第58話 「覚悟」⑭

『闇鬼』は、空中でジタバタしながら、恨めしそうな声を上げた。そして、再びラウラの腹の中へと消えていった。



「さてと」奪衣婆の声に、真弓は始めてその存在を知った。

「そろそろ行こうかの」奪衣婆は、腰を叩きながら軽く伸びをした。


「おい、オババ!俺の願いを忘れないでくれよ。それから、もう一つ……」ラウラは、奪衣婆の耳元で何かを囁いている。


「よし、よし、わかった。確かに聞き入れよう」

 奪衣婆は、ラウラの頭をやさしく撫ぜながら真弓を見つめた。

 この時、真弓は這いずりながら真琴の元へ行き、布団を掛けていた。


「マコ! ごめんね。お姉ちゃん、あなたのこと、守ってあげられなかったよ。うぅぅぅぅ……」


唇が紫に変色している真琴の頬に、顔をくっつけて真弓は泣いた。涙が後から後から溢れてくる。真琴の顔が、真弓の涙でテカテカに輝いてしまうくらい、真弓は涙を流し続けた。


 奪衣婆が、そっと真弓の背中を撫ぜた。

「痛むかの?」奪衣婆の声に真弓は、顔をグショグショにしながら、左手を持ち上げた。第3関節から切断した小指の部分からは、不思議と血が出ていない。


「いえ、痛くありません」真弓は、首を横に振った。

 その時、布団の上に手をつきながら、ゆっくりと起き上がろうとしている清恵の姿が視界に入った。


「お母さん!大丈夫?」

 真弓は急いで、駆け寄った。さっき清恵を切ってしまった肩の肉は何事もなかったように蘇生していた。

 清恵は、まだ意識がハッキリしていないのだろうか。真弓をボーッと見つめている。


「お母さん。苦しかったでしょう?」

 真弓は、清恵の背中に顔を埋めて、また泣いた。母親の匂いがした。 


 こんなに温かな背中を持っている母親に、冷たくなってしまった勝彦のことを何と告げよう。真琴の死をどうやって伝えよう。そんなことを考えると、余計涙が止まらなかった。


(そうだ! まずお兄ちゃんを紹介しよう! お兄ちゃんのおかげで助かったことを教えてあげよう!)

 真弓は、ラウラを振り返って手招きした。


「お母さん……。お母さんにびっくりする人を紹介してあげる」

 真弓はそう言って、嫌がるラウラの手を引き寄せ、清恵の前に無理矢理立たせた。


 ケロイドの醜い顔ではあるけれど、はにかむように恥ずかしがるラウラ。

(何だかんだ言ったって、やっぱり自分のお母さんと顔を会わせるのは嬉しい筈よ)

 真弓はそう思った。


 俯いていた清恵が、ゆっくりと顔を持ち上げラウラを見た。焦点が合わないのか、ジッと見つめている清恵だったが、突然、口を押さえ顔を背けた。


 その素振りは、真弓だけでなくラウラにとっても大きなショックだった。

 ラウラは部屋の隅に駆け出した。真弓も慌てて後を追う。


「余計なことをするんじゃねぇよ。この間も言っただろ! 見てみろ! 俺が醜いから、あの女、反吐を吐いちまったじゃねぇか!」「ご、ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて、思ってなかったから」


「ひっそりと帰してくれれば良かったんだ……」そう呟くラウラの背中にあたたかな光が射した。

『鬼丸』が煌いた時と同じような、黄金色の光だった。


 真弓とラウラは、光に導かれるように振り向いた。

「眩しい!」


 一瞬、何も見えなくなった。しかし、目がだんだん慣れてくると、奪衣婆がその光の中に入って空中に浮いている姿が見える。


 一体何をしようとしているのか? 二人には、わからなかった。

 すると、奪衣婆の皺々で薄汚い着物姿が、徐々に変化していく。真弓は、目を擦った。そして、唖然とした。


 いつの間にか皺くちゃな奪衣婆が、真っ白な薄絹を纏った美しい女性に姿を変えているではないか。

 左手に蓮の蕾を持ち、軽くそれに右手は添えられている。


 頭の宝冠には『阿弥陀如来』がくっきりと現れていた。

 真弓もラウラも、その神々しさにしばし茫然としてしまった。

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