第35話 「ラーフラ」③

 気がつくと目の前では、大きな光が小さな点へと変わっていくところだった。そして、真弓の瞳に飛び込んできたものは小さな物体だ。


「何、これは?」

「清恵が『闇鬼』の子を宿したのじゃ」

 奪衣婆がポツリと言った。




(うそでしょ!)

真弓はもう一度、その小さな物体を凝視した。

 体長はすでに人差し指ぐらいになっているではないか。目玉もすでにキョロキョロと動かしている。


「えっ! もうこんなに大きくなっているの?」真弓は絶句した。


 すると真弓の問いかけに答えるように、女性の声が響いてきた。


「信じられません!受精してまだ1ヶ月だというのに……。妊娠4ヵ月の胎児の大きさに成長しています」

どうやら声の主は、産婦人科の医師のようだ。


「それに……お嬢さんは……これも信じられないことですが……すでに立派な大人の女性の体に成長しています……」

 医師は躊躇いながら、小声で清恵の母親に告げていた。


 清恵は、診察台に寝かされていた。おへその下からヘアーにかけてヌルヌルしたゼリーが塗られ、その上を丸いローラーが転がっていた。

 モニター画面には、赤ちゃんの姿が映し出されている。


「堕ろします」清恵の代わりに母親が医者に答えている。しかし、清恵は黙って俯いていた。

 この時、真弓にとって清恵の衝撃的な感情が伝わってきた。


〈産みたい!……だって、この赤ちゃんは半分はわたしの子なんだもん〉


(だ、だめだよ! お母さん! だってこの子は『闇鬼』の子なんだよ! このままお腹の中で育てていたら……。『闇鬼』がお母さんのお腹の赤ちゃんを奪いに来るんだよ! お母さんは殺されちゃうんだよ!)

こんな真弓の声が清恵に聞こえるわけがない。


 とりあえず今日は自宅に戻って、落ち着いてから医者に返事をすることとなった。

 そして真弓は、清恵の心の叫びを一晩中聞くこととなる。


〈わたしの赤ちゃん! 何の罪もないのに……。ごめんね。ごめんね〉


(お母さんは、愛する人の子供を生まなくちゃいけないよ! あんな『闇鬼』の子なんか、クソ喰らえ!)


 真弓はそう思いながらも、赤ちゃんの姿が自然と目に入ってしまう。

 胎児は、自分の指を咥えてチュパチュパと吸っていた。たまに「羊水」を飲んでいるのか、口を大きく開けて舌を出して、大きな目をキョロキョロとさせている。


「かわいい!」

真弓は本気で思った。


『闇鬼』の子と分かっていながら、こんな感情が走るのはおかしいと思いながらも、正直そんな言葉が頭の中に浮かんでくる。


「胎児はなぁ、母親のお腹の中で10週目には、神経系や循環器系、そして視覚、聴覚、味覚といった感覚器系統もかなり出来上がってくる。もう人間そのものなんじゃ。だが、この胎児は違う。受精してわずか2週目でそれが備わってきておる。やはり『闇鬼』の血が流れている子なんじゃ」


 それは真弓にもわかっている。でも、と思うのだ。

 清恵は、自分がまさか魔物の胎児を宿しているとは思っていない。たとえ、レイプされてできた子であったとしても、半分は自分の血が流れているのだ。


 産みたい!と思う衝動はどうすることもできないと思った。モニター画面で動く胎児の姿を見てしまったら、なおさらだ。


 一晩悩みに悩んで、清恵は中絶手術を決心する。

 しかし、ここまできて医師は中絶方法に悩み出すのだ。清恵は、妊娠してまだ1ヶ月だったが、胎児はすでに4ヶ月を越えるまでに成長していた。


 胎児が大きすぎて、子宮口からバキューム式に吸い出す方式がとれない。胎児をバラバラにして掻き出さなくてはならないのだ。


 清恵は病院に3日間の入院となった。そして掻爬そうはしやすくするために、膣と子宮口を拡げる措置がとられた。


 清恵は診察室に入り、M台に寝た。これから、海藻の茎でできた「ラミナリア」という細いスティックを子宮口に挿入するのだ。

 これは、子宮口の水分を吸収して膨らみ、一晩かかって子宮口を開くための措置だった。


「少しずつ膨らむから、夜は痛みが増すけど我慢しようね」医者はそう言いながら、「ラミナリア」を押し込んでいく。


 1本、2本、3本……


「い、痛い!」

清恵の体に激痛が走る。しかし、挿入はこれではまだ終わらなかった。十本を過ぎた頃には、あまりの痛みに体をよじった。


「お母さん!」


真弓は叫びながら、歯を食いしばった。

 16本目が挿入された。清恵の絶叫が診察室いっぱいに広がった。


 その晩、清恵は痛みでなかなか眠れなかった。下腹部に鉄の塊が入っているような気分に陥っていた。


 真弓は、胎児を見ていた。明日、お腹から無理矢理出されるとも知らない赤ちゃんは、スヤスヤと気持ち良さそうに目を閉じている。小さな足を組んでいる。


 チンチンがあった。男の子だ。とてもかわいい寝顔だった。とても『闇鬼』の子とは思えなかった。


「やっぱり、お母さんの子なんだ。だってこんなに可愛いんだもん」

 清恵は、ごめんね、ごめんね……、と呟きながら深い眠りに入っていった。


 翌日、清恵はまたM台に乗せられ、足首を固定された。

 「麻酔を打つからね。痛くないよ」

看護婦のやさしい声が耳元で響く。


 医者の「 1、2、3、4……」の声で清恵の意識がなくなった。


 すぐに掻爬棒そうはぼうが子宮の中に入っていく。胎児は何も知らずに目をキョロキョロとさせて、指しゃぶりをしていた。


(ごめんね。君には何の罪もないんだよ。でも、このままでいたら君の体は『闇鬼』に憑依されちゃうの。今度は、ふつうの赤ちゃんとして生まれ変わってね)


 真弓は、心の中で手を合わせた。


 胎児はすぐに自分に近づいてきた掻爬棒に気がついた。恐ろしい侵入者に目を見開いている。


(うそっ!目が見えるの?)


 真弓は焦った。何も知らずに、胎児は掻き出されると思っていたのだ。この時、無常にも奪衣婆の「胎児には、視覚ができている」という言葉が頭を過ぎる。


「あぁ、やめて~!」


真弓の悲鳴が木霊した。胎児も必死で抵抗する。しかしすべてが虚しい抵抗なのだ。

 掻爬棒は、容赦なく胎児に絡みついた。そして、肉を引き千切っていく。子宮内に血が飛び散る。


「やめてよ~!」


なんて残酷なんだ!いくらなんでも、こんなやり方で生命を奪っていいの!?真弓は、目を逸らした。


「目を背けるな! しっかり見るんじゃ! おまえの兄なんじゃぞ!」

「!!!!」


 奪衣婆の大声にびっくりして、真弓は目を見開いた。そうだ!本来なら、自分の兄となる人だったんだ。


 胎児は、耳掻きのような小さな手で、掻爬棒を必死で追い払おうとしている。

 しかし腿の肉は裂かれ、腹に掻爬棒が喰いこみ、一気に内臓を毟り取っていった。


 胎児は、口から血を吐きながら最後の力を振り絞るように目を大きく開けた。

 目の前の惨忍な侵入者を睨みつけた。


 ついに頭の真ん中に、掻爬棒が突き刺さり、脳髄を引き千切った。胎児の顔が、左と右に大きく裂けていく。丸い目が虚ろに細くなり、肉と肉の間に埋もれていく。


 その顔を見た途端、真弓は体中に流れているすべての血が、氷のように冷たくなっていくのをどうすることもできないでいた。










 「……ラウラ⁉︎」






 そうだ。目の前で引き裂かれていく胎児。それは、まさにラウラだったのだ。




 「ラウラー!」



 泣きながら叫ぶと突然、真弓は激痛に襲われた。まるで、自分の体が絞られている雑巾になってしまったようだ。

 目の前の景色が、螺旋を描くように崩れていく。と同時に、物凄い吐き気を催した。


 突然、フラッシュを焚いたように明るくなった。手で光を遮りながら目を開けると、さっきいた小屋の中に立っているではないか。


「ここは……?」

真弓はまだ頭がボーっとしているようだ。

 すぐそばでは、ラウラが水子の煮込みを掻き込んでいる。


「どうじゃ? わかったかの? これが真実じゃ」

奪衣婆が土間より一段高い板の間に腰を降ろして、真弓をマジマジと見た。


「ラウラ……は、わたしのお兄さん?」


 奪衣婆は、返事の代わりに大きく頷いた。




(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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