第28話 「闇鬼・第2次遭遇/真弓の死」④

 沢村は、再び視線をメチャクチャになってしまった談話室へと移した。

 ラウラも、『闇鬼』が吹き飛んだ談話室へと細い目を動かした。

「真弓……! 用心しろ! あの野郎が出てくるぞ!」




ラウラがそう言った途端、談話室の奥で「ガラガラッ」と何かが崩れるような音がして、ガラスが一枚もなくなった窓枠から『闇鬼』がよろけながら姿を現した。


「ラウラ! 結界を破って、よくこの世界に来られたなぁ」

『闇鬼』は、ガラスが突き刺さって、血だらけになったブヨブヨのお腹を擦っている。

 ラウラは黙って『闇鬼』をキッと睨んだ。


 これに驚いたのは、沢村と宮脇だ。

「沢村さん、あいつ生きてますよ!」

 宮脇の大きな声が、ラウラの耳にも飛んでくる。


「真弓! このままだとあそこにいる刑事は、……『闇鬼』と戦うかもしれない。人間が持っている武器で、あの野郎を……やっつけられるわけがない! まずい……ぞ! 今度はあいつらの体が、……乗っ取られる」


「乗っ取られる! っていうことは、安良岡君が死ぬっていうこと?」真弓の顔が引き攣った。

「……あの刑事たち『闇鬼』を銃で撃つかもしれないぞ」


 ここで下手に手を出されては、困る。ラウラにとって、刑事の存在は邪魔だった。


 真弓とラウラが話している間も『闇鬼』は足を引き摺りながら、少しずつ近づいて来ていた。

「おい! ラウラ! この状況をおまえが一番わかってるんだろう? そんな傷だらけの体じゃあ、俺様を封印する力は出せねぇってことを!」


 踊り場の奥では、沢村と宮脇が暴行魔が血だらけになって談話室から出てきた事に驚いていた。といっても、二人にとって『闇鬼』は、あくまで普通の人間にしか見えない。逮捕すべき犯人なのだ。


「おい、さっきから何を訳のわからん事を一人で言っている! おとなしく両手を頭の上に乗せろ! 署に連行する!」

 沢村が再び『闇鬼』に向かって、銃を構えた。


「仕方ねぇ。あの刑事たちに『闇鬼』の実体を見せるしかねぇ!」

 疲れきって前屈みになっていたラウラの胸が一瞬ピンと張った。そして、両腕を沢村と宮脇に向かって伸ばしたかと思うと「闇の目!」と叫びながら、指の数が違う掌を思い切り広げた。


 その途端、沢村と宮脇の大絶叫が、この踊り場に木霊した。

 さっきまで普通の人間にしか見えていなかった『闇鬼』の姿が、化け物として二人の目に飛び込んできたのだ。


 安良岡の体を憑依した『闇鬼』。今や安良岡の姿は、ブヨブヨとしたただのデブではなかった。


 体中の毛穴から、青白い煙のような炎のようなものを噴き出し、それが陽炎となって体の周りを包んでいる。頭から背中にかけて、魚の背ビレのような尖ったものが盛り上がり、尻からは長く二本に割けた尻尾がジーンズを破って生えていた。爪は鋭く伸び、口は恐ろしく裂けていた。


「どうしたの? 沢村さんたち、何で大声を上げたの?」

真弓には、そこまでひどい安良岡の姿は見えていないのだ。


「俺の目の玉を貸した。あの刑事たちは『闇鬼』の実体を今、見ているところだ」

ラウラは平然と答えた。


「えっ!」

真弓は慌てて、ラウラの目を見た。すると、ラウラの細く小さな目が、洞穴のようにポッカリと落ち窪んでいるではないか。


「ちょ、ちょっと! そんなことしたら、沢村さんたちには『闇鬼』が見えても、あなたが何も見えなくなっちゃうでしょ!」

 「大丈夫だ。目なんかなくても、俺には何でも見える」

 ラウラは真弓に、穴の開いた目を向けて、再びニッと笑った。


「な、何なんですか? あそこにいる化け物? まさか着ぐるみを着てるんじゃないですよね」

 腰を抜かしそうになった宮脇だったが、何とか踏ん張っている。


「それよりも、見てみろ。天宮のそばにいる、小さな子供! この間、彼女は『ラウラ』という醜い座敷わらしがいると言ってたな。まさにそれだ!」

 沢村は、銃を構えた体勢のまま『闇鬼』とラウラ、交互に目を動かした。


「ラウラ! 貴様のせいで、この女をやれる状態じゃあなくなっちまった。それにこの男の体も、貴様の『闇イタチ』のせいで、ボロボロになっちまったしな」

『闇鬼』は左目を吊り上げながら、ラウラを憎々しげに睨んでいる。


「なぁ、ラウラ。俺たち、仲間じゃねぇか。一緒に手を組んで、この人間たちの世界をメチャクチャにしてやろうじゃねぇか。おもしれぇぞ!」

 この『闇鬼』の言葉に、素早く反応したのは真弓だった。


「俺たち……仲間? 仲間って……ねぇ、どういうこと?」真弓はラウラを見つめた。

 ラウラは困ったような顔をして黙っている。


「俺が教えてやろう! ラウラはなぁ、俺と同じ仲間!『闇鬼』なんだよ~」

『闇鬼』は、両腕を回しながら「クッククッ」と笑い始めた。


「どういうこと?」真弓の表情が固くなる。

「俺は、あんな野郎の仲間じゃないし『闇鬼』であるわけがない。……気をつけろ! 人の心を揺さぶるのが、奴らの手だ!」

 ラウラはひん曲がった唇を噛み締めて、真弓を見た。


「クッククッ……! 貴様こそ、人を騙すのが上手いもんだ。……可哀想になぁ。この女は、貴様を味方と思い込んじまったんだなぁ」

『闇鬼』は、大きく膨らんだ腹を長い爪でポリポリと引っかきながら迫ってきていた。


 当然、真弓は『闇鬼』の言葉など、鵜呑みにはしていない。でも……、と思うのだ。

 なぜ、ラウラはもっと強く『闇鬼』の言葉を否定しないのかと。


 いつのまにか『闇鬼』と真弓、ラウラの距離は五メートルほどまでに接近していた。

 その瞬間だった。

『闇鬼』の舌が、カメレオンのように突然伸びてきた。それも、鋼鉄の槍のように尖ったままでだ。


 一瞬、心に空白ができたラウラの腹を突き刺した。尖った舌は、そのまま背中の肉を突き破り、ラウラを串刺しにしてしまった。


「キャアアア!」


 真弓の絶叫が、踊り場全体を包み込む。

 ラウラは串刺しにされたまま、鞭のようにしなる舌に振り回され、コンクリートの地面に叩きつけられた。

「ゲボッ!」

 ラウラの口から、大量の血が吐き出された。


 ラウラは、結界を破るだけで精根を使い果たしていたのだ。そして、今『闇鬼』の攻撃の前にボロ雑巾のようになって、グッタリとコンクリートの床に倒れ込んでしまった。


「ラウラ!」

 真弓が倒れたラウラの元に走り寄った。それを待っていたかのように『闇鬼』が自分の喉ぶえを長い爪で切り裂いた。


「シャァーッ!」と音を立てて、大量の血が噴き出す。真っ赤な血と一緒に、黒い霧のようなものが夜空に舞い上がった。

 これこそ『闇鬼』の本体だ。


(し、しまった……。あの野郎……、真弓に……乗り移る気だな)

 ラウラは、見えない目ですべてを感じ取っていた。しかし今の体力では『闇鬼』を封印する闇の力を出すことはできない。


 ラウラは、倒れたまま崩れた顔を歪め、これしか方法はないのだ、という悲しい表情を浮かべて、右手を夜空に高く掲げた。

 そして、最後の力を振り絞るように叫んだ。


「すまない、真弓!死んでくれ!」

「えっ?」ラウラを介抱しようとしてしゃがんだ真弓は、ラウラの言葉に氷のように固まってしまった。


「結界!闇イタチ!」


 次の瞬間、ラウラが掲げた掌から、風が夜空に向かって舞い上がり、あっという間に渦となり、大きな竜巻となって真弓の頭のてっぺんから爪先までを包み込んだ。


 高速回転する竜巻に包まれた真弓の周りの空気は、あっという間になくなった。真空になっていたのだ。


「な、なんで……、こんなことするの? く、苦しい~」


 沢村と宮脇が急いで、飛んできた。竜巻に包まれた真弓を助ける術は何一つない。

 沢村は呆然と立ち尽くしてしまった。


『闇鬼』に……、いや、今では普通の人間の姿に戻っている安良岡の元へ駆け寄った宮脇も、ただ血を噴き出しながら倒れている青年を見つめる以外どうすることもできなかった。


 真弓を包んでいた風が少しずつ消えていく。真弓は力なく沢村の差し出した腕へと倒れこんできた。


「彼は絶命しています」と、血の気の引いた顔で宮脇が、沢村の所へヨロヨロとやってきた。

 沢村は、真弓を床に寝かして鼻をつまみながら人工呼吸を始めていた。


「くそーっ、助かれー!助かってくれぇ!」


 しかし、真弓の呼吸は完全に止まっており、胸の動きも確認できない。

「宮脇! 何をボケッとしている! 救急車だ! 早く救急車を手配しろ!」

 沢村の叫び声が、満天の星の下で虚しく響き渡った。


 この時ラウラは……、すでに姿を消していた。

 そして真弓の心臓は……、鼓動を停止していた。




(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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