第16話 「沢村刑事の推理」①


 翌日、全国から押し寄せるテレビ局と警察に対する非難、苦情は後を絶たなかった、というより凄まじいものだった。


「夕食時に、何であんな中継を放送したんだ!」

「ライブなどせずに、テロップだけで済ますことはできなかったのか!」

「犯人が人質に対して凶行に及んだ時点で、画面を切り替えることはできなかったのか!」

「人が苦しんでいる姿を映像化してまで、視聴率を稼ぎたいのか!」

「人道上の問題を考えろ!恥を知れ!」

「妻があの残酷なシーンに、気絶してしまい具合が悪くなってしまった。どうしてくれるんだ!」

「あの場面を見てしまった娘が、外に出るのが怖いと言っている。精神的ショックが大きい。慰謝料よこせ!」



 テレビ各局はワイドショーどころではなく、これらの対応に追われる破目になってしまった。そして、警察に対する批判の声が過去最高に達してしまうのも言わずもがなだった。


「警察は一体何をやっていたんだ!」

「犯人が惨忍な犯行に及ぶ前に、人質救出を強行できなかったのか!」

「犯人の名前がわかっていたのなら、このような事態になる前になぜ逮捕できなかったんだ!」

「報道規制を布くべきではなかったのか!」

「一体何人の警察官が現場にいたのだ!」

「警察やメディアに取り囲まれたせいで、犯人の気分を高揚させてしまったのではないか!」

「全国民に与えた精神的ショックを、警察はどうやって拭うのか!」

「強行突破ができない警察は、もう信用できない!」



 ここ北八王子警察署内にある電話回線は、全国から押し寄せる批判の声でパンク寸前だった。

 必死に謝罪を繰り返している婦人警官の声が、休む間もなく部屋の中に響き渡る。


「おい、香織ちゃんよぉ、電話なんだからそんなにペコペコ頭下げなくたっていいんだぜ。適当に答えとけよ」


今朝から電話の応対を続けている婦人警官の前を通った沢村は、ネクタイを緩めながらそう言った。


 沢村は、見た目はまだ三十前後。起きたばかりの眠そうな顔で、無精髭を生やし、クシャクシャの髪の毛をポリポリと掻いていた。


「何言ってんですか! だったら沢村刑事、代わりに電話出てくださいよ! まったくもう! こっちだって大変なんですからね!」


 自分の声が相手に聞こえないように受話器を押さえながら文句をひとしきり言って、婦人警官はまた電話に向かい頭を下げ始めた。


 沢村は、シャツの背中が汗でベッタリとくっついてしまう気持ちの悪さを表情に浮かべて「冗談だよ、冗談!」と言いながら、軽く両手を振った。


 今日はやけに暑い。昨日と気温は変わらないのに、湿度がやけに高く感じた。

(もしかすると、俺の頭ん中が怒りで煮えたぎっているせいかもしれんな)


 沢村はズボンの尻ポケットから、扇子を取り出して仰ぎながら、二階にある狭い一室へと向かった。

 ドアの横には、大きな紙が貼ってある。そこには『連続婦女暴行殺人未遂事件特別捜査本部』と書いてあった。


「失礼します」沢村は、ドアをノックして部屋に入った。中には長い机を挟んで、三人の刑事が腕を組んで難しい顔をしている。

そばには、白い手袋をはめた小柄な男が立っていた。きっと機動鑑識官だろう。


 一番年配で白髪混じりの刑事が、眉間に皺を寄せながら「おい、沢村遅いぞ!」と振り返った。

「すみません」沢村は一言だけ言って、みんなの中へと加わった。


 沢村は小さな声で「これだけ世間を騒がせた事件だっていうのに、チッポケな捜査本部だな」と隣の若い刑事に呟いた。


 「おい沢村、口を慎め!」

もう一人の年配の太った刑事に睨まれた沢村は、少し首をすぼめるポーズをしたが、悪びれる様子はない。


(まぁ、犯人が死んじまったからな。被害者も命に別状はなかったし……)

 沢村はそんなことを考えながら、両脚を広げた。


 小柄な鑑識官は、突然部屋に入ってきて話の腰を折った沢村を一瞥して、再び説明を始めた。

「……それで、犯人がどこかに電話を掛けたと見られる携帯電話がこれです」


 小柄な鑑識官がテーブルの上にある、いくつかの遺留品の中の一つを取り上げた。それは透明のビニールに入った、携帯電話といわれてもまるでその痕跡を留めていない物体だった。


「すごい!グチャグチャに潰れてますね」この中で一番年の若そうな刑事が覗き込んだ。

「えぇ、上と横から力が加わった潰れ方です。まるで大型の圧縮機でプレスしたみたいにひしゃげています」


「しかし、犯行現場に圧縮機などなかったからな。犯人は電話をした後、携帯をすぐに床へ放り投げている。その後、犯人は携帯を手にしていない。そして、我々が現場へ踏み込んだ時には、すでに携帯はこの状態だったというわけだ」白髪混じりの刑事が説明を続けた。


「ということはだ。犯人が自分の力で、この携帯電話を押し潰したということになる。ここで死んでしまった犯人の怪力についてクドクド話すつもりはない。犯人はなぜ、携帯を潰す必要があったのか? だ」

そう言って、チラッと沢村を見た。


「ふむ。まあ、きっとどこへ電話を掛けたか、バレるのが嫌だったんでしょう。犯人があの時点で自殺を覚悟していたとすれば、家族または愛人の声が聞きたくなったのか? それとも、どこかにレツ(共犯者)がいるのか?」

「えっ?単独犯ですよね。今回の事件は?」若い刑事が口を挿んだ。


「あいつはあの時『ついに見つけた』とか『待ってろ!おまえの所へ行く』とか言ってたよなぁ。考えてもみろ。これから死んでいく人間が、誰の所へ行くっていうんだ? その見つけた奴の居場所を、誰かに電話で教えたってことも考えられる」

 沢村はそう言って、鑑識官に視線を移した。


「で、どうなんです?鑑識官……」

そこまで言って、沢村は鑑識官の胸に付いているネームプレートをチラッと見た。小野と書いてある。


「で、小野さん、この状態からどこへ電話をしたか割り出すことは可能なんですか?」

 小野は「まぁ、わからないことはないですが、ここまで潰れているとデータを復旧させるのに時間は掛かりますねぇ」と顔をしかめた。


「誰に電話をしたかすぐに特定はできないだろうが、携帯の電波を中継した基地局アンテナはわかる筈だ。この線で調べを進めてみてもらえないかな。どうだろう?」

太った刑事が腕組みをしたまま小野の顔を窺った。


「熊沢さん、その点はすでに携帯電話会社の通話記録を調べているところです。基地局の送受信記録が一致すれば、どこに電話をしていたか、今日の夕方にも地域を限定できますよ」小野は、潰れた携帯を受け取りながら言った。


「小野ちゃん、それは助かる。なにせ宮崎の口元が全然撮れてなかったからね。テレビ局の奴ら、あそこまでやりたい放題やりやがって、肝心な所が抜けてるんだから参るよ」

白髪混じりの刑事がそう言って、タバコに火をつけた。


「ゴンちゃん、そう言いなさんな。マスメディアのみなさんも昨日の失敗で相当反省しているだろう。この後は、ここにいる沢村と宮脇にしっかり掃除をしてもらえれば、このヤマは終わりだ」

熊沢も胸元からタバコを取り出しながら、沢村と宮脇という若い刑事に視線を送った。


「えっ! 俺がこのヤマを続けるんですか? 権堂さん、俺なんにも聞いてないですよ」

沢村はそう言いつつ、宮脇と呼ばれた若い刑事をチラッと見た。中肉中背だが、優しそうな顔が頼りなく感じる。


「だったら、いま通達する。沢村と宮脇に、被疑者死亡のまま『連続婦女暴行殺人未遂事件』の担当を命じる。なあに、大丈夫だよ。すでに犯人は自殺してるんだ。携帯電話の通話のウラさえ取れれば、このヤマは終わりさ」


「まあ、権堂さんがやれとおっしゃるなら、こんなヤマすぐに挙げてみせますけどね」

沢村は、少し目を細めて髪の毛をたくし上げた。


「とにかく俺は夕べからムシャクシャしてるんですよ。あの宮崎の野郎、俺たちの交渉には応じない。たっぷり時間を掛けて、いざ機動隊が犯行現場へ突入しようとしたら、あの凶行に及んだでしょう。まるでそれがわかっていたかのように……。あの野郎の横っ面、五、六発ぶん殴らなかったら、俺の腹の虫が納まらないですよ。結局、仏になっちまったら、この怒りのもって行き所がない!」


「沢村、今更そんなガキみたいなこと言うな。誰もみんな気持ちは同じさ。不幸中の幸いといえば、グニゴム(人質)のお嬢さんの命が助かったということだ」

権堂は、沢村の肩を叩きながら、そっと耳元で囁いた。


「宮脇の手前、こんなことを言ったが、おまえの気持ちは良くわかっている。妹さんのことがいつまでも頭から離れないのだろう。ただ、おまえとコンビを組む宮脇はまだ新人同然だ。いきなりやばいヤマにはつけられんからな。あまりカッカしないで、いろいろ教えてやってくれ。頼む」


「やめて下さいよ。そんな、頭下げられちゃうと……参るなぁ。大丈夫です。仕事はきっちりこなしますよ。ちょっとだけ、胸のもやもやを吐き出したくって。すみません」

 沢村は、ヤニの臭いに息を止めて、ピョコンと頭を下げた。


「さあ、それじゃあ宮脇、パッパッと終わらせような!」

 「はい、沢村さん。宜しくお願いします」

 宮脇は頬を紅潮させながら、直立不動の姿勢をとった。

 沢村は、手持ち無沙汰にしている小野に向き直った。


「ところでこの携帯なんですが、宮崎の物なんですか? 害者のということはないんですか?」

「その点は、すぐに調べておきました。この携帯は犯人のものではありません。きっと、犯行に及ぶ前に盗んだのでしょう」


 小野はテーブルの上の遺留品を片付ける手を止めて、振り向いた。

「携帯の持ち主もわかっています。製造番号が微かに残っていたので、すぐに割り出せました。持ち主の名前は、立花美香、十七歳、黒辺高校に通う高校生です」


「まさか、その女子高生も被害にあってんじゃないだろうな」

 沢村は、美香の住所を訊くとすぐにネクタイを締めなおして、宮脇と連れ立って捜査本部を後にした。



(闇鬼は毎月4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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