第20話 「闇の子」②

「そんな怒った言い方しなくたっていいでしょ。それがわからないから、真弓に相談しに来たんじゃない」

 美香が涙をいっぱいに溜めて、睨んでいる。

「ごめん。ごめんね。つい、変な言い方しちゃって……」



「いいわよ、どうせ真弓には剣道しかないもんね」

「ちょ、ちょっと。わたしの剣道とは関係ないと思うけど……」

 真弓はまたまたカチン!ときたが、それ以上、口を開くのを躊躇った。


 きっと美香は昨日から情緒不安定になっているのかもしれない。

 自分のイライラをどこにぶつけていいのかわからないんだわ。

 真弓はそう理解した。そして、美香に思いっきり、何でも言わせようと思った。

 (とにかく、美香の力になりたい!)


「そりゃ、店長だってわたしより年上で、ひと回りも違うけど、30は過ぎてませんからね」

 美香の目から、また涙が一滴こぼれた。真弓は頷きながら、ハンカチを手渡した。


「両親にも言えないし。わたし誰に相談したらいいかわからない」美香はハンカチで顔を覆った。

「やっぱり最初に相談するのは、店長だと思う。勇気を出して、言ってごらんよ。もし言うのが怖かったら、わたしがついて行ってあげるから」真弓は美香の横に座って、肩を抱きかかえた。


 美香は真弓に寄りかかりながら「一瞬、堕ろすことも考えたんだ」と呟いた。

 真弓はその一言に、美香の肩に回した手が自分でも緊張するのを感じていた。

 子供を生むのも大変だが、堕ろすのはそれに匹敵するくらいの苦しさと痛みが伴う、と聞いたことがあったからだ。


「わたしの家ね……」美香がポツリポツリと話し出した。


「水子がいるんだ。わたしを生む前に、お母さんが堕ろした子なの。それでね、人に勧められてつい最近、水子供養をするようになったの。その人が言うには、水子供養をしないとその家に災いが来るって。言われてみれば、お母さんが交通事故にあったり、お父さんの会社が倒産したり、騙されて土地を取られたり、ろくなことがなかったもん。不幸になるのは、水子のたたりが原因だって」


 そう言って、美香はポケットから綺麗に畳んだ紙を取り出した。

「これ、その人が持ってきた水子供養のパンフレットのコピー。わたし、読んだことがなかったけど、自分がこうなったから気になって、昨日読んでみたの」


 真弓は、パンフレットのコピーを受け取った。美香の涙なのか、汗なのか、その紙は心なしか湿っている。きっと握りしめながら、一人でずっと読んでいたのだろう。


 真弓は折り畳まれた紙の皺を伸ばし、目を通し始めた。いきなり最初の部分でハッとした。そこにはこんなことが書いてあった。


『闇から闇へ葬られた水子を闇の子と呼ぶ地域がございます。当山では敢えて水子を闇の子とお呼びしております。


 戒名も無く、お葬式もされぬ闇の子には、よくお詫びし、償いをしなければなりません。闇の子は出産後の死亡と違い、親がすすんで生まれてくる子の命を絶ったのですから、ふつうの供養では闇の子の怒りを鎮めることはできないのです。


 親が堕胎を決めた時、胎児はどんなに驚き嘆き悲しんだことでしょう。胎児は、その苦しみを伝える術を知らないのです。


 あなた自身に、またはあなたの家庭に不幸がやってくるのは、これら闇の子の祟りなのです。はやく闇の子を供養してあげなければ、大変な災いが降り掛かってくるでしょう……』


 真弓は(まるで脅しだな)と思いながら読んでいた。と同時に、心の奥底からザワザワと得体の知れない気持ちが湧き起こってくるのも確かだった。


 それに『闇の子』という部分が妙に引っ掛かる。

『闇鬼』に『闇の子』。何でこうも『闇』という言葉が、目の前に現れるのだろう、と嫌な気分になってきた。


「これを読んでたら、堕ろすことなんか考えちゃいけないと思ったの。でもね、やっぱり生むのも怖い……」


 美香の肩が小刻みに震えている。

 わたしは今、美香にどんなアドバイスができるんだろう。真弓は美香の横顔をジッと見つめた。


 美香のお腹の中には、新しい生命が宿っているんだ。一人じゃないんだ。

 ついこの間まで、学校のことだけ考えていれば良かったのに、今は一つの命と向き合っているんだ。


 そんなことを思うと、美香がとても大人に見えた。一人の母親になるかならないかの選択を迫られている、大きな人間に見えてきた。

 でも、今は震えている。どうしたらいいかわからないで、震えている。


「以前、お母さんに言われたんだ。『鳥は巣作りをしてから、卵を産む。でも人間は、巣作りの前に赤ちゃんを作ってしまう。あなたは、そんな失敗はしないでね』って。わたし、お母さんのこの言葉の意味がわからなかったんだ。赤ちゃんができるのは、どんな成り行きであってもとても素晴らしく、尊いことだと思ってた。でも、それは違うよね。やっぱり、しっかりとした家庭ができてなかったら、不幸だよ」


 扇風機の風が、美香の汗ばんだ髪をほぐした。

「ちゃんとした家庭ができていれば、無条件で歓迎される子なのにね。それなのに……、こんなに障害物のように思われちゃうなんて……。お腹の赤ちゃん、可哀想だよね」


「違う! それは、違うよ! こんなに真剣にお母さんは考えてくれているんだって、赤ちゃんには伝わるよ! 美香の血や肉が、今お腹の赤ちゃんに注がれているんだよ。美香の気持ちだって、伝わるよ!」


 真弓の強い言葉に、潤んでいた美香の目がキラキラと光った。

「お母さん……、そっか、わたしはお母さんだ」


「そうだよ、美香はお母さんだよ。できたてホヤホヤのお母さん!」真弓は、頑張ってニッコリと微笑んで見せた。


 「そうだね。わたしは、お母さんだもんね」美香が、まだまだ膨らんではいない自分のお腹を擦り始める。


「水子の祟りがあるとかないとか、だから産むとか産まないとかなんて関係ないよね。お母さんになる覚悟さえできていれば、怖いものなんてないかもしれない」美香はそう言って、いつまでもお腹を擦っていた。


 美香の少し元気になった姿を見ていたら、今日は一人にしておけないな、と真弓は思った。そこで、今夜一晩、美香を泊めることにした。


 布団を並べて、今後のこと(店長や家族にどうやって話していくか)などの作戦会議を開かなくてはいけないと考えたからだ。


 どっちにしても、真弓は一人でいると眠れそうにないと思った。

 わざわざ美香の声色を使って、いたずら電話を掛けてきた奴が『闇鬼』なのか? が気になるし、さっき読んだパンフに書いてあった『闇の子』も気になる。


「闇の子」「水子」「祟り」……


 真弓は霊開寺で見た水子の絵をふと思い出していた。

 あの水子たちは血だらけになりながら、真っ暗闇の中を光の射す地上を目指して這っていた。


 地上に出たいのは……

 お母さんに復讐するため?

 産んでもらえなかった恨みをはらすため?


 いや、違う。あの水子からはそんな怨念は伝わって来なかった。あの絵からは水子の祟りなんて感じられなかった。

 あの絵を描いた人はいったいわたしたちに何を伝えたかったんだろう……。


 それに……。妙心さんはわたしたちの将来を占ってくれたわ。

 あの時、美香に「お腹を冷やさないように気をつけなさい」って……。


 このことだったのね……。


 あぁ、そんなことを考えてたら一晩中起きていそうだわ。

 しばらく寝不足が続くなぁ、と真弓は大きな欠伸をした。




(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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