第41話 「ダーク・レディ」①

 『闇鬼』は、二十代の清恵に変身をした。髪の毛も栗色のショートから、長い黒髪に伸びている。

 そして驚くことにチャイナドレスのようなコスチュームで身を包んでいた。


 襟は片側だけが立っていて、動きやすいように腰の脇がパックリと開いたロングチャイナドレス…。

 マゼンタの色彩に漆黒の稲妻模様が幾筋も入っていた。


「どう?これなら、男たちが何人でも寄って来るでしょう?」


 清恵の声まで変わっていた。真弓の目の前にいる女は、もはや母の清恵ではなく、見たこともない美しい女性へと変貌を遂げていた。


「さて、そこの刑事さんとする前に、あなたを始末しなくちゃね」


 『闇鬼』が、右手をサッと振ると、リビングにあった家具がすべて部屋の隅に音もなく移動してしまった。次に左手を伸ばし、真弓に手の平を向けた途端「ドーン!」という轟音と共に、すごい勢いで真弓の体が壁に張り付いた。


「や、やめろ!『闇鬼』!彼女に何をする気だ!」


「あら、刑事さん、よく声が出せたわね。でも、こんな美しい女性に向かって『闇鬼』はないんじゃない?『ダーク・レディ』とでも呼んで欲しいわ」


 そう言って、『闇鬼』……、いや『ダーク・レディ』は微笑んだ。といってもそれは、冷ややかな氷の微笑だった。


「ねぇ、いいこと教えてあげる。わたしの仲間が、大昔、ゴルゴダの丘っていう所で或る聖人を磔の刑にしたの。あなたもその聖人と同じ刑にしてあげる。光栄でしょ。ありがたく思いなさい」


 『ダーク・レディ』はそう言うと、両手の親指をピンと跳ねた。すると、壁に張り付いた真弓の両腕が床と平行に徐々に上がっていき、両足はピッタリとくっついた。その姿は……、まるで十字架に磔けられたキリストの姿そのものとなった。


(何で!体が自由に動かない…)

 真弓は何度も上半身を揺すろうと試みているのだが、自分の体なのにビクともしない。焦る気持ちが募る一方だ。


「くそ~っ!」沢村も、どうすることもできない。少し前のめりになった姿勢で、目だけが真弓を捉えていた。


 『ダーク・レディ』が、まるでドアノブを握るような手つきで、左手を真弓に向けた。その瞬間だった。人差し指と薬指の爪が「シュン!」と風を切る音を立てて一直線に伸びたかと思うと、約3㍍離れている真弓の両方の耳たぶを貫いた。


 真弓にしてみれば、あまりに瞬間の出来事だったので、何が飛んで来たのかわからなかった。二本の矢が顔の横に飛んできたと思った。


「ウッ!」すぐに耳たぶが熱くなってくる。真っ赤な血がポタポタと床に垂れていった。


「そんなんじゃあ、痛くないでしょう?今度は、もう少し痛くしてあげるから、期待するといいわ」


 『ダーク・レディ』の冷たい視線が、真弓を再び捉える。

 あっという間だ。親指と小指の爪がさっきと同じように一瞬にして伸びたかと思うと、真弓の両方の広げた手の平を突き刺した。


「ウグッ!…イ…タィ…!」

真弓は唇を噛み締める以外なかった。『ダーク・レディ』の鋼鉄のような爪は、真弓の手の平の骨を貫き、壁まで達していたのだ。


「やめろぉ!」

沢村の悲痛な声がリビングに響く。今や真弓の体の4ヶ所は、4本の爪に串刺し状態となっていた。そして、真っ赤な鮮血が壁を伝って流れ出していた。


「さあ、中指の爪が残っているわ。どうする? お腹がいい? それとも胸? それともぉ……」


 『ダーク・レディ』の声が止まったかと思うと、中指の爪が真弓の眉間めがけて物凄いスピードで伸びてきた。しかし『闇縛り』に掛かっている真弓は、目を瞑ることもできない。この恐怖を受けて立つしかなかった。


(怖い!)

失神しそうになった。


 冷たいものが眉間に触れた!当然、突き刺さった!と思った。死を覚悟した。しかし、どうしたことだろう。目の前の恐ろしい景色が、瞼の中でまだ続いていた。


「どう? 怖かった? よく失禁しなかったわね」


 『ダーク・レディ』が、捕らえたネズミをもて遊ぶ猫のような眼つきで、笑っている。


「安心しなさい。まだ殺さない。わたしはそんなに慈悲深い女じゃないもの。少しずつ苦しんで死ぬのを見てあげる。ゴルゴダの丘の聖人も苦しんで死んでいったのよ。足や腕に突き刺さった釘が、自分の体の重みで喰い込むの。その聖人は死んだ後、復活したらしいけど…。そういえば、あなたもついさっき復活したんだわね。でも二度の復活はないわよ」


 『ダーク・レディ』は、5本の爪を指先でポキッと折った。当然、3㍍の長い爪が4本、真弓の耳たぶと手の平を串刺しにしている。

 1本だけが床にポトリと落ちた。


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