第19話 「闇の子」①


 真弓は、眠い目を擦りながら美香を迎えた。時刻は夕方の4時を回っている。


 今日は、真琴が退院してくる日にもかかわらず母の清恵が夕べから臥せっているので、勝彦が会社を休み一緒に真琴を迎えに行って帰宅したばかりだった。


 真弓はラウラと明け方まで話していたため結局、3時間ほどしか寝ていない。今になって睡魔が襲ってきた。


「ごめんね、真弓。こんなときに来ちゃって」


 真弓の部屋は冷房がないため、扇風機の風量を『強』にして回していた。今日も温度計の目盛りは、30度を越しているだろう。

 真弓は、扇風機の風だけでは足りないとばかりに、団扇を美香に手渡した。


 それにしても、今日の美香は変だ。やけにおとなしい。正座をして俯いたまま、真弓が冷蔵庫から持ってきたりんごジュースを、ただジッと見つめている。


「氷が解けないうちに飲んだ方がいいよ。薄まるとマズイから」

真弓は睡魔に打ち勝つためにも、ゴクゴクッと飲み干した。

 お盆に置いたグラスの氷が一瞬、虹色に光った。


「昨日、すごかったね。あんなのをテレビで中継しちゃうんだから。美香はずっと見てたの?」

 真弓はマドラーを使って、氷をグラスから外に出そうとしている。


「テレビ中継って?」美香が真弓の手の動きを見つめながら、問い返した。

 プラスチック製のマドラーに、氷が滑ってなかなか取れない。


「えっ、だって美香、携帯くれたじゃない。見てる~? って!」

「わたし、真弓に携帯なんかしないよ。それにできないもん。失くしちゃったから」

 もう少しで取れそうだった氷が、グラスの底に「カランッ」と音を立てて落ちていった。


「えっ、ウソ! だって、あの声、美香だったよ。美香がわたしに……」真弓はそこまで言って、次の言葉を呑み込んだ。

「いたずら電話じゃないの?」美香がボソッと呟く。


 何で?確かに美香の声だったのに!

(まさか『闇鬼』!?)


 あの時、『闇鬼』に憑依された犯人は携帯を掛けていた。その途端に、私の携帯が鳴ったんだ。血の気が一瞬にして引いていく。


「真弓に携帯を掛ける心の余裕なんて夕べはなかったよ。だって、わたし……」

 美香はそこまで言って、次の言葉がなかなか出てこないようだった。


 真弓も美香も向き合って座っているのに、お互いがまるで違う世界にいるような時間が流れてゆく。

 そんな沈黙を破ったのは、美香の次の一言だ。


「どうしよう、真弓! わたし……、わたし、できちゃったよ」

「えっ、なに? 美香! 今何て言ったの?」

真弓の目が見開いた。


「だから、できちゃったって言ったの。どうしよう。ねぇ、わたしこれから、どうしたらいいの?」

 美香の目に涙がいっぱいに溜まってゆく。


 「できちゃったって……、赤ちゃん……が?」

 真弓の問いかけに美香はコックリと頷いた。


「ちゃんと、調べたの? 病院に行って来たの?」

 美香は、小さく頷いた。


「3ヶ月だって。生理があんまり来ないから、まさかと思って、診てもらったら……」

「店長の?」

「うん」美香の声が小さく震えた。


 美香は、近くのファミレスで剣道の練習のない日に不定期でバイトをしている。

 そこの店長と付き合っているのは知っていたが、まさかそこまでいっているとは、予想もしていなかった。


 真弓は、美香のバイト先のファミレスに行った時、遠くからその店長を見たことがある。

「あんまりジッと見ないでよ」と美香に注意されたこともあった。


 店長はバツイチだが、とても人当たりが良く、見るからに優しそうな風貌の人なので、もっと美香を大切にしてくれると思っていたのに。

 目の前で涙をグッと堪えている美香を見ていたら、その店長がメチャクチャ憎らしくなってきた。


「店長には、このこと話したの?」真弓の質問に、美香は力なく首を横に振った。

「何でよ!二人にとって大切なことでしょ!」

「言えないよ……」美香の目から、一滴涙がこぼれた。


「それに、わたしまだ高校生だよ。育てる自信、ないよ」

「ないよって言ったって……。じゃあ、どうするのよ?」


 こんな大事なことを相談に来た美香の心情はわからないでもないが、真弓はちょっとイライラしてしまい、言い方がきつくなってしまった。


「そんな怒った言い方しなくたっていいでしょ。それがわからないから、真弓に相談しに来たんじゃない」

 美香が涙をいっぱいに溜めて、睨んでいる。

「ごめん。ごめんね。つい、変な言い方しちゃって……」




(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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