闇鬼

西野新葉

第1話 「霊開寺の妙心尼」①

「此れはこの世のことならず

 死出の山路の裾野なる

 賽の河原のものがたり


 この世に生まれる甲斐もなく

 親に先立つありさまは

 諸事の哀れをとどめたり…」



 真弓の耳に聞いたこともない不思議な声が響いてきた。

 辺りを見渡すと、そこは荒れ果てた岩がゴツゴツと転がる暗闇の世界。


(えっ⁉︎ なんで私、こんな所にいるの?)


 遠くに見えるのは人影だろうか?

真弓はジッと目を凝らして見た。

どうやら幼子(おさなご)が河原の石を積んでいる。


 (おかしい…。私はさっきまで剣道場にいた筈…)


 すると突然真っ黒な地面から人の手が…!

真弓はあっという間に地中に引きずり込まれてしまった。


 目が覚めると、何処かの廃屋だろうか?

いや、そんなことよりも身動きが取れない私の体!

 気がつけば板の間に大の字にされ、頭の方から1人の男が両腕を。2人の男が足首をグッと引っ張って足は広げられた状態になっている。


 目の前には痩せこけた鋭い眼光の男が自分を見下ろしている。

 その男は「すぐに気持ちよくしてやるからなぁ」と薄ら笑いを浮かべている。


 真弓は大声を出そうとするが口に何か詰め込まれていて声が出せない。

男の汗臭い下着か?

やおら男が真弓におおいかぶさってきた。


 必死に抵抗しようとする真弓。

目の前に稲妻が走った。


 次の瞬間、心配そうに真弓を覗き込む剣道部の仲間の顔が目に飛び込んできた。




 黒辺(くろべ)高校剣道部の天宮真弓は高校3年の17歳だ。

派手さはなく、かといって地味でもない、ごく普通の女子高生だ。


「まぁ、ごく普通の女子高生の真弓くんではあるが芯は強い! しかしその芯の強さが今日のような結果を招くのであ〜る!」

 真弓の親友・立花美香が真弓を覗き込みながら解説口調で叫んだ。



 剣道の練習が終わると真弓と美香はいつも一緒に下校していた。


 ここは八王子の郊外。遠くに丹沢の山々が連なっている。

7月の夕日が2人に少し熱く当たっていた。


「だってさ、ついカッとしちゃって…」

真弓がポツリと呟いた。

「ノンノン!」美香は人差し指を左右に振って続けた。

「相手はOBの益子先輩だよ!インターハイ個人ベスト4の益子弥生大先輩に上段はないでしょ!」


 そうなのだ。あの時…。

練習中に益子から稽古をつけてあげると言われた真弓は相対した益子の気迫に中段の構えから思わず、というよりも自然と上段の構えに移っていた。


「キェー!」

 真弓の上段からの振りに益子の目にも止まらない突きが飛んできた。

突きをモロに食らった真弓は素っ飛んでしまい、床に叩きつけられて脳しんとうを起こしてしまったのだ。


 倒れた真弓を心配そうに囲む部員たちに割って入った益子はすぐに気がついた真弓に心底謝った。


 「天宮さん、ごめん。いきなり上段の構えをされた瞬間、去年のインターで破れた時のことが脳裏をよぎってしまって…。体が勝手にご法度の突きをしてしまったわ。本当にごめんね」


 その後、益子は「頭は大丈夫?気持ち悪くない?」と、とても心配してくれた。



 「でもさ、大丈夫で良かったよ」美香は歩きながら話を続けた。

「まったく真弓は竹刀を握ると人が変わっちゃうよね。断然戦闘モードに入っていく」そう言ってケラケラ笑った。

 「ホントにそうだよね。これから気をつけなきゃ」と可愛い舌をペロッと出した。


 サーッと熱い風が真弓の黒く艶々としたショートヘアを撫でていくのと同時にちょっぴり暗い顔になって呟いた。

 「また見ちゃったんだよね」

「えっ!また?」美香もすぐに反応した。

「そう。今日で3回目。前とまったく同じ内容だったよ」


 「私思うんだけどさぁ。5月の修学旅行で立ち寄ったあの変なお寺のせいじゃないの?」

小石を軽く蹴って美香が言った。


 (そうかもしれない…)と思いながら真弓は遠くの丹沢連峰を見つめた。



 真弓たちの通う黒辺高校の修学旅行はつい3か月前の4月だった。

 大学受験を控えているため、修学旅行は2年生のうちに!というのが一般的だが、黒辺高校では3年生になったばかりの4月、と決まっていた。


 行き先は京都、奈良。生徒の自主性を尊重して4日間の日程全ては自分たちで行きたい場所を決めて行く。それも日替わりで変わるメンバーで構成されていた。

 しかし行った先々のレポートをしっかり提出することが義務づけられていたから気は抜けない。


 クラスも部活も同じ真弓と美香は清水寺や三十三間堂、祇園を巡った。

 八坂神社では「疫病なんて無いけどね」と笑いながら疫病退散を願う茅の輪くぐりもやってきた。


 3日目の今日は新たに男子3人が加わっての編成だ。

3人の男子は、野球部のスラッガー・岩田鉄五〈イワタテツゴ〉。超常現象研究会の鹿間菅生〈シカマスガオ〉。そして帰宅部のお調子者、諸星渉〈モロボシワタル〉だ。


 5人は前日までの2日間でそれぞれに同じ場所を制覇していたので、今日は行きたい場所をあみだくじで決めることに。そして何と一番当たって欲しくない鹿間菅生の推奨する矢田寺になってしまった。


 鹿間曰く「矢田寺は凄いお寺なんだ!閻魔大王の悩みを解決した満慶上人がそのお礼にと地獄を見学させてもらった絵巻が残ってるんだ」


「本当かよ?」

「う〜ん、おもしろいかも〜」


 他の4人は半信半疑ながらも矢田寺へと向かった。


 何と矢田寺は京都の繁華街のど真ん中にある。街並みを歩いているとお店や家の隅に白い小石を集めた四角い小さなスペースが出来ているのが真弓と美香は気になっていた。

 それを察したように鹿間の講釈が始まった。


 「これはね『鬼門封じ』っていうんだ。あの世とこの世を行き来する鬼の災いを封じるために設置されてるんだ。因みに京都の一条通は、あの世とこの世の境いだから百鬼夜行が見られるんだ。いわゆる鬼や妖怪の行進だね」

 鹿間の話は止まらない。


「でもね、妖怪の正体は付喪神〈つくもがみ〉と言って古道具に魂が宿ったものなんだけどね」とまるで自分が見てきたことがあるように鹿間は語り続けた。


 真弓と美香は、と言えばそんな話を手帳にメモ書きしていた。もちろん全てレポートのためだ。


 岩田は腕組みをして歩き、諸星は後頭部に両手をあてて欠伸をしていた。


 「ねぇ、まだ着かないの?」

 鹿間の話に飽きた美香が呟いた。


「うん。この辺だと思うんだけど…」

 キョロキョロし始めた鹿間に他の4人は少し不安な面持ちだ。


「ねぇ。さっき言っていた鬼門封じがやけに大きいのが並んでるけど、ここじゃない?」

 真弓が言った所には両脇にかなり大きめの鬼門封じがあり、まさに5人をここに入れ! と言わんばかりに明るい路地が続いている。


「あっ、そうだね。地図にはこの脇道は載ってないけど左右のお店の真ん中にあることは間違いなさそうだ」


 そう言いながら鹿間が先頭を切って路地に入っていった。他の4人もそれに続いた。


 商店街から入った路地は歩いているうちに両脇に竹藪が広がりまるで山の中を歩いているようだ、と真弓は思った。

 道も舗装されていない小さな砂利道に変わっている。それでも1分も歩かないうちに左手に小さな山門が見えてきた。


 お目当ての矢田寺に到着!と思いきや山門には霊開寺と書かれている。


「あれ? 何だよ。矢田寺じゃないな」岩田の低い声が響いた。


 茅葺きの山門をなめまわす5人だったが、突然美香が「あっ!」と叫んだ。

 「ねぇねぇ、貴重な特別展示本日まで! って書いてあるよ。それに今日だけ最終日につき拝観料無料だって!」

 美香の声が路地に明るく響いた。


 「チョチョイっと15分位覗いてってみようよ」諸星も続いた。


「よし、ちょっと入ってみよう! これも何かの縁だし」

 鹿間がそう言うと5人はあっという間に山門をくぐってしまった。


 山門から霊開寺の玄関までは平べったい30cm四方程の石が無造作にいくつも並び、その周りは苔がうっそうと生えている。


 風がそよそよと吹くたびに竹藪から笹がひらひらと落ちてきた。

 その苔の上に溜まった笹っ葉をひたすら掃いている袴姿の男の子がいた。といっても頭からすっぽりと頭巾を被っているため性別はハッキリわからなかったが、真弓が「お邪魔します」と挨拶した時の「中へどうぞ!」という言葉で男の子だとわかったのだ。


 竹箒を握っているその男の子の指が一瞬3本に見えたが気のせいだろうと真弓は別に気にも止めなかった。


 玄関はまるで5人を待っていたかのように大きく開いている。

 まるで時代劇に出てくるような広い玄関だ。


 今度は美香が「お邪魔します」と小さな声で囁きながら右側に敷いてあるスノコの前で靴を脱いだ。

「ねぇ、ここに順路と書いてあるよ」とそのまま20cm程の高さの上がり框〈あがりかまち〉に上がった。


「スリッパはなさそうだな」岩田がポツリと呟きながら美香の後に続く。

 他の3人も急いで上がって順路と書かれた矢印の方向に目を向けた。


 目を向けてみて驚いた。ずっと続く廊下がやけに広い。5人が横並びに歩ける程の広い廊下だ。

 そして真っ茶色の木目の板がどこまでも長く続いている。

 ちょっと暗く感じたが、5人の表情がわかる程度の照明は施されていた。


 長い廊下を歩き始めていきなり右側の壁に奇妙な絵が掛かっていることに5人は驚いた。

 絵といっても油絵ではない。仏教絵画といったような古い絵巻物に似ている。


 真弓は歴史の教科書に載っていた清少納言の絵を思い出していた。

 一辺が1m程はあるようなその絵画は廊下の奥へと何枚も壁に掛かっていた。


 美香が「お寺の絵にしてはちょっと色っぽいんじゃない?」とニンマリした。

 「ホント!十二単衣を着た女性だもんね」と真弓が続く。

 「次の絵は布団に寝てるけど…大勢の人に囲まれてるな」岩田がゆっくり歩きながら解説した。


 「えっ、マジか!この女の人、裸にされて空き地に寝かされてるぞ!」

諸星が「ちょっとヤバいんじゃない?」と次の絵に興味をうかがわせた。


 しかし諸星の想像を絶するものが次の絵から続いた。

 次の絵は裸になっている女性の体が膨らんでいる。

 その次の絵には女性の体から血や水のようなものが噴き出していた。


 「ちょっとキモいよ。この絵…ウソでしょ…!」美香が少し後ずさりした。


 「おい、これ…お腹からウジが湧いてるんじゃないの! それにこっちの絵はカラスが内臓を突っついて引っ張り出してるよ〜」諸星がそう言って一歩下がった途端、誰かの足を踏んだようだ。

 しかし踏まれた岩田はまるで何も感じないように固まっていた。


 さっきからずっと黙って絵を凝視していた鹿間が「まさか…この絵は…」と呟いた。


つづく


(毎月、4、8、12、16、20、24、28日に投稿します)

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