第56話「覚悟」⑫
天色〈あまいろ〉の光が真弓から発せられて、やがて体全体を包み込む。
「シュウゥゥゥゥゥゥ……」という、花火の燃えカスが消えかかるような音と共に、『鬼丸』を握ったまま、ダランと両腕を下げている真弓がいた。
ショートの髪は天色となり、上衣はパステルパープルに……、袴の色はワインレッドに変化している。
「クックククク……。この女の体は俺のものだぁ!」
真弓に乗り移った『闇鬼』がまるで勝ち誇るように、ラウラを振り返った。
「見てみろ!自分の母親の両手両足をぶった切るような、残酷な人間に乗り移れば、闇の力が半減しようが、そんなもんすぐに取り戻せる!その証拠に『鬼丸』を持っていることが出来る。鬼の心を持った人間に乗り移ること。それが俺たちの鉄則だぁ!」
そう言う『闇鬼』を、ラウラは悲しい目つきで見つめた。さっきまで家族の仇を取ろうと頑張っていた真弓の声は『闇鬼』の皺枯れた低音に代わっていた。
「さて、この若い肉体で何人の仲間を作るか。クックク……。楽しみだぜぇ!」
『闇鬼』が、再び高らかに笑ったその時だった。
「そんなに楽しいの? でも、私の体はそう簡単にお前のものにならないわよ」
今『闇鬼』の声を発していた真弓の唇から、今度は本物の真弓の声が聞こえてきた。
これに驚いたのは、真弓の体の中にいる『闇鬼』だ。
「な、何だ? 何で、乗り移った筈のおまえが、喋っている?」
「そうね、ではいいこと教えてあげる! わたしのこの指を見なさい」
そう言って、真弓は左手を持ち上げた。これには、さすがのラウラもびっくりした。
真弓の小指がない。スッパリと切断されていた。
「おまえが、わたしの体に憑依する瞬間、『鬼丸』で自分の小指を切断したの。きっと、激痛でおまえに完全に憑依されないのではないかと、一か八かの決断だった。やっぱり、思った通りだった。闇細胞は、体中に行き渡らなかった!『鬼丸』が明滅しながらヒントを教えてくれたの。おまえは、わたしの体を完全に支配していないのよ!」
これには、ラウラの小さな目が少しだけ大きくなった。
「そうか。『闇鬼』の闇の力が半減しているおかげで、真弓は対等の力を同じ体の中で、競い合っているわけか」
「それだけじゃないわ。『鬼丸』の力は、わたしのもの。これで『闇鬼』を退治できる。精気の無くなったおまえにわたしの心は読めなかったようね」
真弓は『鬼丸』の柄を右手に握り、刃を自分の方に向けた。
「お兄ちゃん!『闇鬼』を封印することはできるんでしょ?」
「あぁ、もちろんできる。でも、ちょっぴりエネルギー不足だ……」
「だったら、これを食べて!」真弓がラウラに何かを放り投げた。
「こ、これは! おまえの小指じゃないか」
「そうよ。さっき、生きている人間の肉を食べれば、元気が出るって言ってたでしょう?小指だけじゃあ、足りないかもしれないけど。何としてもパワーをつけてもらって『闇鬼』を封印してもらわなくちゃ!」
真弓は小さく微笑んだ。
ラウラは、真弓の小指をジッと見つめている。少し躊躇はあったものの、何か意を決したらしい。
「わかった。おまえの気持ちと思って頂くよ」
ラウラはそう言って一礼すると、小指を口に放り込んだ。ボリボリと骨が砕ける音が異様に響く。
「でも、どうやっておまえの体の中から『闇鬼』を出すんだ?」
そこまで言って、ラウラの歪んだ顔が一層歪んだ。
「ま、まさか、おまえ……」ラウラの土色の顔が、こげ茶色に変わった。
「えぇ、そうよ。覚悟はできているわ。……わたしの掻き切った喉から『闇鬼』が飛び出したら、絶対、封印してね」
「く、くそ~っ! おまえ、最初からそういうつもりだったのかぁ!」
真弓の唇から『闇鬼』の情けない声が洩れた。
「せめて、お母さんだけは助けたかった。わたしは最初から死ぬ覚悟だったの。でも、どうやったらお母さんを無傷で助けられるかわからなかった。すべては『鬼丸』が教えてくれたわ。「闇鬼』さん、残念ね。この世から消えてなくなってもらうわ」
そして、絨毯に倒れている清恵に向かって小さく呟いた。
「お母さん、今まで育ててくれてありがとう。ごめんね……、お母さん。……先に逝く私を許してね」
真弓はそうひと言言って『鬼丸』の切っ先を喉にあてがった。あとは、左手でグッと押し付けて、引くだけだ。
「お兄ちゃん、ありがとう。会えて嬉しかったよ。今度は、同じ立場で『賽の河原』で会おうね」
「ワァ~ッ、やめろぉ! 俺は封印なんかされたくねぇ!」
『闇鬼』の声が虚しく寝室に響き渡った。
真弓は、うっすらと笑みを浮かべて、切っ先を喉に押し付け、そして引いた。真っ赤な鮮血が、噴水のように噴き出した。
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