第9話
叔父はしばらく大声で泣く私の頭を何も言わず優しく撫で続けた。
幸いにも店内に客は私と伯父しかいない。
店主とミケには申し訳無いが、今だけはこの我が儘を許して欲しい。
不安と期待と恐怖と悲しさと嬉しさと様々な感情の渦が私を包んでいて、自分でも止めようが無かったのだ。
叔父は頭を撫でる手を止めず、少しずつ話し始める。
「俺はお前にこの1年ずっと上手く接してやれなかった。気持ちの整理ができなくてな…本当にすまないと思っている。生き辛い思いをさせてごめんな。まだこんなに小さいのに…」
私は箱を開いてもいい?と心の片隅でこっそり叔父に問いかけてから、
「私こそ…ごめんなさい…邪魔で…ごめんなさい」そう絞り出すように言った。
怖くてずっと言えなかった。
肯定されるのが怖かったから。
自分がいらない子なんだと、ちゃんと理解していたし、納得もしていた。叔父は要らぬ荷物を突然押し付けられた不幸な人だ。しかしそれでも、叔父の口から直接そう言われることがとても怖かった。
だから私は箱の奥に全てを隠したのだ。叔父への感謝も好意も謝罪も。何もかも。
叔父は元々生活に頓着しない人だったのだろう。冷蔵庫には飲み物程度しかなく、台所は使った形跡が殆ど無かった。物が極端に少なくて、本ばかりがやたらに多い家だった。それでも毎日何かしらの食事を用意してくれて、普段全く使って無さそうな新品同様の湯船には湯気の立つお湯が張られていて。きっと新しく用意してくれたのであろう子供用の暖かい布団で眠ることが出来て。日々の生活の中に、叔父の優しさはそこかしこにあったのに。それすら見て見ぬフリをして、感じないフリをして、叔父との境界線を自分で作って、本の中に逃げ込んでいた。自分が幸せになんてなれる訳が無いと思い込んでいた。私はなんて馬鹿な子供なんだろう。
「邪魔な訳がないだろう。可愛い姪っ子が来てくれたんだ。俺はお前が…瑠花がうちへ来てくれて、嬉しく思っているよ。」
「わたしの名前…」大きな手の平と指の隙間越しに叔父を見る。よく見ると叔父は父に似ていて、とても綺麗な顔をしている。
綺麗な人は無表情になると妙に怖い顔になる。
だからいつも少し微笑むように、口元に意識を向けておかなきゃダメなのよ。と母はよく父に言っていた。笑えば誰だって味方にできちゃうんだから!と茶目っけたっぷりに笑う母の声が蘇る。2人とも自分の容姿が美しい事を当たり前に認識していた。そしてその容姿ゆえに多少なりとも苦労していたようだった。
叔父はほとんど笑わない上に、髪の毛も整えず伸びっぱなしなので、髪の隙間から覗くような目が妙に鋭くて怖かった。
今は邪魔な髪の毛を耳にかけていて両目がはっきり見える。
父の面影を感じる、綺麗な切れ長の瞳が。
私はそっと叔父の手に触れてみた。そこに叔父の手があることを直接確認したかった。
触れると一瞬叔父の動きが止まったが、またすぐにゆるゆると頭を撫でる。叔父の温かい手の温もりをいつまでも感じていたいと思った。
思い切って私は叔父の名を呼んでみた。
叔父は答えるように優しく微笑んでくれる。
ミケが足元で動く気配がした。
ゴロゴロと鳴きながら足にまとわりつく。
胸の奥がキュッと痛くなった。
父のいう打たれるという感覚とは違う気がするが、間違いなく私は幸せな痛みを感じていた。
ずっと忘れたくない初めての痛みだった。
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