第2話 「霊開寺の妙心尼 」②




 さっきからずっと黙って絵を凝視していた鹿間が「まさか…この絵は…九相詩絵巻…!」


 そう呟いた途端、背後から「よくご存知ですね!」と女性の綺麗な声が響いてきたものだから、絵を夢中で見ていた5人はハッとして振り返った。


 そこには透き通るような純白の法衣を纏った尼さんが立っている。


「あー、びっくりしたぁ!」美香が尼さんの突然の登場にビビりながらもその美しさにホッとしたようなため息をもらした。


「驚かせてしまい申し訳ありません。本山の住職を務めております妙心と申します」


 妙心と名乗る尼さんは歳の頃なら40代前半、色白でふくよか、うっすらと浮かべた笑みに心を吸い込まれそうな美しさがあった。


「おっしゃる通りこの絵は九相詩絵巻です」


「九相詩絵巻は所蔵が決まっていると思っていました。まさかこちらで拝観出来るとは…」と鹿間が少し興奮気味に語った。


「はい。特別展ですから」


 妙心尼は5人に向かって語り出した。


「どうぞご覧になりながらご説明致します。古代中世の人々は屍の腐り果て朽ちゆく様を見て人生の無情を悟ろうとしたのです。悲しいことですがこの世に生あるものは必ず死を迎えます。その儚い死への旅立ちを9枚の絵に留めたのです」


 妙心尼は1枚1枚の絵を指差しながら話を続けた。


「まずこちらの絵は死後、屍が腐敗によるガスの発生で膨らんでいく様子です。これを脹相〈ちょうそう〉と呼びます。次に壊相〈えそう〉と言って屍の腐乱が進み皮膚が破れていく様を描いています。そして血塗相〈けちずそう〉では、腐乱がさらに進み脂肪、血液、体液が溶けて体外に滲み出しているところです」


 そこまで聞いた途端、美香が「オエッ!」と言って絵から視線を逸らした。


「見るも失し いかにかすべき我が心 かかるむくいや罪のありける…と詠んだのは西行法師です。おつらかったらどうぞ先にお進みください。奥に椅子が用意してあります」


 妙心尼の言葉に大丈夫です、と手を小さく振って美香はペコリと頭を下げた。


「このあと屍は…」と妙心尼の説明は続く。


「……生きとし生けるものはすべて土に返るのです」


「ハァ〜」妙心尼の9枚の絵の説明がすべて終わったらしいので、鹿間を除く4人の口からため息ならぬ吐息が出てしまった。


「では次の展示をご案内いたします」

 歩き始める妙心尼に5人も続いたが鹿間以外の足取りが重い。


 突然「あっ!」と鹿間が大きな声を出すものだから真弓と美香はビクンッと震えた。

 九相詩絵巻を観ている途中から美香は真弓の左腕にしっかりしがみついていたものだから美香の動きに真弓も反応してしまう。


「ちょっと〜!大きな声出しておどかさないでよ!」そんな美香の声を無視して鹿間が妙心尼に尋ねた。


「こちらには写真撮影禁止の表示が見当たりませんが、写真を撮ってもいいのでしょうか?」遠慮することなく鹿間は言葉を続けた。


「実は修学旅行で京都散策のレポート提出があって、写真があると助かるんです」


 妙心尼は一瞬躊躇した素振りを見せつつ「はい、お役に立つのであればよろしいですよ」と答えた。


「おっ、やった!ありがとうございます」そう言うと鹿間は4人を振り返り「みんなの分も後で焼き増しして渡すよ」と明るく微笑んで、デジカメで九相詩絵巻を最初の1枚からパシャパシャと撮りまくり始めた。


「撮影は彼に任せて次に進みましょう」そう言うと妙心尼は板の間の廊下を音も無く歩み出した。

 4人もどちらかというと恐る恐る着いて行く。


 九相詩絵巻が壁に並んでいた長い廊下を右に折れると、またしても長い板敷きが目の前に広がった。

 左手にはさびれた温泉宿にあるような木枠の格子窓が据えられ、右手には再び多くの絵が壁に掛けられている。


 まさに障子1枚分はあろうかという大きな絵にはまたしても残酷な場面がありったけの天然色で描かれていた。

 しかし古い絵のようで、大分色落ちしていることは否めない。

 しかし…リアルである。


 痩せ衰えてお腹だけが膨らんだ人々が1枚1枚に描かれていた。

 ある1枚では鉄の鎖で手足を縛られ、針の山を歩かされている。

 足の甲に太い針が突き刺さり、それを抜きながら歩かなくてはならないため、痛みに顔は歪み前を歩く人の背中にしがみついている人やなかなか歩かない人を金棒を持った鬼が突き飛ばし、針が足の甲を裂いて絶叫をあげている人々が描かれている。


 ある1枚では、鬼が大きなペンチのようなもので人々の口の中から無理矢理に舌を引き抜いている。

 人々の顔は歪み、顔中が血だらけになっていた。


 またある1枚では、太い竹が口の中に突き刺さり、肛門から飛び出している。

 体を真っ直ぐにしなければ歩けない状態にして、真っ赤に燃えた炎の山に入るよう、鬼に突き飛ばされていた。


 こんな残酷なシーンが何枚も壁に貼り出される中を真弓たちは歩かされていた。

 まるで自分たちがその場面に入っているようなイヤ〜な気持ちになってきた。


 たまらず美香が小声で切り出した。

「ねぇ、ちょっとヤバいよ、このお寺。変な絵ばっかりあるじゃん」

「確かに!おばあちゃんの墓参りに行くお寺にこんな絵は1枚もないもんなぁ」諸星がそう答えると「それにこのお寺、ちょっと広すぎ!外から見た時はこんなに広く感じられなかったわ」と真弓も囁いた。


「ギシッ、ギシッ…」と床を踏む音も耳に入らないくらい4人は絵を見つめていた。

「あれ?これって俺たちが行こうとしていた矢田寺の地獄絵図じゃないの?」

 九相詩絵巻の撮影から戻ってきた鹿間がつぶやいた。

 するとそばでずっと絵に見入る5人に妙心尼が答えた。


「矢田寺の地獄絵図は実際に地獄を見てきた満慶上人の証言のもと描かれたものですが、こちらにある絵も実際に地獄に行った武士が自ら描いたものです」


「えぇ!お侍が自分で描いたなんて武芸に秀でた方だったんですね!」

 真弓がまるで絵の気味悪さを払拭したいがためにやたらと感心してみせた。


 何枚目かの絵で突然岩田の足が止まった。

「おっと〜!急に止まんないでくれる?それでなくても足元暗いんだから!」がっちりとした岩田にぶつかりそうになった美香が少しムッとしていた。

(それでなくてもここから早く抜け出したいと早歩きしてるのに!)が美香の本音だ。


「あっ!悪い悪い。…でもさ、この絵見てみろよ。大鍋に大勢の人が放り込まれているだろ。この鍋の中の汁がやけにドロドロしててさ。マグマかな! と思ってちょっと熱い!」


「いや、熱いどころかマグマだったら骨まで溶けちゃうよ。熱湯だろう」鹿間が苦笑している。


 すると妙心尼が驚きの説明をしてくれた。

「いえ、これはマグマでも熱湯でもありません。グツグツと煮込んだ大量の糞尿です」


 妙心尼の説明が終わるか終わらないうちに「オエッ!」と真弓が口を押さえた。

 「ねぇ、ちょっと、今度は真弓?…大丈夫?」さっきオエッをした美香が真弓の背中をさすった。

「うん、大丈夫!美香、サンキュ!」真弓は照れながら「もう!大好きな煮込みカレーが食べられないよ」と苦笑した。


「それでは最後にこの部屋へどうぞ」と妙心尼が5人を招き入れたのは地獄絵図が掛かっていた真っ直ぐな回廊を右に折れた大きな本堂だった。

 かなり広い。そして天井が高い。まるでプラネタリウムができるように円形をしている。が、やはり照明は暗かった。

 その広い本堂の左の壁に、縦8m、横4mはあろうかという巨大な絵が掛かっている。


「えっ!何!この絵!」と美香が大きな声を出すのも尤もだ。


              …つづく


(闇鬼は、4、8、12、16、20、24、28日に更新予定です)

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