第36話 「ラーフラ」④

「どうじゃ? わかったかの? これが真実じゃ」奪衣婆が土間より一段高い板の間に腰を降ろして、真弓をマジマジと見た。


「ラウラ……は、わたしのお兄さん?」


 奪衣婆は、返事の代わりに大きく頷いた。




「28年前『三途の川』にラウラはバラバラになって流れてきた。ラウラに憑依できなかった『闇鬼』は、しばらくの間、宇宙を彷徨うことになったがの。いつ『闇鬼界』へ舞い戻るか分からん。もし、舞い戻り『三途の川』に浮かんでいるラウラの肉を喰われては、憑依できないまでも高度な妖力を得てしまう。だから、そうなる前にわしはバラバラになったラウラの体を掬い上げ、くっつけたんじゃ」そう言って、ラウラを指差した。


 ラウラはまるで話に加わりたくないように、真弓と奪衣婆を無視して、煮込みをガツガツと食べ続けていた。


「じゃが、さすがにあの広い河からすべての肉塊を『掬う(救う)』ことはできんかった。それでラウラはこんなデコボコの体になってしもうた。でもな、これで『闇鬼』は、ラウラに憑依することができなくなったんじゃ。たとえ憑依しても、ラウラの意思が『闇鬼』に勝つ!」


 真弓は何と言って良いのかわからず、ただ黙って奪衣婆の話を聞いていた。


「この世界では、人間界の4年が1年じゃ。本来ならば28歳になる筈のラウラじゃが、今はやっとで7歳の体になったのじゃよ。人間の言葉を喋ることのできなんだラウラじゃったが、わしは『闇鬼』の復活を知り、ラウラをおまえの元へ送ることを決意した。


『闇鬼』は必ず、清恵を憑依するために現れると思ったからのぉ。ラウラは三日間で、何とかおまえたちの言葉を片言話すことができるようになった。そして、おまえの前に現れたんじゃよ」


(そうだったの……)


 真弓は改めてラウラを見た。それは今までラウラを見る目とは違っていた。


(ラウラがお兄さんだったなんて……)


 真弓は、清恵の胎内で見た、胎児の姿を思い出していた。一生懸命指しゃぶりする姿と必死に掻爬棒そうはぼうから逃れようとする姿がダブって映り、自然と涙が溢れてきた。


(いくら知らなかったとはいえ、わたしは失礼なことばかり言っていた。ごめんなさい、お兄ちゃん……)

 真弓は、奪衣婆に向き直った。

「ダツエバさん、教えて下さい。『闇鬼』の弱点は何ですか?」


「『闇鬼』は、憑依した相手が死なない限り、次の相手に憑依できない。もしそれを行なえば、自分の妖力が半減するからじゃ。しかし、余程のことがなければ、奴はそんなことはせんじゃろう」

 そう言って、奪衣婆は真弓をジッと見ながら、話を続けた。


 「宮崎という男に憑依した奴が、おなごを暴行し腹を割いた事件が最近あったじゃろう。あの犠牲になったおなご共は『闇鬼』が喰った水子の母親たちじゃ。なぜ奴が、自分が喰った水子の母親の腹をわざわざ割いたのかわかるか?」


 真弓は、首を振った。


「腹を割き、子宮を傷つけ、二度と子供を産めない体にする。人の世に生まれることのできなかった水子たちの怨念を晴らしているつもりでおる。そうすることによって、奴に喰われた水子たちが喜んでいると思っておるんじゃ。


水子の、そして子供を産めない体にされた母親たちの怨念を力にして、奴は凶大になっていく。奴は自分が最凶になること以外はせんじゃろう。だから、自分の妖力を半減してまで、他の者に憑依することはまず考えられん」


(何ていうことなの!)

 真弓は『闇鬼』が益々許せなくなってきた。


「兄と組めば『闇鬼』に勝てますか?」

「今の段階では、時の運としか言えん。しかし、わしが渡した……」


 その時、奪衣婆の言葉をラウラが遮った。


「おい、くだらねぇことをくっちゃべってねぇで『闇鬼』退治に戻ろうぜ!」

「ふん、ラーフラがいっちょ前の口を利くようになったわぇ」


 ラーフラとは何のことか。真弓は首を捻った。


「ラウラにはな、本当は『ラーフラ』という名前をつけたんじゃ。しかし、上手く舌が回らず自分のことを『ラウラ』とずっと言っておった」


(ラウラじゃなくて、本当はラーフラ?)


「ラーフラって、何か意味がある名前なんですか?」


「人間界に釈迦という悟りを開いた者がおってのぉ。彼は、修行の旅に出ると決心した折、妻に子ができたんじゃ。彼は狼狽し『修行の妨げになる障碍しょうがいが出来てしまった』と呟いた。その名をもらったんじゃよ」


「障碍?」

「そうじゃ。『障碍』つまり『ラーフラ』じゃ」


「何で? 『障碍』って邪魔って意味でしょ! 兄は『障碍』なんかじゃないわ!」

 真弓は奪衣婆の言葉に思わず叫んだ。


「障碍じゃろう。この世に出ることを望まれず堕ろされた子じゃ。障碍と呼ばず、何と呼ぶ?」


「だって、あれは……。あの時は、そうするしか方法がなかったことでしょ」

「どっちにしろラウラは自分の運命を悟っておる」

 真弓の言葉に奪衣婆は、溜息を洩らしてラウラを見た。


「お兄ちゃんは、障碍なんかじゃないよ。『闇鬼』をやっつけたら、わたしたちと一緒に暮らせばいいよ。ね、そうしなよ」


「ふん、軽々しくそんなこと言うんじゃねぇよ。俺の姿は、おまえと真琴にしか見えないとでも思っているのか? 俺は清恵の胎内にいたんだぜ。清恵にも俺の姿が見えるんだぜ」


 ラウラは、細い目をいっそう細くして言った。


「ま、まさか。お兄ちゃんは、お母さんを恨んでいるの? 産んでもらえなかったから……?」


 真弓の問いかけにラウラは黙っていた。

「大丈夫よ。わたしがお母さんに話してあげる」その途端、ラウラが真弓を睨みつけた。


「余計なこと、するんじゃねぇよ! こんな醜い姿、清恵に見せられるわけねぇだろ。おまえだって、最初、俺を見た時、化け物って言ったじゃねぇか」


「そ、それは……」

 真弓は申し訳なく、俯いてしまった。


「そんなことより。な、おババ。『闇鬼』をやっつけたら例の件を頼むぜ」

「例の件……」って何?


真弓がラウラと奪衣婆を交互に見た時だ。突然、着ているTシャツがお腹からめくられてきた。


「キャ~ッ!!」

ブラを残して、大好きなリラックマTシャツがすべて脱げてしまった。プルンッとした白い肌が顔を覗かせる。真弓は慌てて、両手で胸を隠した。


「ど、どうしたの?これ!」


「イカン!司法解剖が始まってしまう」

 奪衣婆が叫んだ。


「沢村という刑事が、真弓の司法解剖を何とか遅らせようとしておったが、もう始まってしまうようじゃ。急いで、戻れ!」

 奪衣婆が天井を指差した。


「司法解剖って何?」

一番焦らなくてはいけない真弓だったが、状況が飲み込めないのだ。


「何にも知らねぇんだな。司法解剖っていうのは、犯罪で死んだと疑いのある死体を、死因究明のために解剖するんだ。脳みそや内臓を全部抜き取られるぞ!」


 初めて真弓の前に現れたラウラは、まだ5歳児程度の頭脳しか持っていなかったが、真弓の家で様々な参考書、辞書などを勝手に見ているうちに、豊富な知識をどんどんと吸収していった。

 今では、有名大学を卒業したくらいの知能が備わっていた。


「やだ~、そんなの。早く戻してよぉ!」  

 真弓は、すでに泣きべそ状態だ。


「バンザイをしろ!すぐに元の世界に飛んでいける」

 真弓は言われるままに、バンザイをした。すると、押さえていたブラまで外れてしまった。


「何、これ……?エッチィ!」

 真弓の顔が真っ赤になった途端、ラウラが真弓のお尻をピシリ!と叩いた。

 真弓はあっという間に、小屋の天井を突き破って飛んでいってしまった。


「俺もあとから行くからなー! 清恵を守ってやれよー!」ラウラが叫んだ。


「あっ、イカン!」

 次に奪衣婆が躓きながら慌てて小屋から出て、空に向かって叫び始めた。


「わしが授けた『鬼丸』を使うんじゃぞー! 必ず、守ってくれるでなー!」

 しかし真弓の姿はすでに跡形もなく消えていた。

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