第7話 故郷への帰還
オスマン帝国が傀儡として俺を担ぎだすのを、黙って指をくわえて見守る理由はない。
おそらくはクソ親父の暗殺に一役買ったハンガリー王国は、ダネシュティ家のヴラディスラフを大公に担ぎだした。
俺にとっては又従兄弟にあたる男である。
ワラキア公国を支配してきたパサラブ朝は、大きく分けてふたつの家柄が後継者と目されている。
そのひとつがヴラディスラフのダネスティ家であり、もうひとつが俺やクソ親父のドラクレシティ家だ。
その勢力範囲も主にワラキア公国西部と地盤とするダネスティ家と、東部を地盤とするドラクレシティ家は見事に対立している。
ある意味ワラキアがひとつにまとまらないのも無理はない。
幸いなことに、先日のセルビアとの戦いが評価され、スルタンは俺に戦の支度金を増額してくれた。
おかげでゲクランの知り合いを中心に、一千近くもの傭兵を雇うことに成功している。
同じくベルドやネイの故郷の南部貴族から、いくつかの家が俺に忠誠を誓ってくれた。
史実ではほぼほぼオスマンからの借り物の兵力が一万程度だったが、今や自前の兵力だけで二千以上、オスマン帝国の援軍を加えれば一万二千に届こうかという大軍である。
これならオスマンの援軍が引き上げても最低限の防衛力は残る。
まずは二か月天下の歴史をひっくり返す。
そのためにはまず緒戦においての大勝が必要であった。
史実において、オスマン帝国の支援を受けたヴラドはトゥルゴビシュテを占領し大公に即位するも、勝利後オスマン帝国の援軍の大半が引き上げた途端あっさりとお払い箱になった。
傀儡で直属の配下がいない哀しさである。
この悲劇を逃れるために、俺は少なからず足元を固める努力をしてきた。
今日の勝利はその最後の仕上げだ。今さら画竜点睛を欠くわけにはいかなかった。
「異教徒の操り人形に鉄槌を!」
「聖母マリアの名に誓い異教徒どもに天罰を!」
ヴラディスラフを支持する西部貴族を中心にした敵の総兵力はおよそ一万五千というところだろうか。
どうせオスマンの傀儡の小僧に大したことはできないと高をくくっているに違いなかった。
「生憎と俺は俺の意思でここにいる」
意気軒昂ではあるのだろうが、統率のとれていない敵の動きを鼻で嗤う余裕が俺にはあった。
伊達に戦場童貞を切ったわけではない。
「俺の心配はいらんから派手に暴れてこい」
「御意!」
オスマン帝国から借り受けた軽騎兵は、打撃力こそ高いものの忠誠心や戦術能力は信じられないほど低い。
こちらが劣勢にでもなればあっという間に俺を見捨てて撤退するだろう。
弱気をくじき強きを助ける典型のような奴らだ。
まずは一当て、こちらの優位を見せつけてやらなくてはならなかった。
タンブルの率いる長槍兵(パイク)をゲクラン率いる弩兵部隊が支援し、敵が乱れたとみるやネイが騎兵で突入する。
この兵科混合(コンバインドアームズ)連隊は、寡兵のヴラドにとっては今後を占う切り札だ。
しかしその成果を俺は露ほどのも疑っていなかった。
集団戦に未熟なワラキア公国軍など敵ではない。
まして総大将であるはずのヴラディスラフが出陣していないような有様で、俺が二年間手塩にかけた新生ワラキア公国軍が負けるはずがないのである。
奇声を上げて吶喊してくるヴラディスラフ軍を、長槍兵(パイク)があっさりと受け止めた。
騎乗している貴族たちも長槍兵の強固な防御力を攻めあぐねていると、狙いすましたようにゲクランたち傭兵の弩(クロスボウ)が襲った。
連射能力こそ長弓(ロングボウ)に劣るが、鋼を貫く威力と命中率においては到底弩(クロスボウ)の敵ではない。
あまりの威力と有効性から、一一三九年第二ラテラン公会議においてキリスト教徒への使用が禁止されたほどだ。
異教徒であるイスラム教徒に向けるのはOKというあたりが時代を感じさせるが、使い勝手がよいので、結局銃火器が普及するまでキリスト教徒同士でも使われ続けた。
もっともヴラドの軍に敵を人質にして身代金を取ろうという軍法はない。
容赦なく指揮官である貴族が狙われ、次々と矢の餌食になっていくとヴラディスラフ軍は大混乱に陥った。
騎士は機械式の弩で命を落とすのを恥だと思っているし、また降伏の意思を示せば身代金の支払いを期待して捕虜にするのが当たり前の時代であった。
それが的確に弩で殺すことを優先しているのだからたまったものではなかった。
「こ、こいつら戦の常識も知らんのか!」
「くそっ! こんな道理のわからん餓鬼の戦に付き合えるか!」
もし負けても身代金を支払えば助かる。
そうした背景があるからこそ貴族たちの反乱はなくならない。
敵対すれば死あるのみ、今や戦のルールは変わったのだ。そのことを教えてやる。
「ヴラド様、出ます!」
「深追いはするなよ」
「皆殺しにしてきます!」
「違う、そうじゃない」
ベルドの殺意の高さに若干引いてしまう俺であった。
この二年でベルドは実力で押しも押されぬ親衛隊長にのしあがった。
だが忠誠心の高さのせいか、敵に対する慈悲とか配慮が足りな過ぎてベルドの本当の性別を知る俺としては複雑である。
もちろんその能力と忠誠の高さは得難く貴重なものなのだが。
このベルド率いる精鋭親衛隊の投入が止めとなり、ヴラディスラフ軍は全くいいところなく敗走を開始したのだった。
いい勝負どころか完敗を喫したヴラディスラフは、抗戦を諦めハンガリー王国へと逃げ去った。
史実ではオスマン帝国の援軍が去った途端、ハンガリー王国の支援を受けて俺を追い出すのだから選択としては間違っていない。
ただ違うのは、俺は史実と同じ轍を踏む気はないということだ。
トゥルゴヴィシュテ城にあっさりと入城した俺を出迎えたのは、つい先日までヴラディスラフに忠誠を誓っていたはずのワラキア西部貴族たちであった。
「殿下の帰還を臣下一同心より歓迎いたします!」
厚顔無恥な連中の笑顔に、俺は目を丸くして思わずベルドを見た。
「すまんベルド、これが普通の対応なのか? 俺の感覚が間違っているのか?」
「…………感覚としては殿下の感覚で間違っていません。ですが哀しいことにこれがワラキア公国の普通です」
にこやかに手のひらを返して俺に忠誠を誓う貴族どもに対しては軽蔑の年しかなかった。
ましてこいつらは、ハンガリー王国が軍を派遣すれば真っ先に裏切ることがほぼ確定しているのだ。
これは史実のヴラドが人間不信になるわけだわ。
俺は連中をトゥルゴヴィシュテ城の広間へと集めた。
もちろん蟻のはい出る隙間もないほどきっちりとゲクランやネイの軍勢で警護してのことである。
さすがにいつもと雰囲気が違うを察したのだろう。
西部貴族たちは居心地が悪そうにしながらも、悪びれなく媚びを売り始めた。
「大公殿下にはご機嫌麗しく何よりのこととお喜び申し上げます。このたび、不幸な行き違いにより我々の間で剣が交わされましたこと、衷心よりお詫び申し上げますとともに、より一層の忠誠を捧げますことをお誓い申し上げます」
「いらぬ」
にべもなく俺は吐き捨てた。
シエナの情報では、確かザネリとかいう貴族だったろうか。
全く予想外の俺の言葉に目を白黒させているが、いい気味だ。
「なん……とおっしゃられますか?」
「百歩譲って今回俺に剣を向けたことはよい。だが我が父、我が兄に対しても剣を向けた連中まで生かす気はない」
ざわざわと貴族たちに恐怖の波が広がった。
今後のワラキアを統治していくうえで貴族の協力は必要不可欠。
だからこそ貴族たちは自分たちにとって利のあるほうへ味方してもリスクは低かった。
「お待ちください! 左様なこと過去に前例がございませぬ!」
「我らの力、必ずや大公殿下のお役に立ちまする!」
「生憎とハンガリー王国が攻めてきたら、すぐさま手のひらを返すような臣下は俺にはいらぬ」
何人かの貴族の肩がびくり、と揺れた。
すでにヴワディスラフからハンガリー王国の援軍が来た折には、裏切るよう打診が来ているのだろう。
ようやく危機感を身近に感じ始めたのか喧騒が広がっていく。
「わ、私は脅されたのだ!」
「何を言う! お前こそ先代を裏切る根回しに手を貸したくせに!」
「わ、私は裏切ってなどいない!」
「そそ、そうだ! 我々には父祖の土地を守るために主君を選ぶ権利がある!」
それでもなお、まさか本気ではないだろうという弛緩した空気があるのは何故だろう。俺がおかしいのか?
「まだ裏切りが一度である者は選べ。このまま余に忠誠を誓うか、あるいはこの場を去りヴワディスラフに忠誠を誓うか。去る者は追わぬことだけは約束しよう」
俺は長剣を鞘事床に叩きつけて立ち上がった。最後通告だ。
「だが余は二度目の裏切りを許すつもりは毛頭ない。次に俺に敗北することは死以外の処分はないものと心得よ」
つまりはすでに二度裏切っている者たちを生かして帰す気はないということか。
「ふざけるな!」
「ご自分の首を絞めるような愚行でありますぞ!」
口々に罵倒や命乞いを始める連中の一人が決然と立ち上がった。
「我が父は先代のために命を賭して戦い、オスマンの手にかかって戦死いたしました! 我が祖父も曽祖父も、このワラキア公国のため命を捧げて参ったはず! 殿下はこの献身を! 功績をいかがなさるおつもりなのか!」
「――――父の名を辱める愚かな息子にはなりたくないものだな」
「なんだとっ?」
「先祖がえらくてどうにかなる世なれば、今頃ビザンツ帝国は栄華を極めているだろうよ」
残念ながら栄枯盛衰、そもそも俺自身が何もしなければ裏切りに塗れて非業の死を遂げる運命にある。
クソ親父や先祖がどうしたこうしたなぞ知ったことか!
「さて、誰につくか決心はついたか? ああ、すまんがクソ親父と俺を両方裏切った馬鹿は首を置いていってくれ」
悲鳴があがり、狂乱した幾人かの貴族が出口に向かって殺到する。
「悪いがここから先は予約制だよ」
傭兵たちが西部貴族に忖度するはずもなく、彼らは軽く一蹴されて取り押さえられてしまった。
「助けてくれ! なんでもする!」
「仕方がなかったんだ! 我が家を守るためには!」
なるほど弱いことは罪だ。
弱い君主のもとで割を食うのはその臣下であり、その末路はベルドの父親が証明している。
だからこそ俺は強い君主になる。そして――――
「悪いな。俺にとっても仕方のないことなんだ。強くなるためには」
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