第15話 「闇鬼・第1次遭遇/暴行魔の叫び」 ②

「お母さん、大丈夫?」真弓はもう一度訊きながら、瞬きもしないでテレビを凝視したままの清恵の顔を覗き込んだ。

 その清恵の瞳は、まるで遠いどこか違う世界を見つめているように真弓には映った。


「お母さん!」

真弓の声にハッと我に返った清恵は、「ごめんね、ちょっと気分が悪くなったから。……お父さんに何か作ってくれる?……お母さん、ちょっと休んでくるわ。……うぅん、大丈夫だから。一人にさせて……」清恵はそう言うなり、リビングから出て行ってしまった。


 母親のあまりにそっけない態度に、真弓は呆然と見送るしかなかった。ふとテーブルを見ると、勝彦がまるでさっきの自分と同じようにテレビに夢中になっている。

(もぅ!お母さんの具合が悪くなったっていうのに!気がつかないんだから!)


「ちょっと、お父さん!お母さんがね……」真弓がそう言った時だ。女性キャスターが、突然、実況を始めた。


「みなさん、見えるでしょうか?犯人が胸ポケットから、何かを取り出しました。あっ、携帯です。携帯電話です。どこかへ電話を掛ける模様です。……カメラさん、もっと寄れませんか? 犯人の口元。アップ無理ですか?」


 女性キャスターの声が視聴者とスタッフの区別なくマイクを通して聞こえてくる。現場はとても混乱しているのだ。

 どうやら犯人は、人質の陰に隠れて携帯をしているようだ。画面では、そんな映像が映し出されていた。


 と、その時、テレビの音声以外聞こえなかったリビングに、木村カエラの『Magic Music』の着メロが鳴り響いた。

真弓の携帯だ。これには、真弓も勝彦も体がビクン!と反応してしまった。


 真弓は、発信者の名前を確認して、ホッとした。美香だ。まさかとは思ったが、犯人かと思ってしまったのだ。

(そんなことあるわけないか)真弓は急いで、携帯を開いた。


「どうしたの、美香? びっくりしたよぉ」携帯はオープン通話になっているので、すぐに会話ができる。


「ごめん、ごめん。ねぇ、真弓、テレビ見てる?」

美香の声が興奮していた。同じ番組を見てるんだな、とすぐにわかる。


「うん、見てる! 小戸吹店人質事件のライブでしょ。もう、美香ったらびっくりさせないでよ! 犯人が携帯した途端に、私の着信が鳴るんだもん。犯人からかと思ったよ。タイミング良すぎ!」


 真弓は、家の近くで大事件が起きているというのに、不謹慎な言い方だったな、とちょっぴり自分を恥じた。


「見てればいいんだ。見てなかったら教えてあげようと思って……。早く犯人捕まるといいね。それじゃあ、またね」

それだけ言って、美香はあっという間に携帯を切ってしまった。


 「変な美香……」もうちょっと話したかったのに、と真弓がちょっぴり口を尖らせていると誰かに袖を引っ張られた。といっても父親の勝彦は、ビールを飲みながら、テレビに釘付けだ。真弓の袖をつかめる筈がない。


 ハハ~ン、さてはラウラね。真弓が振り向いて下を見ると、案の定ラウラがちょこんと立っている。


「どうしたの? 久しぶりね」昨日の夕方会ったばかりなのに、そんな言葉が口をついて出た。なぜだか真弓にとっては、ラウラが身近に感じる存在になっていた。


「おい、早くこの動く絵を記憶しろ!」

「はぁ?」いきなりそう言われても、真弓には何のことかピンとこなかった。


「なぁに? もしかして、テレビのこと?」 

 ラウラは首を上下に動かし、テレビを指差している。


「記憶しろって言われても……。どうやって……? わたし、そんなに頭良くないし」

「おまえ馬鹿だな。この箱に記憶する道具がついてるだろ」


 あからさまに馬鹿などと言われてしまい、真弓はムッとした。

「どうせ、わたしは馬鹿ですよ! ベェ~ッ!」


「おい、真弓! さっきから何を独り言言ってるんだ。ちょっと静かにしなさい。もしかすると、犯人が人質を解放するかもしれないぞ」

 勝彦の声に真弓もすぐに反応した。そっか、お父さんにはラウラの姿が見えないんだ。


 真琴には見えたのに……。もしかすると、ラウラの姿は子供のわたしたちにしか見えないのかしら。


 そんなことを考えながら、真弓はテレビに目を移した。

 本当だ。犯人が鷲摑みにしていた人質の髪の毛から手を離している。


「早くしろってば! 早く! 早く!」ラウラが執拗に真弓の袖を引っ張った。

「わかったわよ!うるさいわね!まったく!」


 「おい、うるさいとは何だ!うるさいとは!お父さんに向かって!」

 「あぁ、ごめんなさい。違うの、お父さんに言ったんじゃなくって」


真弓は勝彦に(ちがうちがう)と片手を振りながら、テーブルに置いてあるテレビのリモコンを取った。


(えぇと、HDDの録画ボタンは……と。あっ、これね)

テレビにリモコンの録画ボタンを向けた時だ。女性キャスターの絶叫が、日本中の茶の間に響き渡った。


 人質の髪の毛から手を離した犯人の片腕が、女性の首に巻きついた。グイグイ締め上げながら、女性の耳元で何かを囁いている。


 人質の女性は、涙を流しながら自分のブラウスのお腹を捲り始めたではないか。

 とても白くて綺麗な女性のお腹が見える。

 一体犯人は何を企んでいるのか? と誰もが思った瞬間だった。


 犯人がズボンのサイドポケットからあっという間に大きなナイフを取り出し、女性の腹に突き立てグサリと刺したのだ。そして真一文字に引いてしまった。


 鮮血がほとばしる。女性が大きな口を開けて、悲鳴とも叫び声ともわからない声を上げて顔が歪んだ。


「キャーッ!」

この瞬間、女性キャスターだけではない。テレビを見ていた真弓も驚愕の声を上げて顔を覆った。勝彦もビールを床に落とした。

 一体この時、日本中で何万人、いや何十万人の視聴者が同時に叫び声を上げたのだろうか。


 しかし、犯人の鬼畜ぶりは終わらなかった。ガクンッと膝から崩れ落ちる女性の首を猶も締め上げながら、今度は自分の首にナイフを翳した。


 何か大きな声で喚いている。その途端、ナイフで自分の首を思いっきり引いたのだ。

 今度は、ほとばしるどころではない。ドス黒い血が噴水のように吹き出した。


「もうイヤだー!」

真弓は大声で叫び、リモコンのスイッチを押そうとするが、恐怖のあまり手が震えてしまい、リモコンをソファに落としてしまった。勝彦が急いで飛んできて、テレビを切った。


「こんなことになるとは……、まったくなんてことだ! こいつは、テレビ局と警察に猛抗議がいくぞ!」

 勝彦はブツブツ言いながら、床にこぼしたビールを拭き始めた。


「おい、見たか?」ラウラが真弓の顔を覗きこみながら呟いた。

 「いやでも見ちゃったよ。もうイヤだ。何であんなことするの……」真弓の声が震えている。涙も溢れてくる。


 しかしラウラの次の一言で、真弓は氷のように固まってしまった。

「いまあの男の体から『闇鬼』が噴き出したんだ。ついに出てきたぜ!


「!!!!!!」

真弓の目が大きく見開き、ラウラの顔を凝視した。


        ……つづく


(闇鬼は毎月、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新します)

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