よりみちこみち

あじみうお

よりみちこみち

明日から新学期。カヤは小学四年生になる。   


「ああいやだ。緊張する」


人見知りのカヤは先生もクラスメイトも変わってしまう新学期が憂鬱たまらなかった。

おつかいの荷物を抱えて、大通りをうつむきがちに歩き、蕎麦屋と郵便局のある交差点にさしかかった。

信号確認のために顔をあげると、小さな女の子をのせた自転車が横断歩道を渡っていくのが見えた。

自転車の後ろにのっている女の子が振り返って地面を見た。

横断歩道の手前に小さな長靴が落ちている。

女の子は振り返ったまま足をぶらぶらさせていた。片足が靴下で、もう片方にはピンクの長靴を履いている。


「あの子のだ」


カヤはとっさに長靴を拾い上げると自転車を追いかけた。

大声で呼びかければよかったのかもしれない。けれど、普段から大きな声など出し慣れないものだから、こんな時でさえ、とっさには出ないものらしい。

足には自信があったが、荷物が邪魔で思うように走れない。

とうとう米屋の角を曲がったところで自転車を見失ってしまった。 


「困ったなあ」


カヤは口の中で呟いて小さな長靴を眺めた。まだ新しいピンクの長靴だ。

内側に『まえだそら』と名前が書いてあった。

米屋の角を曲がると、生垣の続く小路になっていた。

通ったことのない路だった。カヤは歩いてみることにした。

表札を見ながら少し行くと、垣根の陰で幼稚園生くらいの小さな男の子が一人でペダルカーに乗って遊んでいた。カヤは立ち止まった。

男の子は顔を上げると、カヤをじろじろと見た。カヤは何だか緊張してきた。

立ち去ろうとしたときだった。


「シンヤ何してんだ」


垣根の裏から声がして、男の子がひょっこりと顔をだした。


「ひーっ」


思わず歯の隙間から叫び声がもれてしまった。カヤはあわてて口を押えた。


「あれ?おまえ小山?何やってんだ?」


カヤは男の子の顔をまじまじと見た。

同級生だった。ついこの間まで同じクラスだった小林ツグヤだ。でも話したことはない。

カヤが立ちつくしていると、


「ソラのだ」


シンヤが長靴を指さした。カヤはあわててうなずいた。


「お、おちてたの。届けたいんだけど。」


緊張で顔がまっかになってしまった。


「何だ、それなら案内してやるよ。」


ツグヤは垣根の向こう側から手まねきした。


「兄ちゃん。オレも行く。」


シンヤはペダルカーから飛び下りると、枝が折れてトンネルのようになった垣根の隙間部分からするりと生け垣を通り抜けた。


「はやく、こっちこっち。荷物そこ置いときなよ」


ツグヤとシンヤが呼んでいる。

カヤは、ペダルカーに買い物の荷物をおろすと生け垣の枝の隙間を潜り抜けて、あわてて二人を追いかけた。

ツグヤとシンヤは次々と垣根の隙間をすり抜けて、よその家を庭から庭へと横切っていく。勝手によその庭に入り込んで、家の人に見つかって怒られやしないだろうか。うっかり一人で見知らぬ庭に取り残されては大変だ。

カヤは懸命に二人を追った。


やがて五軒目の庭に入り込んだところで、ツグヤとシンヤは立ち止まった。

ラップサイディングの白い家。庭に面して大きな掃き出し窓があり、踏み石には大人用のサンダルと子供ども用のサンダルが並べて置かれていた。

フェンスと垣根に囲まれた小さな庭には、物干し台と一人用の家庭用ブランコが置いてある。フェンスの向こうの土地は低くなっているようで、見晴らしがよかった。


ツグヤは不意に振り返ると、カヤの手から長靴をひょいと取り上げた。

そして、脇のフェンスを乗り越えて一段下がった空き地におりると、すぐ近くの竹やぶに入っていった。


「兄ちゃんまって!」


シンヤもフェンスをのぼりだした。


そのときだ、白い家の大きな窓がガラリと開いた。


「シンちゃん」


3歳くらいの小さな女の子が手をふって庭にぴょんと降りてきた。


「あ、ソラ」


シンヤはのぼりかけたフェンスからとびおりて庭に戻った。

自転車の女の子だった。


「あらシンちゃん。いらっしゃい」


ソラのお母さんも窓から顔をのぞかせた。


「ソラ、長靴落としたろ。この人が拾ってくれたんだぞ」


ソラはうんうんとうなずいてカヤを見た。

カヤは真っ赤になってうつむいた。

シンヤは得意そうな顔をしているが、肝心の長靴は、今さっきツグヤがどこかへ持っていってしまったのだ。

どう話したらよいものか、考えあぐねて下を向いて固まっているカヤをソラは不思議そうに見つめた。


ほどなくしてフェンスをのぼる音がした。


「ソラ。落し物。おまけつき」


ツグヤが長靴をさしだした。

それを見たカヤはびっくり仰天してしまった。

ツグヤがソラに手渡したピンクの長靴には、なみなみと水が入っており、水がぼたぼた滴っていた。

ソラはびしょびしょの長靴を両手で受け取り、中をのぞいた。


「あーっ!おたまじゃくしだ」


何と、長靴の中にはおたまじゃくしが泳いでいるらしい。


カヤはおそるおそるソラと、ソラのお母さんの様子をうかがった。

次にシンヤとツグヤの顔をみた。

そして、なんだか拍子抜けしてしまった。

ソラは無邪気に喜んでいた。お母さんも笑っていた。

シンヤはおたまじゃくしを心底うらやましがっていた。

そしてツグヤときたらまあ、なんとあっけらかんとした笑顔。


ソラの家の門を出て、ペダルカーの場所まではすぐだった。五軒隣の家だったのだ。

生け垣の枝で傷ついた腕をさすりながらカヤは思わずつぶやいた。


「この道を行けばすぐだったんじゃない。」


すると、ツグヤとシンヤは振り向いて、声をそろえた。


「それじゃあつまんないの。」


カヤはたまらずふきだした。

憂鬱はいつのまにか吹き飛んでいた。


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