STOP〜まだまだ?〜

「俺さ、先生が女の人とホテル行くとこみたことあるんだけど」


 先生がアイスコーヒーのストローでミルクを混ぜるのを止める。


「いつ?」


 否定はしないんだな、なんて思いながらも過去の話と割り切ることにした。


「俺が塾通い始めたあたりだから、2年の春くらいかな。あそこ、飲み屋街の先の」


「…あれか」


 近場で済ましてるなよ、教職ならもっと考えろと思いながら俺はガムシロップたっぷりのアイスティーを飲んだ。


「やっぱりまずいよな」


 先生ははぁ、とため息をついて言った。


「あれな、姉ちゃんなんだ」


「は…?姉ちゃんとホテル行くわけねえだろ」


「だから、ホテル行ったわけじゃなくてその先にあるメシ屋に行ったんだよ」


 旨いけど立地が問題なんだよな、と先生は言う。

 正直、言い訳の常套句すぎて信じ難い。

 俺がじっとりとした目線を向けていたのに気付いたのか先生は至極面倒くさそうな顔をした。


「疑うなら今度会ってみるか」


「…本当なんだ?」


「本当だよ。しばらくはそーゆーとこ使ってないし」


「ふーん」


 腑に落ちない顔でストローの吸口に噛みつく。

 子供の頃からの癖で最近はあまりしないがイライラしたりすると出てしまう。


「そーゆーとこ、女の人と行ってたわけね。で、そんな人がなんでまた俺と付き合ってくれる気になったわけ」


 先生は頬杖をついてぼそ、と呟いた。


「俺ね、自分から告白したこと無いの」



 先生が語るところによると、彼は昔から受け身だったらしく自分からは好きになった記憶がほとんどないらしい。

 告白されたらとりあえず付き合って、そこから好きになったりならなかったりするパターンをずっと続けてきたという。


 俺の件に関してもその感覚らしく、告白されてから意識し始めたらしい。


「そういうのあるだろ」


「…」


 なんか、随分と軽いノリな気がしてきた。

 来る者拒まずすぎる。

 とはいえそれで彼の対象になれたわけだから良いと言えばいいのか。


 そこで、俺ははたと気付いた。


「え、じゃあ俺のことまだ好きってわけじゃない…?」


「俺は好きでもねー奴に何度もキスしねえっつの」


 キス、と聞いて耳が赤くなる。

 卒業式の日から俺と先生はたまに会っている。

 俺は大学の講義やらバイトやらで時間がないし、先生は元々忙しいものだからなかなか時間がとれないがそれでもなんとか時間を見繕っている。

 そしてその度に唇を重ねている。


 それだけだがいつも先生からしてくれるし何より毎回腹が立つそれは甘くて濃い。

 ちょっと遠出したりすると人目のあるところでもしそうになるのはやや困りものだが。

 一度恋人の丘とかいうベタベタな観光地で俺が絡み合ってるカップルを見ていたら羨ましがってると思ったのかしようとしてきたときは焦った。

 腰に手を回された瞬間に待ったをかけられてよかった。

 いくらなんでもまだ人前でするのは気が引ける。


 今日も久しぶりに会ってちょっと遠出して喫茶店にやってきているがまさか店内ではしないだろう。

 たしかに、店内ではしなかった。

 会計をして店を出るなり店の脇にある路地に連れ込まれて噛みつくように奪われた。


 押し付けられた壁がひんやりしていて気持ち良いがいくら路地に入ったといえどちょっと目を凝らせば表通りからも見えそうで落ち着かない。


 夏の暑さのせいだけではない汗が背中を伝うのを感じながらちらちらと表通りのほうに目をやる。

 す、と視界が塞がれた。

 先生の手があちらを見るなと言っている。

 ヒヤヒヤする俺の気持ちをからかうように先生はいつもより長く俺を離さなかった。


 ようやく解放された俺は壁に寄りかかって先生に非難がましい目線を向けた。

 それでも先生は何食わぬ顔で俺を見下ろしていた。 


「こんだけ陽射しが強きゃこっちまで見えねえよ」


 自意識過剰とも言われているようで顔が熱くなる。


「別にヤってるわけじゃないんだし」


「こんなとこでするか!」


 俺は思わず声を張り上げていた。

 なるべく意識しないようにしていたワードをどうしてそんなさらっと言うのかこの人は。


 へいへい、落ち着けと言いながら先を行く先生の背中を眺めながら俺はあーくそ、と熱くなる体に悪態をついた。


 これだけでこんなに熱くなるほど俺はいっぱいいっぱいだった。

 今日は寝付きが悪いかもしれない。


 しかし案外布団に入ればすぐに寝れてしまうものだった。


 そうして寝て起きて生活してをくりかえすうちに季節は巡り夏の暑さが嘘のように冷たい風が吹く季節になった。





 大学入学祝に両親から送られた腕時計を見れば針は23:30を指している。

 俺は舞い上がる白い息を眺めながら夜の道を歩いていた。

 大学入学と共に実家を出て一人暮らしを始めたからこんな夜更けに外に居ても誰にも文句は言われない。

 俺はあるマンションに入ると知らされていた部屋番号を確認しエレベーターに乗り込む。


 さして高層ではないのでエレベーターはすぐに目的の階へと着いた。

 温かみのあるフットライトの連なる廊下を進んでいくとそこに目的の部屋はあった。

 インターホンを鳴らすと、部屋の中から足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。

 ガチャ、と扉が開かれ暖かな部屋の空気に包まれる。


「おう、早かったな」


 ラフな部屋着の先生がそこにいた。


「寒かったろ、入んな」


「おじゃましまっす」


 扉を閉めて靴を脱ぎ部屋に上がる。

 何気に先生の家に来るのは初めてだったので少し緊張していた。


 リビングに通されるとそこにはテレビの前にこたつが置かれていて更にみかんの入ったカゴが置いてある。


「コートはそこにかけて、こたつ入ってろ」


 そう言われて渡されたハンガーにコートをかけて壁のフックにかけ言われたとおりにこたつに入ればそこはまさに天国のようだった。

 冷え切った体が足元からじんわりと温められ眠ってしまいそうになっていると先生が湯呑を持ってやってきた。

 コト、と俺の目の前に湯呑を置くと自分もこたつに潜り込みなんともオヤジくさい声を上げた。


「おっさんじゃん」


「おっさんだよ37は。にしても早すぎないか来るの。昼メッセージ来ていきなり祝えってさ、まさか0時目指して来るやついるか?」


「いーだろ別に誕生日は誕生日なんだから」


 もぞ、とこたつ布団にさらに潜り込んだ俺に気づいているのかいないのか先生はテレビを見ながら言った。


「あー、お前も二十歳か。ついに酒飲めるのな」


「うん、まぁ…」


 それもあるけど、という言葉は飲み込んでおくことにして俺もテレビを見た。

 この時間帯は実験的な内容のドラマが多く放送されており、今は任侠もののようなSFのような謎のドラマが放送されている。

 ウサ耳をつけた和服の女の子と眼鏡の若いやくざものの男のバディというわけのわからないメインキャラクターに、これはアニメ向きなのではないかと思ってしまう。


 ちら、と時計を確認すると長針がカチカチとてっぺんに近づいてきていた。  


 10秒前、5秒前…

 そしてカチ、と音を立てて新しい日が始まった。


「はい、おめでと」


 先生がこちらを向いて小さくパチパチと手を叩いた。


「ありがと」


 へへ、となんだかとっても照れくさくなってしまう。

 まさかこういう形で二十歳の誕生日を迎えるとはおもわ「じゃ、行くか」


「え」


 こたつから出たばかりの熱い手で腕を掴まれこたつから引きずり出される。


「ど、どこに?」


 すると先生はきょとんとした顔でリビングを出てすぐの部屋を指した。


「ベッド」


「ああ!?」


 そう言いながらずるずると手を引かれて、先生がその部屋の扉を開けた先にあったベッドを見て顔が熱くなる。


「ちょ、待った」


 中へ連れて行かれそうになるのをぐっ、と引き止める。


「なにこれ?」


「いやだから、二十歳まではやらんと言ったろ。で、今お前はめでたく二十歳になったわけだ」


「にしたってこんなすぐ!?」


「0時越えりゃ同じだろ。腹くくれ」


 そしてベッドに投げ出された俺の上に先生が覆いかぶさる。


「先生…」


 そして先生はいつもしていた眼鏡を外してベッドサイドテーブルに置く。


「その先生、ってのやめろ。もうとっくにお前の先生じゃないし萎える」


 その目がいつだったか間近で見たものと同じで、いやそれよりずっと獰猛さを感じさせて体の芯がビクリとするどころか牙を立てられたかのように俺は動けなくなってしまった。


 先生、いや石田さんの少し骨ばった指が俺の服の裾にかかる。


「俺の目をみてろ。したら怖いことなんてないから」


 そういや先生の下の名前って何だっけ。

 やべ、それすら知らないんだ。


「先生」


 石田さんが舌打ちする。


「何だ。先生って呼ぶなって」


「先生の下の名前何だっけ」


 俺の腹筋あたりまで服をたくし上げた手が止まる。


「…和人かずと。和風の和に人間の人」


「そうなんだ…」


「今まで知らなかったのかよ」


「まぁ、先生って呼んでたし」


 はぁ、と先生改め石田さん改め和人さんは深いため息をついた。


「もっと早く直させとけば良かった…まぁ、いいや。これからは下の名前で頼む」


「あ、はい…和人さん…」


「うん、こっちのがやっぱりイイな」


 和人さんは俺の耳元に顔を近づけるととびきりに低い声で囁く。


「優吾」


「っ」


 俺がむず痒さに身をよじったのがわかったのか先生はひどく楽しげな声色で俺の名を呼んだ。


「優吾…下の名前で呼ばれるのイイだろ」


 本当にこの人はその手の悪魔なのかもしれない。

 獲物をどこまでも快楽に堕とす類の。


「いくらでも名前呼んでくれていいから」


 俺だけを映した瞳が近づいてくる。


 そして俺の息の根を止めるようにその言葉が俺を貫いた。


「もうストップは無効だから」







 果たして俺と和人さんの長い夜が始まった。

 俺がベッドから起き上がってリビングに行くと消し忘れていたテレビには朝の情報番組が映っていたが頭にはなんの情報も入ってこなかったことは言うまでもないだろう。



 STOP〜まだまだ〜・本編ー完ー





















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