エミリー・フランソワーズの手紙②

 一日に一通。

 それがこの奇妙な文通のルールだと、彼女はいった。

 でないと夕食に僕の嫌いなナマズのスープを出すと脅してきた。

 いつしか彼女が提示したルールに従い(従わされ?)、毎夜寝る前に手紙を書くことが習慣となった。


『エミリーへ。

 毎日顔をあわせているのに、こうして改めて手紙をかくとなるとなんだか気まずいというか、気恥ずかしいものだね。

 いつもいつも君の気まぐれには驚かされるというか、僕には刺激が強いと感じることがたびたびあるよ。』


『親愛なるロイ様へ。

 だとするならばわたくしの目論見は大成功と言わざるをえません。

 いつも同じ景色ばかり見ていては、心も同じ気持ちにしかならないものですから。

 それが気まずさにしろ、気恥ずかしさにしろ、心には彩が必要なのですわ。

 なにより、会えない時もお互いを感じられるというのは素敵なことではありませんか。』


 文末まで目を通した瞬間、顔から火が出そうなほど熱くなった。


「……刺激、強いなぁ」


 後頭部を掻きむしり、その日の返事を書き綴る。

 文通は季節をまたいでも続いた。

 春に始まり、夏を過ぎて、短い秋が終わるころ。

 僕には、小さな悩みが芽生えていた。


「そろそろ、書くことが……」


 日がな一日、ベッドの上で過ごしてる。

 そんな僕に書けることは限られている。

 狭い世界の住人なのだ。伝えられる気持ちも言葉も、外を自由に歩き回る彼女とは天と地ほどの差があるのだ。

 それでなくとも近頃は短い会話のやり取りばかり。もはや手紙の体裁をなしていない。

 そんな僕の話題は、おのずと外の世界の質問ばかりになっていく。


『新しい花の名前はなんていうんだい?』

『クリスマスローズというお花です。間もなく開花を迎えるお花なんですよ。』

『薔薇なのに、冬に咲くの?』

『薔薇によく似た別のお花ですよ。なんでも、かつて産まれたばかりのイエスに薔薇の花を手向けようとした少女が、冬には薔薇が咲いていないことを嘆いて涙を流し、その雫が地面に落ちて、薔薇に似たこの花を咲かせたと言い伝えられています。』

『へぇ、素敵なお話だね。』

『いえいえ、ロイ様ほどでは。』

『ありがとう。お世辞でも嬉しいよ。ところで前から気になっていたんだけど、どうして君は、僕のファンだなんていったんだい?』


 気づけば僕は、彼女の気持ちを知ろうとしていたんだ。


※  ※  ※


 そう、あれは、都会の煤けた空に嫌気が差して、初めて訪れたこの土地の、このお屋敷で働くことになった日のこと。

 もともと侍女としての実績があったわたくしは、てっきりスタンダード家の本館で働くことになるかと思いきや、その予想はあっけなく覆されました。

 わたくしに与えられた仕事は、離れの管理。それと、病弱なご子息さまのお世話だったのです。


 絢爛豪華な調度品に囲まれた本館とは打って変わって、必要最低限の設備だけが取り揃えられた離れの様相は、どこか殺風景に見えました。

 ここに住まうご子息さまは、産まれたばかりの頃こそ次期当主としての期待もあったのでしょうが、それもいまは昔の話。

 次期当主の座も、ご主人さまの信頼も、勝ち取ったのは、彼のお姉さまでした。


「別に、僕はそんなの気にしないけど」


 そんな境遇にもさしたる興味を示さないこの離れの小さな主様。

 羊のような白いふわふわの髪に、満月を想起させる金色の瞳。

 青い血管が浮かぶほど白い肌。

 端正な容姿を持つ彼は、さしずめ離れという名の宝箱に置き去りにされたお人形。

 日がな一日ベッドの上で読書をして、時々ぼんやり外を眺めて、お日様の光を浴びても、お月さまの光を浴びても、ただただ無意味な美しさをふりまくばかり。

 当時のわたくしが感じたことは、あれは、そう、憐憫の情でした。

 だからなのでしょうか。

 仕事にも慣れてきたある日、わたくしは無礼にも、こんなことを尋ねてしまったのです。


「退屈では、ないのですか?」


 いま思い返してみても、失言だったと思います。

 ロイ様は読んでいた本から顔を上げ、驚いたような顔でわたくしを見つめました。

 吸い込まれそうなほど大きな瞳に見つめられながら、自分の言葉を取り消そうと思い立ったその時。

 彼は、「つまらない、とは思わないよ」と答えたのでした。


「それは、なぜですか? こんなにも狭い世界の中で、あなたはなにに楽しみを見出しているのですか?」


 確かにこの土地は自然が豊かで、温暖期が短いとはいえ四季が折々で、とても刺激的です。でもそれは、外に出られる人の話。彼にとってこの土地は、寒いばかりの厳しい世界でしかないはずなのです。


「……たとえば、窓」

「窓?」


 窓のどこに楽しみを見出す要素があるというのだろう。

 わたくしの胸中はそんな好奇心でいっぱいでした。


「窓枠に四角く切り取られた外界の景色は、移ろいゆく季節を映し出す。雪解けを過ぎた春の陽光はうららかで、光る風に乗ってくるのは、若葉の香り」


 なぜ詩を詠んだのだろう。しかも恥ずかしげもなく。わからない。この人のことがなにもわからない。

 あの時は、強くそう思ったものでした。


「はぁ……、なんといいますか、素敵な詩ですね」

「底辺かける高さ」

「へ?」

「四角形を表す公式だよ。知らないの?」

「いえ、知ってます……けど?」


 馬鹿にされてるのだろうか。わざと苦いまま薬を飲ませてやろうか、と強烈に思ったものでした。


「この窓は、さっき僕が詠んだ詩でも表現できるし、数字でも表現できる。音ならきっと、ガラガラ、とかだろう。もちろん、絵で表すこともできる」

「……おっしゃりたいことが、わかりかねますが……」

「僕の世界はさ、たしかにこのベッドの上だけだけど。この世界はさ、言葉でも、数字でも、音でも、絵で表せるんだ。僕は僕のままだけど、世界は世界のままじゃない。いろんな意味や景色をもってる。いろんな視点で見ることでその色合いを変えていく。それって、とっても面白いと思わない?」


 この小さな少年は、この小さな世界の中で、いったいどれほど広い世界をみているのだろうか、と。

 それまで目の前のことにしか意義を見出せなかったわたくしは、途端に、限りない世界の広がりを感じたのです。


「面白いかどうかはさておき……素敵だと思います」

「そう。それはよかった」


 天使のような微笑みを浮かべるロイ様を見て、わたくしは、彼のファンになったのです。

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