第37話 「闇鬼・第3次遭遇/英国からのEメール」①

 話は少し遡る。

 真弓の遺体を乗せた車は、八王子大学医学系研究科司法解剖室へと向かっていた。沢村は一人、クラウンで後を追っているところだった。


「それにしても参ったな」

沢村は、額に落ちてくる髪をたくし上げながら、呟いた。


(あの座敷わらしが言ったことは、本当なのか? 本当に天宮真弓は死んでいないのか? もしそうだとしたら、何が何でも司法解剖を阻止しなくては!)


 沢村には、もう一つ気がかりなことがある。


(あの座敷わらし……、何て言ってたかな? そうそう、ラウラだ。あのラウラと戦っていた大きな化け物は一体何だったんだ? 安良岡という少年に乗り移っていたのはわかったが、あの後どこへ消えた? この事件も宮崎と何か関係しているのか? まったくもって不可解な事件だぜ。こうなってくると、霊能力捜査官でも雇わないといかんな)


 いろいろなことが、脳裏を過ぎった。


 ハンドルを左に切ったところで、遠くに大きなビルがうっすらと見えてきた。空も白々と明けてきている。

 二台の車は、八王子大学の敷地へと滑るように入っていった。


 滑車付きの担架(ストレッチャー)に乗った真弓の遺体が、司法解剖室へ運ばれたのはそれから30分経ってからだった。


 真弓の体に「時限爆弾が隠されている」という情報がたったいま入った。などと言って、何とか時間稼ぎを試みたが、結局、僅かな時間しか稼ぐことはできなかった。


 沢村は解剖室のある廊下を、まるで動物園の熊よろしく行ったり来たりしていた。


「まずいぞ、まずいぞぉ!」


「おい、ラウラ! 天宮が生きているんだったら、早く魂を戻しやがれ!」


「くそっ! さっさと息を吹き返せ!」


 沢村がそんな独り言をブツブツ言っている時だ。突然、解剖室の中から、女の悲鳴が響き渡った。


 解剖室のドアが勢いよく開き、何と真っ白なパンティ一枚の真弓が恐怖に引き攣った顔ですっ飛んできた。

 真弓の姿を見た途端、今まで曇っていた沢村の顔が、一気に明るさを取り戻す。


「おぉ、生き返ったか! よーし、生き返った!」沢村は大声を上げて、真弓を抱き止めた。

 真弓は真弓で、自分がパンティ一枚のあられもない姿であることにまだ気づいていない。


 目の前にいる男が、沢村と分かると「ワァ~ッ」と大声を上げてかじりつき、泣き出した。


「よぉし、よし、もう大丈夫だ! もう大丈夫だぞ!」

「ウェ~ン、目を開いたらノコギリが目の前にあったのよ~! もう少しで殺されるところだったぁ。ウワァ~ン!」


 大声で泣き叫ぶ真弓を、解剖室から出てきた医師たちが目の玉が飛び出るくらいの驚きの表情で見ている。

 『殺される』とは、ひどい言いがかりだ。


「わかった、わかった! もう大丈夫だから、落ち着け!」


 沢村は最初、真弓が生き返ったことに嬉しくて、喜びのあまり抱きしめてしまったが、真弓は裸同然なのだ。

 両手を何処に回せば良いかわからず、今ではバンザイをしている。


「おい、あんたたち! 目ン玉を丸くしている暇があったら、この子の洋服を持ってきてくれ! 気が利かないなぁ……」


 周りの騒々しさに加えて、真弓もだんだんと落ち着きを取り戻してきたせいか、やっとで嗚咽が小さくなってきた。


 それと同時に、自分がかじりついている沢村をジッと見上げた。そして今度は俯いて自分の姿をマジマジと見ている。


 「きゃあ〜!」


 沢村は、今まで聞いたこともないような悲鳴を僅か5㎝の近距離で上げられると同時に、これまた最高に強烈なビンタを喰らっていた。





「すみませんでした」

 真弓は、沢村の運転する車の助手席で下を向いたまま、小さな声でボソッと口を開いた。


 隣でハンドルを握っている沢村の顔をとても見ることなどできない。

 なぜなら沢村の左頬は、真弓のビンタで赤く腫れ上がっていたからだ。


「ク~ッ、強烈な一発だったぜ。目の前に星空が広がったぞ!」

「もう、言わないで下さい」真弓の蚊の鳴くような声に、沢村は笑い出した。


「とりあえずは、無事で良かった。あのまま息を吹き返さなかったら、どうしようかと思った」


 沢村は、ワイシャツのポケットからミントガムを二枚取り出し、片手で器用に包み紙を開き、一枚を口に入れて、一枚を真弓に渡した。


「君が目を覚ましたら聞きたいことが山ほどあるんだ。もう大丈夫か?」

 沢村の問いかけに真弓はコックリと頷いた。


 ところで、二人はこれから何処へ行こうとしているのだろうか?


 司法解剖室から出てきた真弓は、着替えを終えて沢村に懇願した。

「すぐに家に帰りたいんです。早く帰らないと! ……母に危険が迫っているんです!」


 沢村は、何も聞かずに真弓の手を取り、車へ猛ダッシュした。


(訳は車の中で聞けばいいことだ!)


 沢村は、今回の件は上司である熊沢、権堂に何の報告も入れていない。死んだ筈の真弓が生き返ったなどと知れれば、真弓は病院に搬送されてしまう。


 検査に時間が費やされ、事情聴取に二日、三日と掛かってしまうだろう。

 しかし、今の真弓にそんな時間的余裕がないことは、沢村には手に取るように分かっていた。


(とにかく今は、天宮の言う通りに動こう。今回の件は誰にも相談できん。あんな化け物が現れたことを知っているのは、俺と宮脇だけだからな)


「あのぉ、もう一人の刑事さんは?」

真弓は、宮脇がいないことに気がついた。


「あぁ、宮脇なら君のご両親を家へ送って行ったよ。君の遺体を見て、お父さんもお母さんも泣き崩れてしまわれたからな。俺と宮脇は、あのラウラとかいう座敷わらしに、君が死んでいないことは聞いていた。だから、生き返ると信じていたが、解剖室に運ばれた時は、さすがに寿命が縮んだよ」


「そうだったんですか。いろいろとお世話をお掛けします」

 真弓は、ペコリと頭を下げた。

 素直な真弓の態度に、沢村は少し照れ笑いを浮かべていた。




(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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