第3話 「霊開寺の妙心尼」③
「えっ!何!この絵?」と美香が大きな声を出すのも尤もだ。
黒を基調とした大きな絵。そんな真っ黒な暗闇の中を数え切れない程の赤ん坊が絵の左下から斜め上の光に向かって折り重なりながらハイハイをしている。
残酷なことに、描かれたすべての赤ん坊からは真っ赤な血が流れていた。
血が吹き出している赤ん坊もいる。
それも物凄く立体感があり、見る者の目に映像のように飛び込んでくる。
真弓は「オギャー!オギャー!」と言う赤ん坊の悲痛な叫び声が聞こえてくるように感じた。
しかし、絵には見たこともない奇妙な形をした物体が描かれている。
イモ虫のようなおたまじゃくしのようなでこぼこした塊が血を噴き出しながら蠢いていた。
(これは何?)
真弓の心の疑問を察したように妙心尼が答えた。
「これはこの世に生まれることの出来なかった赤子…いわゆる水子たちの破片です。肉の塊にしかなれなかった水子も上に行こうと蠢いているのです」と少し物哀しげに妙心尼が語った。
「チャップリンは"死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ"と言いましたが、この水子たちは生まれることも…生まれて来ても命を絶たれてしまい生きることさえ許されなかったのです。そして、その水子たちが目指して登ろうとしている右上の光はこの世への入り口です」
妙心尼の説明が終わったのを見計らうように、鹿間がおかしな質問を始めた。
「それにしても、この水子…というんですか…水子に付着している血の赤がとても鮮明なんですが、普通の塗料とは違うんですか?」
そう言われてみると益々赤が際立って見えてくる。
「この赤は本物の血を使用しています」
妙心尼の説明に「えっ!」と美香が後退りした。
「この血はここに描かれている実際の水子から流れ出た血を使用しています」
「えっ!」と今度は真弓が後退りした。
「でも、血は時間が経つと黒く変色しますよね。でもこの絵の血はなぜか輝いて見えます」鹿間が不思議そうに呟いた。
「これは保鮮技法といって血を塗料として使用する時に血の色を鮮やかに保つために特別に施された技法が使用されています。しかし現在は血を塗料として使用しないため、この技法は途絶えてしまいました」
(いやいや、そんな技法の説明なんかどうでもいいのよ!それよりも赤ちゃんが流した血を使って描いているということが問題でしょ!)妙心尼の説明に真弓は少しムッとした。
突然、岩田が誰に言うでもなく語り出した。
「水子ってこの世に生まれることの出来なかった子供のことだろう。その子たちがこの世の入り口を目指してハイハイしているなんて…」
「何だか今まで見た絵の中で一番残酷かもしれない」岩田の言葉に真弓も頷いた。
そして真弓には気になることがある。真弓の視線は絵に描かれた1人の水子に釘付けになっていた。
(この子…真琴に似ているわ)
真琴とは真弓の10歳以上歳の離れた弟だ。
歳がとても離れていることもさることながら、生まれつき心臓が弱い真琴を真弓は特に可愛がっていた。
そんな真弓を妙心尼は何故かジッと見つめていた…。
そしておもむろに5人にこう語り始めた。
「霊開寺のこの特別展も本日が最終日です。この最終日にお越しくださったのも何かのご縁。特別にみなさんの将来を占ってしんぜましょう」
妙心尼のこの言葉は有り難かった。
重い雰囲気に気分を変えたかった真弓と美香はホッとするように顔を見合わせて少し微笑んだ。
「まず、そちらの方…」妙心尼が鹿間を見つめた。
「あなたはこの世の不可思議な現象を突き止めたいと思ってますね」
「はい!」鹿間はこっくり頷いた。
「おぉ、大当たり!」美香が呟いた。
「あなたは今年の夏休み、イギリスに行こうと思ってますね」
鹿間は頷きながら妙心尼の言葉に聞き入った。
「あなたはイギリスで何か不可思議な現象の答えを導き出すでしょう」
「その確率は何%ですか?」鹿間が間髪入れず質問した。
「約0,1%!」妙心尼も間髪入れず答えた。
その言葉に「やった!」とガッツポーズする鹿間。
「えっ!たったの0.1%!ひく!」
そう言う真弓に「何を言ってるんだ!新しい発見をするのにこの確率は凄いよ!ほぼ100%に近い!」と鹿間は真剣に叫んだ。
「えっ? 0.1%が100%?」今度は美香が呆れた。
「いいかい。百分率の0.1%を整数に直すと0.001だ。仮に俺がUFOを探しに1000回行けば1回出会える確率なんだぜ。UFOは1万回探したって見つかるものじゃない! いや、見つけるにはもっと凄い天文学的確率になるんだ。それがたったの0.1%なんだぜ! これを100%と呼ばず何と言おう!」
興奮冷めやらぬ鹿間の力説がこのあとも続いたが、それを無視するように次に妙心尼が見つめたのは諸星だった。
「あなたは少し浮かれ過ぎる性格です。異性を見てソワソワ、キョロキョロしてはいけません。すぐによそ見をしてしまいますね。縁がどんどん遠のいていきますよ。そしてお喋りは慎むのが肝要です」
妙心尼に立て続けに言われて諸星は小さく頷いた。
「ハハハ…!そんなに小さくなんなよ!」そう笑う岩田を見つめて妙心尼は語り出した。
「若い娘の生霊があなたの体にがんじがらめに付いてますよ。まるで知恵の輪のように絡まっている娘の姿が見えます」
「えっ!?」
岩田がたじろぐと同時に隣にいた美香が「ちょっと岩田君、キモ! 私から離れてよ!」と叫んだ。
「バカ! 何言ってんだよ! 俺に女の生霊が付くわけないだろ! チョコレートだってくれるのを全部断って野球に専念してるんだからな!」心外だ、とでも言わんばかりに硬派に徹している岩田が叫んだ。
「え〜、岩田、いいな〜。俺も女の生霊が付かね〜かなぁ。美人の生霊に押しつぶされたいナ〜」
諸星がそう言った途端に妙心尼が自らの唇を小指でスッとなぞったら諸星の口がチャックでも付いたように突然「フガ、フガ」と開かなくなった。
その一部始終を見ていた真弓が(あら、マジック?)とクスッと笑った。
妙心尼が柔らかな表情で岩田に語り出した。
「人の好意を無にしてはいけません。人は心と心で支え合っているのですよ。その支えがいつしかあなたの力となるでしょう。あたたかな好意を信じなさい」
「そうよ。人の好意は素直に受けるものよ!」
そう言う美香に妙心尼が「あなたはお腹を冷やさないように気をつけなさい」とたった一言だけ言った。
ただそれだけだった。
「えっ、たったそれだけ?」
あっけに取られる美香に「オイ、立花!まるでお子ちゃまだな。ぽんぽんを冷やさないようにするんでちゅよ」
岩田がさっきのお返しとばかりに笑った。
「うるさいわね!」美香は岩田を睨みながらも妙心尼に「ありがとうございます」とお礼を忘れなかった。
(さぁ!いよいよ私!)と真弓が思ったのも束の間、妙心尼が右手を掲げながらサッと左から右に空中をなぞった途端、5人の目の前に2m程もあろうかという大きな石像の立体映像がゆっくり回転しながら浮かび上がった。
それは十字架で処刑されたイエスを抱きかかえる聖母マリアの像。
ミケランジェロのピエタ像だ。
「ご覧なさい。慈しみ深きマリアの表情を…。最愛の我が子を失った時、母がどんな気持ちであるか…」
暫く沈黙の時間が流れた。
妙心尼はゆっくりと真弓を見つめて言った。
「あなたならわかるわね…」
………
2人は約3ヶ月前に自分たちが体験した不思議な時間を思い出しながら黙って夕日に染まる道を歩いていた。
重苦しい雰囲気を掻き消したいと思ったかのように不意に美香が喋り出した。
「あの時なんで妙心さんは真弓に"あなたならわかるわね"って言ったんだろう? もしかして真弓、あの時のモヤモヤを引き摺ってるんじゃない?」
美香は真弓を覗き込むように聞いてみた。
「う〜ん、そうかもしれない。あれじゃあ占いにならないもんね」
真弓は正直不服だった。そして、水子の顔が真琴に似ていたことがずっと気になっていた。
「それにあの時、鹿間君が撮った写真、1枚も写ってなかったじゃん。頭にくるよね。あの下手くそ!」美香が思い出したように笑った。
「そうそう! それに不思議だったのは霊開寺の山門でみんなで撮った記念写真よ。私たちだけ写ってて妙心さんもお寺も写ってなかったのよ!」
真弓がちょっぴりほっぺたを膨らませた。
「鹿間くんのデジカメのタイマーがおかしかったんじゃないの。バックが板塀でさ。結局、京都散策やり直しだったもんねぇ」美香がもう一度笑った。
「でもさ、あのあと京都の銘菓巡りとか言って、いろいろなお店で試食出来て良かったよね。」
「あ〜、真弓がお菓子の話題出すからお腹の虫が鳴ってる〜」
「あっ、いけない、こんな時間!早く帰ろ!」
2人はさっきの憂鬱な時間を忘れるようにキャッキャと言いながら走り出した。
夕日が2人を正面から照らしている。
2人の影が長く伸びていた。いや、影が伸びたのは美香だけだった。
なぜか真弓の影だけが小さな子供の影になっていた。
…つづく
(闇鬼は毎月4、8、12、16、20、24、28日に更新予定です)
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