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あれから季節がいくつか過ぎた。
俺はその間、ずっと先生を目で追っていた。
とはいえ怪我や病気をしない限り保健室に行くことはないし時折校内を歩いている彼を見つけたらその背中をこっそり遠くから眺めているだけだったりするのだが。
体育祭のときは先生がずっとテント下にいたから正直ガン見していた。点数に一喜一憂して沸くクラスメイトらの中でずっと。
騎馬戦のときは土台だったがつい注意をそらしてバランスを崩しかけ周りにドツかれたりした。
テントの下の先生は終始ぼーっとグラウンドを眺めていたがあまり興味があるようには見えなかった。たまに怪我をした生徒が運ばれてくればてきぱきと手当てをしてやったりしていたが、その手が生徒の脚や腕に触れるたび妙に心がざわついた。
いつぞやの彫刻刀で負った気はとっくに直っていた。あとも残らずきれいなものだ。
でも最初の日、絆創膏を取り替えるときに少しだけそれを捨てることが勿体なく感じてせめて今日一晩くらいとも思ったがさすがに親に指摘されて仕方なく取り替えた。
また先生に触れたい。触れてほしい。
けれど機会がない。
その間にも先生の手はいろんな人の肌に触れていくのだろうと思うと嫉妬でまた気分が悪くなりそうだった。
先生にこの気持ちをぶつけたならどんなに楽だろうか。
それこそ一度吐き出してしまえばきっと以前のようにすっきりするのかもしれないが。
いくら先生が同性愛に対して悪感情を持っていないにしろだからといって自分が当事者になることは想定していないだろうし、それ以前に自分たちは教師と生徒という立場だ。
教師と生徒の恋愛など昔から禁断の関係の定番でいくら時代が進もうと社会的にアウトである。
そんなことを体育祭の最中もその後もずっと考えていたせいか遂に弊害が起きた。
そろそろ大学受験に本格的に取り組まなければならない時期のテストで俺はとんでもない点数をとってしまった。
あまりにも普段の点数からかけ離れていたせいで担任に教員室に呼び出しをくらい心配されるレベルだった。
「なんか悩みというか、ひっかかることがあるなら今のうちに片付けておきなさい」
そう言われて俺ははぁ、と気の無い返事をして教員室をあとにしたのち誰もいない廊下で盛大にため息をついた。
「片付けろ、か」
潮時なのかもしれない。
このままでは俺は本格的に受験どころではなくなる。
せっかく大学に行ける環境にあって、行ける学力もあったのに。
どんな結果になるにしろ、なにかしらけじめはつけなければならない。
しかし、俺はまだ心の中でただひたすら先生に片想いをし続けていたかった。
あの時までは。
それから数日後、俺は塾に通わされるはめになった俺は夜の街を歩いていた。
今まで塾など通わなくても大丈夫だったのに、あの点数を見た親にほぼ強制的に入塾させられた。
おかげで毎日とっぷり夜も更ける時間まで勉強漬けだ。
その夜、俺はなんとなく直帰するのが嫌で街をあてもなくぶらぶらしていた。
夕飯が準備されているのはわかっているのにニンニクマシマシアブラオオメラーメンの店をのぞいたりコンビニで雑誌を立ち読みしたり、とにかく夜風に当たっていたかったというのもあって足は四方八方に向いた。
そして普段立ち寄らない飲み屋街の一角を過ぎた辺りまで来たあたりで俺は足を止めたのだった。
見覚えのある姿をそこに見たからだ。
日頃追い求めている背中が視界を掠め、ふとその隣りにいる女性に顔を向けたからはっきりと彼だとわかる。
二人は親しげに会話をしながら自然に連れ立って夜闇に消えていった。
飲み屋街の奥にはいわゆるホテル街がある。
そこに男女が連れ立って歩いていればいくら自分が子供でも容易にその目的が想像できた。
そこからどうやって家に帰ったか覚えていない。
気づけばベッドに転がり枕で泣き声を押し殺していた。
こんなに悲しいのは初めてだった。
唐突に打ち切られた淡い恋のせいか、それともあんな場面を見てもまだ燻る想いのせいか。
涙が止まらない理由はわからない。
翌日の俺は案の定酷い顔をしていた。
家族も起きてきた俺の顔を見てぎょっとしたようだが何も言わないことにしたのか言葉にして問い詰められることはなかった。
聞かれたら将来が不安で、とか答えておこう。
しかし相当に腫れぼったくなっていた俺は目立つのか登校するなり友人らに質問攻めにされた。
心配してくれる彼らには悪いが放っておいてほしい俺は少し人気のない場所に移動して、少し埃っぽい階段の下の段に腰掛けた。
それから授業のたびに教室に戻り休み時間にはここにきて一人になるようにして一日を過ごしいつしか蜂蜜色をした日差しが射し込む時刻になった頃、覚悟を決めてそこに向かった。
保健室は17時までは先生がいることになっている。
だからそれより少し前に向かう。
扉の前で小さく息を吐いてノックをすれば先生の声がした。
「久しぶり。今日はどうした」
先生は相変わらずの姿でコーヒーを啜っている。
「ちょっと、聞いてほしいことがあってさ」
そう言うと先生はちらりと時計を見て、鍵を締めるよう言ってきた。
相談だと思ったのだろう。
ソファに腰掛けるといつかと同じようにコーヒーが目の前に置かれた。
湯気を立てて口をつけられるのを待っているコーヒーには申し訳ないが今日は飲む気はないのだ。
先生は向かいのソファに腰掛けてゆっくりと自分のコーヒーを飲んでいる。
俺の様子から無理に聞き出そうとせず自然に話し出すのを待ってくれているのだろう。
できるならもう少し胸の中に留めておきたかった。
「…俺さ、前に友達から相談されてるってそれでどう返したらいいかわからないって話したじゃないですか」
「あぁ」
祈るように膝の上で組んでいた手に力が入る。
「あれさ…友達のことじゃないんだ。ほんとは俺自身の話」
「…だろうな」
「は、はは。わかってた?」
「友達の話、ってのは昔から自分の話って相場が決まってるからな」
恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。
けれどもう逃げられない。
「そうなんだ」
保健室はコーヒーと消毒液の匂いに包まれている。
外ではまだ活動しているのか運動部の掛け声が聞こえてきていた。
カチカチ、と時計の針の音がやけに鮮明に聞こえるくらいの静けさにどこかここが外の音は聞こえるものの切り取られた空間のように思えて仕方なかった。
「先生」
指先が冷たい。
「俺、先生のことが」
キーンコーンカーンコーン
17時を告げる鐘が鳴る。
「好きだ…」
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