第14話 「闇鬼・第1次遭遇/暴行魔の叫び」 ①

 真弓は図書館から、そのまま真琴の病院に向かった。

「今日はラウラ君は来ないの?」とつまらなそうな顔をされてしまった。

 そういえば、ラウラは昨日から丸一日姿を見せていない。来なければ、来ないで気にはなる。


 帰宅した後は、竹刀を握り1 時間ほど素振りに汗を流した。真弓は素振りの稽古を毎日欠かしたことがない。

夕方とはいえ、蒸しかえるようなジメジメした暑さの中を防具をつけての稽古だ。こんなことでへたばっていては、とても秋の大会で優勝するなんて夢のまた夢だ、と自分を鼓舞しながら素振りを続けた。


 ひと汗掻いた後のシャワーは気持ちいい

(お父さんはよく仕事の後の一杯は上手いなぁ、なんて言ってビールを飲んでいるけど、大人にならないとあんな苦い飲み物のどこが美味しいかなんてわからないのかなぁ)

 シャワーを頭から浴びながら、真弓はそんなことを考えていた。


 夕食は冷凍食品のピラフだ。清恵から、病院で会社帰りの勝彦と待ち合わせをして2人で帰宅するとさっき電話があった。


 真琴も無事に退院してくるし、ホッとしている真弓。それでは……と、大好きな『エンタのトビラ』を心おきなく見ようかなぁとソファでくつろぎ、ソフトクリームを舐めていたその時だ。


「番組の途中ですが、ここで臨時ニュースを申し上げます」

「えぇ、何でよ~。せっかく面白いとこなのにぃ」真弓の頬っぺたが膨らむ。


「夕方、八王子の『八成スーパー・小戸吹店』〈ハチナリスーパー・コトブキテン〉で女性事務員を人質に立てこもっていた事件に新しい動きがあった模様です。番組の途中ですが、現場から中継をお送りします」


(えっ?そんな事件があったんだ!)

『小戸吹店』といえば、ここから近い。帰宅してからテレビを付けなかったからわからなかった。


『八成スーパー』は、八王子を中心に展開しているスーパーの老舗で、いくつもの店舗を抱えている。清恵がパートをしているのは、その中の『美花山店』だ。真弓は一瞬にしてテレビに釘付けとなった。


「山田さん!何か新しい動きがあったということなんですが、人質が解放されたのでしょうか?」画面はスタジオからすぐ現場に切り替わった。


「はい、こちら八成スーパー・小戸吹店正面です。ほんの数分前です。立てこもっていた犯人が人質を盾に、スーパー2階の窓枠から出てきました。これがその時の映像です」


 画面には、痩せぎすの男が若い女性事務員の髪の毛を鷲摑みにして、首には登山ナイフのような刃物を立てている映像が映し出された。


 女性の頭をグリグリと回しながら、犯人が何か喚いている。人質の女性は、23、4歳くらいだろうか? 画像がぼやけているので、表情まではわからない。


 (あぁ、人質の女性が可哀想!)

真弓は手に垂れたソフトクリームも気がつかず呟いた。


  画面が切り替わった。カメラがグッと引いて、スーパー全体を映し出している。テレビからは、すごい雑音と誰が喋っているのかわからない声で溢れ返っていた。


「ここ『八成スーパー・小戸吹店』は、八王子駅から……」

山田と呼ばれていた女性キャスターが、スーパーの位置を説明し始めた。それと同時に「バラバラバラバラ……」とヘリコプターのけたたましい音が、テレビのスピーカーから流れ出す。


 すでに夜八時を過ぎており、暗闇にくっきりと白い建物が浮かび上がっている。スーパーの周りに蟻んこのように見えるのは、たくさんの警察官や報道陣なのだろう。

 真弓が今までに見たことがないライブ映像が、目の前で展開されているのだ。


「ただいま入った新しい情報です。犯人は、いま世間を騒がせている『連続婦女暴行魔』ではないかという新しい情報が入りました。え~、それから……」


事件のライブを報道する女性キャスターが忙しなく、ニュース原稿を受け取る紙の擦れる音がガサガサと耳に障る。


「犯人の名前がわかりました。……えっ、これ確定ですよね。読み上げて大丈夫? はい……、はい。……えぇ、失礼しました」


 キャスターも大分慌てているみたい。臨場感が伝わるなぁ、と真弓はいつの間にか、テレビに釘付けになっていた。


「犯人は『ミヤザキツトム』と判明しました。宮城の『宮』に、川崎の『崎』、ツトムは努力の『努』です。年齢は、46歳。宮崎は、今から28年前に女性を暴行、および路上での引ったくり、店主刺傷事件などを繰り返し、5年間服役しています。拘置所を出てからの足取りは不明でした。えぇ、そしてこのことがわかった経緯ですが……」


「ただいまー。真弓、帰ったわよー」

玄関のドアが閉まる音と同時に、勝彦に続いて清恵がリビングへ入ってきたが、真弓は全然気づかない。


「まあ、そんなに近づいてテレビ見たら目が悪くなるでしょ!」

清恵が買い物袋を床にドサリと下ろす。リビングとダイニングキッチンは、フラットカウンターの対面式になっているため、一瞬、清恵の姿が消えた。

勝彦は何があったんだ?という顔で突っ立ったまま、ネクタイをほどき始めた。


「おかえりなさい。お母さん、大変なのよ。お母さんがパートで行っているスーパーで、犯人が女子事務員を人質にとって立てこもっているの」


真弓が上ずった声でそんな言葉を発した途端「えぇ? 美花山店!?」と清恵も玉子を持ったまま、テレビに見入った。


「うぅん、小戸吹店だって。人質になってる人、誰だかわかる?」

真弓にそう聞かれても、ただただびっくりしてしまい、清恵は立ち竦んでいた。


「あっ、ここで犯人が大きなメガホンを取り出しました。どこに隠し持っていたのかわかりません。先ほどから大声で怒鳴っていただけなので、初めて犯人の肉声を聞くことができます」次の瞬間、大写しになった犯人の映像が流された。


「おい!見つけたぞ!そんな所にいやがったのかぁ!ついに見つけたぁ!」


 女性事務員の髪の毛を相変わらず鷲摑みにした犯人のかなりしゃがれた声が茶の間に流された。今度は恐怖に顔を歪めている女性の表情がハッキリとわかる。


 テーブルのそばに椅子を引き寄せて座った勝彦が「おいおい、夕食自分にこんなライブ中継していいのかい?」と首を捻りながら、缶ビールを「プシュッ!」と開けた。


「俺はこの日を待っていたんだ!……ずうっとなぁ!待ってろよぉ!今すぐにおまえの所へ行ってやるからなぁ!」


「パシャーン!」と、リビングの後ろで音がした。真弓がびっくりして振り返ると、冷蔵庫にしまおうとしていた玉子を清恵が床に落としてしまったらしい。


いつもなら「あら、イヤだ!」と、笑ってすぐに片付ける清恵なのだが、その場に突っ立ったまま呆然としている。

 「お母さん、大丈夫?」真弓はすぐ清恵のそばに飛んで行った。床には白い殻と黄身がグチャグチャになって散乱していた。


「わっ、お母さん勿体ない! 8個も割れちゃってるよ」

真弓は、そう言いながらそばにあった新聞紙を丸め、黄身と白身を吸い取りながらふと、いつまでも立っている清恵を見上げた。


 驚いた。その場にいるのは、自分の母親ではないような気がした。顔から血の気が失せていて、真っ白ではないか。


「お母さん、大丈夫?」

真弓はもう一度訊きながら、瞬きもしないでテレビを凝視したままの清恵の顔を覗き込んだ。

 その清恵の瞳は、まるで遠いどこか違う世界を見つめているように真弓には映った。


        ……つづく


(闇鬼は毎月4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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