないため、麻薬としての顔も広く大衆に知られてはいた。

 俺としては麻薬や中国の阿片禍を知る人間として、どうしても阿片の量産の断を下せずにいたのだが、こんなところでしっぺ返しを食らうとは。

「……………足りぬ分はジェノバから買い上げるほかあるまいな…………貴重な兵士を中毒にはするなよ? ロドリーゴ」

「御意」

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