エミリー・フランソワーズの手紙

超新星 小石

エミリー・フランソワーズの手紙①

「ロイ様、お手紙が届いておりますよ」


 ベッドの上でーーおそらくはとてつもなくしまりのない顔をしながらーーレースカーテンが風に揺れる様を眺めていると、頬をなでる風よりも優しくて暖かい声が背後から聞こえてきた。


「手紙って……僕に?」


 振り向きざまに問いかける、素朴な疑問。

 ベッドの脇に立っていたのは、エプロンドレスに身を包んだ一人のメイド。

 ボーイッシュに切りそろえられた髪は、レース越しの陽光を浴びて繻子の如き煌めきを帯びている。

 鮮やかに上向いたまつ毛の奥には、まるで宝石箱にしまわれているかのような翡翠色の瞳。ほどよく日に焼けた健康的な肌、仕事で動き回った後なのか、その頬は仄かに赤らんでいる。

 彼女の顔は、レース越しの景色よりもずっと興味深くて、しまりのなかった自分の顔が急に引き締まるのを感じた。


「ええ、もちろんロイ様宛でございます」


 エミリーは、長方形の白い封筒で口元を隠しながら呟いた。

 上目遣いで、まるで恥ずかしがっているかのような仕草。

 彼女の大きな瞳と視線が交わる気恥ずかしさよりも、僕の意識は手紙の差出人に向いていた。


 寂しいことだが、僕は、僕に手紙を送ってくるような人物に心当たりがない。

 北国との国境よりやや下方。じゃがいもの生産量だけが唯一誇れるやせた土地。

 そんな土地を仕切るのが、僕の生家たるスタンダード家。

 でも僕は、じゃがいものように逞しくはなかった。

 この世に生を受けて十四年。僕の世界は、この雪のように真っ白なシーツがかけられたベッドの上だけだ。

 そんな僕に手紙をよこすような人がいるなんて、と思うと、発作とは違う心臓の高鳴りが胸の内側を叩いた。


「お母さまから?」

、でございます」

「じゃあ、姉上?」

「それもノン」

「な、なら、もしかして……お父上から?」


 父上、と口にしたとたん、発作に近い嫌なリズムが胸の内に刻まれる。


「それもノンノンでございますので、ご安心ください」


 僕は、ほっと胸をなでおろした。


「えっと……なら、だれから、なのかな?」

「あなた様の大ファンからですよ!」


 エミリーは満開の花が咲くように笑みを浮かべた。

 ファン。いよいよわからなくなってきた。

 外に出ることはおろか、外の人々に存在が認知されているのかも怪しい僕だ。

 会話することですら、日に数度、部屋の換気や食事の運搬で訪れたエミリーと交わすくらいなもの。

 いったいこの手紙の主は、何者なのだろう。

 いったい僕のどこを気に入ってくれたのだろう。

 なにより、なぜ直接会いに来てはくれないのだろう。


 ただ、いまの感情を素直に口にするならば、

「僕にファンがいたなんて驚きだよ」

 答えはこれ以外にありえなかった。


「そうでしょうそうでしょう。でもこの差出人は、それはもうロイ様のことをよく知っておいででして、好きな食べ物や好きな景色、好きな本。果ては好きな人まで熟知しているのです」

「……ストーカー?」

「ファンでございます」


 なぜかエミリーは不機嫌そうに、頬をぷぅと膨らませた。


「君との会話は僕の冷めた日常の中で唯一刺激的なものだけど、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかな?」


 少し、苛立っていたのかもしれない。

 語気の強さゆえか、エミリーはしゅん、とうなだれた。


「申し訳ありません……調子に乗ってしまいました……」

「ああ、いや……ごめん、僕の方こそ言い方が悪かったよ……」

「では、次はなんでも許してくれますか?」

「うん、うん。許す許す……ん?」


 勢いに任せてそう告げると、エミリーは手紙越しに、にやりと口角をつり上げた。ような、気がした。

 おや、返事を間違えたかな?


「言質を取ったところでお答えしましょう、この手紙の差出人は」


 彼女は顔を上げるや否やおずおずと両手を上げ、自身の柔らかそうな左右の頬に、両の人差し指を埋めさせた。


「わたくしでーす!」


 部屋に木霊する溌溂とした声。

 太陽と見まごうほどに明るい笑顔。

 お尻を突き出し、右足のつま先をちょっぴり浮かせたあざといポーズ。


「…………」


 そして去来する、虚無。


「なんで君が?」数秒の静寂のあと、かろうじて出てきたのはそんな疑問。

「ロイ様を思ってのことでして」なんて、手紙を抱きしめながら彼女は言う。

「いや、僕のためって……普通に話せばいいじゃないか」

「もちろん対面している時はお話ししますわ。ですが、わたくしはこれでも多忙の身の上。ロイ様がわたくしに会えない時間に寂しい思いをなされぬよう、僭越ながら手紙をしたためた次第でございます」


 つまり、彼女が仕事に勤しんでいる間、僕が退屈しないように書いた手紙ということらしい。


「いる? それ」

「いりますいります! むしろこれから先、この手紙を渇望して喉をかきむしるくらいロイ様の人生を狂わせる代物でございます!」

「君の手紙には中毒性があるんだね……」


 どうしよう。あまり欲しくない。

 それでも僕が住むこの離れの管理をたった一人でこなしている彼女だ。

 多忙な時間の合間を縫って書いてくれたものなのだから、ここは素直に受け取る方がいいだろう。


「ありがとうエミリー」僕は手紙を求めて手を伸ばす。

「いえいえ」その手にそっと、羽のような重さがのしかかる。

「さっそく読ませてもらっていいかな?」

「それはノンでございます」

「どうして?」

「手紙は相手がいないときに読むものでございますよ!」


 もっともらしいことをいいながらも、耳が紅く染まっていることを僕は見逃さない。

 さては目の前で読まれるのが恥ずかしいのだろう。

 僕には、淑女を辱めるような趣味はない。


「わかったよ。なら、後で読む」

「そうしてください。それでは、わたくしは昼食の用意がありますので、これにて」

「うん。ありがとう」


 背を向けて猫のようにしなやかに歩く彼女の背中を見送った。

 線の細い指先が扉の取っ手に触れた時、彼女は「あ」と一言吐き出して立ち止まった。


「どうかしたの?」

「お返事、お待ちしておりますね」

「え」

「それでは、良い一日を」


 ぱたん、と扉が閉じられる。 

 閉じる間際、彼女は三日月のように目と口を反らせていた。

 ああ、そうか。なるほどなるほど、うんうん。

 僕には淑女を辱めるような趣味はない。

 けれど、どうだろう。

 僕の侍女には、紳士を辱める趣味があるようだ。


 まぁ受け取ってしまったものは仕方がない。まずは彼女の手紙を読んでみよう。

 封蝋を剥がして三つ折りの便箋を抜き出した。

 淡い黄色の便箋は、慣れ親しんだじゃがいもの皮のような色合いで、目に優しかった。

 綴られている文字はお世辞にも達筆とはいえなかったけど、丸っこくて、はっきりした筆使いで、快活な彼女らしいと思った。


 綴られた文に視線を走らせる。

 書いてるのは他愛もない世間話。

 庭に新しい花の苗を植えただとか、新しい料理を覚えただとか。

 いつも話していることと変わらない言葉。だからなのか、文字を目で追っているだけなのに、まるで彼女が耳元で囁いているかのような錯覚さえ覚えた。

 けれど、手紙の最後の一文を読んで、僕は手紙を握る手に力が入るのがわかった。


『今年はじゃがいもが豊作でございます! 来年も楽しみですね!』


 なにげなく綴られたその一文。

 その一行から、僕は目を離せない。

 一介の侍女である彼女は知らないのだ。

 いまやじゃがいもは、国中のどこでも収穫できる。

 この辺境のじゃがいもをわざわざ買い取りに来る行商人など、いないということを。

 それはつまり、スタンダード家の没落の始まりであり、僕らの別れにつながるということを。


 窓に目を移す。

 レースのカーテンは、半開きの窓から吹き込む乾いた風に踊ってる。

 まもなく冬がくる。

 家族からの頼りは、ここ半年ほどきていない。

 みんな、この土地を守るために奔走しているのだろう。

 力になりたい。でも、僕には力がない。

 ただ一人、ベッドの上の狭い世界にすがることしかできないのだ。

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