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そして水曜日がやってきた。

勤務時間終了後の17時から1時間程度時間を作ってもらうことになっている。

時間ぴったりに保健室へ行くと石田先生はコーヒーを啜ってソファに腰掛けていた。


「来たな。鍵閉めといて」


言われて俺は入り口の扉の鍵を閉めて先生の向かいのソファに腰掛けた。

腰掛けたものの、どう切り出せば良いかわからず目線を彷徨わせていた俺の前に先生はマグカップを置いた。


「コーヒーしかないんだわここ」


「あ、飲めます。ありがとうございます」


マグカップに口をつければまだまだ淹れたてでもう少し冷めてから飲もうとカップをテーブルの上に戻す。


「…あの今日先生に聞いてもらおうと思ったことなんですけど」


俺はそこから家で練習してきた通りの筋書きを先生に話した。

仲の良い友人がいて、学校は違うけどよく話す奴でそいつが最近打ち明けてくれたことなのだが自分は同性愛者で自分と同じ男が好きであること。昔からそうかもしれないと思っていたが周囲の反応が怖くて打ち明けられないこと。それなのにやたら女子から告白されてしまうこと。さんざん悩んだ末に俺に相談したが俺もどう返したらいいかわからないこと。それでぐるぐるなやんでいること。


俺は必死に「友人の話」をした。少々熱が入りすぎて過剰な演技になってしまったかもしれないが言いたいことは伝えきったつもりだった。


それを時折相槌だけ打ちながらひたすら聞き役に回ってくれていた先生は、俺の話を聞き終えると冷え切ったであろうコーヒーにまた口をつけて静かに口を開いた。


「三井が素直に思ったことを言えばいいんじゃないか。少なくともそれだけ彼はお前を信頼してるんだからひどい言い方はしないだろ」


「はぁ、まぁ。でも、その同性愛の問題とかって簡単に答えられるもんじゃないじゃないですか」


「まぁな。でも三井は少なくとも同性愛について嫌悪感とかキモいとかは思ってないだろ?こういうのは嫌がる奴は即座に反応するしまず相談されない」


俺はマグカップの中で蛍光灯を映すコーヒーの水面を眺めながら、組んでいた手にきゅっと力を込めた。


「はい、俺はそういうのは大丈夫です…けど」


「だったらそれを答えろよ。俺は大丈夫だよって。彼だって人類全員に認められるつもりはないだろうし自分の大切な人にだけ分かっててもらえばいいと思ってるんじゃないか」


先生も言葉を選んでいるようで、眼鏡の奥の視線がずっと骨ばった自分の指先を見ているようだった。


「彼はさ、お前が同性愛を嫌悪しないってわかればそれでいいんじゃないか。でもって吐き出せればもうそれだけで結構楽になったりすることもあるよ。あとの身の振り方は自ずとわかることなんじゃねーの」


あー、と先生は頭の後ろを搔いていかにもおっさんくさい声を上げた。


「やっぱ駄目だな。俺相談されるの向いてない。今からでもカウンセリングの予約入れてやるからちゃんとしたカウンセラーさんに相談したほうがいいぞ」


そんな先生を見て、俺はおかしくやって少し噴き出しながら


「いや、いっす。なんかどうしたらいいかわかった気がします」


そう言って俺はマグカップに口をつけた。コーヒーはすっかり冷たくなっていたが飲むにはちょうど良かった。


時計を見るとちょうど18時をまわるところだったので俺と先生は帰るか、と保健室を後にすることにした。


保健室の電気を消し、鍵をかける先生の背中に向かって俺はふとたずねてみた。


「先生はさ、そういうのどう思ってんの?」


ガチャ、と鍵がちゃんと掛かっているのを確認しながら先生はうーんと唸り、そして振り返ることなく呟いた。


「あー…俺は別にキモいとかは思わないかな。つかあんま考えたことなかったな。そんな機会無かったし」


「ですよねー…」


当事者や、周りにいない限りはちゃんと考えもしないことなんだと思うと小さくため息が出た。


「ただ」


先生が鍵を白衣のポケットにしまいながら言う。


「対象が同性だろうが異性だろうが好きって気持ちを悪く言ったり嘲笑ったりするのはねーなと思う」


暗くなった廊下にはまだ少しだけ明るい外からの明かりしか入らない。

しかし俺は急に何だかとてつもなく眩いものが見えた気がして驚いたように目を丸くして先生を見た。


「俺だって自分の好きなもん、例えばニンニクマシマシアブラオオメラーメンとかありえねーキモいとか言われたらムカつくし」


「先生…それはちょっと違うんじゃねーかな」


「ん?まぁ例えだよ例え」


俺は澄ました顔でそう答える先生がおかしくてたまらずまたちょっと噴き出してしまった。


「先生ラーメン好きなの?しかもそんなハードそうなやつ」


「最近はあんまり食べないけどな。オススメの店連れて行ってやろうか」


「奢り?」


「なわけあるか」


俺は久しぶりに笑った気がした。

何も隠さず作ってもいない笑い声をあげたのなんていつぶりだろうか。


「先生、ありがとね」


「お役に立てたなら何より」


先生とはそう言って途中で別れ、俺は生徒用玄関に向かい靴を履き替えて帰路についた。




「俺の友人」がほっとした表情を浮かべていた。


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