当たって砕けて、また明日

1

柔らかい陽射しと、ずっとそこにいたくなるような温もりに薄く目を開ける。


「よお、お目覚めか?」


思わず体の芯がピクリと痺れるような低い声が耳に注ぎ込まれて身をよじるとそこには石田先生がいて俺に腕枕をしながらふ、と小さく微笑んでいる。


「石田…先生…?」


自分を見る甘い視線から目をそらして下方に向けると先生の裸の胸が目に入る。

気づけば自分も生まれたままの姿をしているようだ。


「えっ、俺…先生と…?」


「ああ、可愛かったよ優吾」


今まで先生に呼ばれたことなどない下の名前で呼ばれてまたもや頭に麻痺のような靄がかかる。

この声に呼ばれたら何もかもどうでもよくなってしまう気がして。


すると先生は俺の頭の下から腕を抜いたかと思うと俺の頭の両脇に腕を置き、俺を閉じ込めるようにして見下ろした。


「優吾の顔見てたら…またしたくなってきちまった…」


そして少し意地悪な笑みを薄い唇に浮かべて囁いた。


「いいよな…優吾」


有無を言わさぬ圧倒的な大人の色気の前に子供の俺が為す術もあるわけがない。


「うん…」


俺は迫りくる先生の顔を見上げながらゆっくりとそれを受け入れようとまた目を閉じようとした。

その瞬間だった。


「優吾!朝ごはんよー!」


スパン!と勢いよく扉を開け、母登場。

俺はぽかん、とするしかなかった。


「か、母さん?」





雀の鳴き声が窓の外から漏れ聞こえてくる。

微かに開いたカーテンの隙間から差す光が暗い室内に一直線に伸びていた。


「優吾!起きなさい!」


どんどん、と扉を叩く音に体を竦め大声で返事を返す。


「起きた!」


声とは裏腹にまた布団を頭から被り、はぁとため息を漏らす。


「夢か…」


そこまできて、はっとする。

恐る恐る下半身に手を伸ばすも通常通りで安心する。

母の声の威力たるや、である。


のろのろとベッドから起き上がりながら、まだ鮮明に覚えている夢を思い出して途方もない恥ずかしさに頭を抱える。

俺ってやつはバカすぎる。

どれだけの過程を飛ばしたらあのシーンになるのか。

現実はまだまだそれ以前の問題なのに。


恋をすると人はバカになるというが。

俺も例外では無かったということか。



階下に降りると、既に朝食がテーブルの上に並んでいた。

椅子を引いて座れば目の前には新聞を読む父がいてその隣に母が座った。


いただきます、といってトーストを齧りながら目の前の両親を盗み見る。

母はテレビが映す朝の情報番組を見ながら目玉焼きを箸で割っているし、父も相変わらず新聞を読みながらコーヒーを啜っている。


我が家の家族は特別仲がいいわけではないが悪くもない。

時折イラっとさせる言葉を吐くがそこから口論に発展したこともなくスルーして終わりだ。


だからもし、俺がいつかカミングアウトというものをすることがあればどうなるかは全く見当もつかないがそれができる頃には俺は家を出ていることだろう。

どうしてわかってくれないのかと苛ついたところでわからない人にはどこまでもわからないのだろうから苛つくだけ無駄だ。

この前先生に話したことで吹っ切れたのかもうあまり苛々することもなくなった。


「ごちそうさま」



支度を整えて家を出る。

登校し、靴を履き替えて足を教室へと向けながら廊下の先にある保健室のほうを見る。

あれから保健室には行っていない。

怪我もしなければ体調を崩したわけでもないのだから当然で、普通に生活していれば保健室に行く機会などほぼほぼ無い。


普通といえばあれだけそのワードが煩わしかったのにもはや憑き物でも落ちたかのように気にならなくなってしまった。

会話の中に定型文並みに頻出するし、俺が気にするニュアンスで使われることなどそうそう無いからだ。

誰も彼もが何も疑うことのない普通の中で生きている。

そう思うと少しだけ心が痛むが考えないようにすれば考えないで済むくらいには俺もまた普通に紛れていった。


「…みつい、三井!」


「へぁ?」


自分でも間抜けだなと思う声を発したかと思うと、目の前にはなんだかやばい物を見る表情をした美術教師とこれまた心配を通り越した表情で折れを見る周りの生徒たちがいる。


「お前…大丈夫か?」


「大丈夫かって何が…あ」


見れば彫刻刀を握ったのとは反対の手の人差し指から血が滴っており、版画の木にホラーな血痕を残していた。

それを認識した瞬間、ずきりとした痛みが走る。


「いて…」


「おいおい…早く保健室行って来い」


「優吾大丈夫かよ」


教師と生徒の大丈夫か?とは俺の頭のことだったらしい。

気付いたら3限の美術の時間になっていて版画のための版木を削っていて、そしてグサりとやったまましばらくぼーっと虚空を見ていたらしいからそれは心配されて当然だろう。


かくして俺は今保健室におり、石田先生に手当を受けている。


「何やってんのお前」


先生が呆れた声を発するのに俺は何も言えなかった。

本当に何やってるんだろうな俺は。


「また何か悩みでもあんのか」


「そういうわけじゃ…」


そう言って先生の顔を見て、またばっと顔をそらした。

今朝の夢が頭に浮かんで先生の顔がまともにみれない。


「…まぁ悩みは生きてりゃあるわな。また俺で良ければ相談乗るしカウンセリングの予約もとってやるから」


「ありがとございます…」


手当が終わって椅子から立ち上がった俺だったが扉に手をかけてそのまま立ちすくんだ。

手当が終われば俺はもはやここに用はなくなる。

しかし、俺はまだここにいたかった。


「先生、やっぱちょっと気持ち悪いから休んでっていい?」




そして俺は久しぶりに保健室のベッドにもぐりこんだわけだが。


(落ち着かねー)


先生の気配と、柔らかくて白い寝具が嫌がおうにも今朝の夢を鮮明に思い出させてとてもではないがリラックスできない。


そういえばあの夢の部屋って保健室っぽかったな。

保健室のベッドで先生と…


俺は叫びだしそうになるのを枕に顔を埋めることで抑えながらひたすら消毒液とコーヒーの香りが漂う保健室で悶々としていたのだった。

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