五話
風は冷たいけど、今日もいい天気だ――僕は青空の下、いつもの公園のいつものベンチに座って、いつもの激安サンドウィッチを頬張っていた。寒さは日々増していて、寒風に吹かれながら日向ぼっこをする人もおらず、公園内は僕以外に人影は見えなかった。皆屋内で暖炉にでも当たっているのだろうな。できれば僕もそうしたいところだけど、あいにく父さんの研究室にはそういった暖房設備がない。でも窓からの陽光のおかげで室内は暖かくなるけど、それも正午くらいまでで、午後になると太陽は移動して陽光も入らなくなって、室内は一気に温度を下げるのだ。だから夕方の時間帯は仕事に集中できない日もある。他の研究室に行くと、自前でストーブを持ち込んでいたりするんだけど、僕達の場合はそうしたくてもできない。理由はお察しの通りだ。冬場はそういった面でも苦労していたりする。この時間、室内だろうと屋外だろうと僕にはどちらでもいいわけで、仕事をする机であまり食事をしたくない僕は、寒くても落ち着けるここに来ているのだ。
ベンチの背もたれに寄りかかって、慣れ過ぎた味のサンドウィッチの最後の欠片を口に入れて僕は頭上を見上げる。眩しい青の背景の中を黒い影となった鳥の群れが通り過ぎていく。気持ちよさそうに飛んでいる。この冷たい風がなきゃ、ずっと見ていられそうだ――群れを視線で追い、建物の向こうへ消えたのを見て、僕は正面に視線を戻した。
「……うわっ!」
急に目の前に現れた人物に、僕は思わず声を上げてしまった。
「何を驚いている」
フードの下の黒い目で不思議そうに見つめてラモンは言った。
「そりゃ驚くよ。何の気配もなくいきなり……」
「そうか。驚かすつもりはなかったんだが……悪かった」
「いつ来たんだ? まったく気付かなかったけど」
「ほんの少し前だ」
また尾行していたんじゃないだろうな――そんな疑いを抱きつつ、僕はラモンを眺めた。生地の厚そうなマントを羽織ってはいるけど、その下に見える両腕に袖はない。焼けた肌はむき出しだ。
「それ、寒くないの?」
僕が示すと、ラモンは自分の腕を見下ろした。
「別に、寒くないが」
「今日は風があるし、見てると寒そうなんだけど」
「袖のないこの服が私達イレドラ族の衣装なんだ。たとえ寒くても他の服を着ることはない」
ラモンはどこか誇らしげに言った。痩せ我慢という感じじゃないけど、本当に寒くないのだろうか。僕と同じように、ただ金がなくて買えないだけとかじゃ……。そもそもこの人が言うには、イレドラ族の住む里は山崩れに潰されて、そこから僕の元へ来たわけで、これは予想外の遠出のはずだ。所持金や泊まる場所はどうしているのだろうか。
「ちょっと聞くけど、この町に知り合いとかいるの?」
「いや、知っているのは君だけだ」
それもおかしな話なんだけど……。
「じゃあ、毎日宿に泊まってるのか? それだと金がかかって大変だろう」
「宿? 私はそんなところへは行っていない」
「え、それじゃあどこで寝泊まりして――」
「山崩れで私は家を失ったんだ。そんな場所はどこにもない」
「それはそうなんだけど……まさか、野宿してるの?」
「野宿、と言えばそうなのかもしれないが、私は最近あまり眠れなくてね。朝まで当てもなく歩いていることが多いんだ。そうして夜の時間を潰している」
一番寒くなる夜中に、町中を歩き回るって……まあ、路上で寝込むよりはいいけど、そんなの絶対体悪くするよ。
「食事はどうしてるんだ? 食べ物を買う金は持ってるのか?」
そう聞くと、ラモンはまた不思議そうな表情を見せた。
「私は見ての通りだ。……君は私を避けようとしていたのに、そういう心配はしてくれるんだな」
「あ、いや……」
我ながら人のいい部分が出てしまったようだ。いかれたことを言う男なんて無視するべきなんだろうけど、そんな相手でも頼みごとをされている身としては、町のどこかで凍死されたら何となく気分が悪いだけだ。
「私のことはどうでもいい。こうしている間にも、世界は消滅へ近付いているんだ」
真面目な表情に変わったラモンは、そう言って僕を見つめてきた――しつこいな。またこの話をするのか。
「君には早く里の聖域へ行って――」
「だから、そんなこと僕には無理なんだって。救いたいなら自分で救ってくれ」
「説明をしただろう。すでに願いを叶えてしまった私では救えないんだ。君でなければできないことなんだ」
まったく、いい加減にしてほしい。
「世界は滅びない。だって、こんなにいい天気で平和なんだ。誰もそんなことは思ってない。そう思ってるのはこの世であなただけだよ」
「それでも世界は間違いなく滅びてしまうんだ。どうか信じてほしい」
何の根拠も示せない人間を信じられるわけがない。
「この話のどこを信じろっていうんだ? どうしてそこまで僕が世界を救えると思ってるのか知らないけど、これを信じてくれる人を探して、その人に世界を救ってもらってくれよ」
「何度言えばいい。救えるのは君だけなんだ。イレドラ族の血が流れている君が――」
「それ! そのわけわかんない勝手な設定。僕にはそんな血は流れてないから」
「いや、流れているはずだ。その証拠に――」
「ミトレっていう姓だろう? じゃあこの町に住むミトレさん達は、全員イレドラ族の血が流れてるんじゃないか? それなら世界を救えるのは僕だけじゃないはずだ」
姓が同じってだけで判断することが、そもそもおかしいんだ。
「そうじゃない……君だけは、違うんだ」
「違うって何がだよ」
「上手く言えないが、私には不思議とわかるんだ」
答えに詰まると結局こうだ。
「勘だって言うんだろう? そんなの、何の信憑性もない」
もう付き合いきれないな――僕はベンチから立った。
「僕の両親は王国の人間で、そのまた両親も王国の人間だ。イレドラ族と係わったなんて聞いたことないよ。だってイレドラ族は大昔に消えたはずの民族だからね。係われるはずがないんだ」
「だが君はこうして私と係わっている」
「それはどうかな。あなたが本物のイレドラ族かはわからないよ。そうだと僕を納得させてくれれば信じることもできるけど……?」
見返したラモンは言葉に詰まっている。これが真実なんだろう。
「……無理そうだね。じゃあ僕は行くよ」
歩き出そうとした僕を、ラモンは片手を出して制してきた。
「待ってくれ……私達には代々の系図を書き残すという慣習がある。君達にも同じものがあると聞いたが……」
「家系図のこと? それならあるけど」
「では君の家の家系図を調べてみてくれ。正しく残されていれば、君にイレドラ族の血が流れていることが証明されるはずだ」
ラモンは力強い目で僕を見つめる。そこには自信も垣間見える。家系図……僕は我が家のものはまだ見たことはないけど、もしあるなら、言う通り証明にはなるかもしれない。でも、そんなことが何も書かれていなかったら、この人は今度こそ嘘つきか、いかれた男ということになる。そんな結果を恐れないほどに自信があるのだろうか……。何だろう。少しだけ不安になってきた。
「そう言うなら、調べてやってもいいけど……」
「私が嘘など言っていないとわかるだろう」
ラモンは自信がある様子だ。これははったりなのか、単なる強がりなのか……いやでも、この男の話はやっぱり信じられる内容じゃない。調べればすぐにぼろが出るに違いない。……そう言えば、調べたことがすでに一つあった。
「世界を救うために、あなたは聖域へ行けって言うけど、そこは西の山岳地帯にあるんだよね」
「そうだ」
「聞いたところによると、あそこは人を寄せ付けない未開の場所だっていうじゃないか。そんなところに本当にあなたは住んでたの?」
「住んでいた」
「具体的な場所は?」
「山岳地帯の中央、山に隠された谷の中だ」
考える様子もなく、ラモンはすぐに答えた。あらかじめ用意していた答えだろうか。
「人を寄せ付けない西の山に人が住むことなんてできるとは思えないけど。第一、こっちから入れない場所だっていうのに、そこから出てくることもおかしいだろう」
「以前は山岳地帯を抜けることは確かに困難だった。王国側へ出るには険しい道を迂回し、迷路のような岩山を何日も歩き続けなければならなかった。だが山崩れが起き、それまでの道が大きく変わったんだ。山肌が崩れて、それが積み上がったおかげで険しい道をまたぐ橋が出来上がり、わざわざ迂回する必要がなくなった。だから私は数日で王国にたどり着くことができた」
山崩れは実際にあったようだけど、それを上手く理由に使われている気もする……。
「なぜあの山で私達が住めるかというのは、かつて王国と争っていた時代、それに疲れて山岳地帯に入り込んだ祖先達が、願いを叶える力で暮らせる環境にしたと言われている。それからイレドラ族はあの場所に里を作り、長年住み続けている」
歴史をよく勉強しているじゃないか。感心まではしないけど。
「これも、疑っているようだな」
「まあ、口だけならいくらでも言えるし」
「ここで証明することはできないが、君の足で実際に行ってもらえれば、私の話した光景を目の当たりにできるだろう。できれば今すぐにでも向かってほしいが……」
「僕には生活があって、そのために仕事をしなくちゃならない。物見遊山でさぼるなんてできっこないだろう」
「遊びじゃない。世界とすべての命を救うためだ」
「僕にとってはそんなことより、仕事で家族を支えることのほうが大事なんだ。病気でもないのに仕事を休めるか」
「目先の仕事と、世界の消滅と、一体どちらが重要なのかはわかりきったことだ」
「だからっ――」
僕は言い返そうとしたけど、そんなことをするのが馬鹿らしく思えて溜息を吐いた。世界が終わると思い込んでいる男に真面目に答えたって、いかれた頭では素直に受け止めてはくれないだろう。自分の要望に応えてくれるまで、この男は世界を救えと言い続けてくるんだ。こんなの、時間の無駄以外の何物でもない。
「……昼休憩が終わる。悪いけどもう行くから」
「そうか……」
引き止めてくるかと思ったけど、ラモンはあっさりと受け入れた。何なんだろう。僕に一方的に言ってくるくせに、困らせたいわけじゃないのか。怖いんだか優しいんだか、よくわからないやつだ――僕は歩き出そうと、視線を公園の外へ向けた。
「……ん?」
そこに見えた通りで、ふと目に留まる姿があった。若い男女が並んで歩く姿。女性は満面の笑みで男性に話しかけている。その横顔は僕が毎日見る妹シルヴィナに違いなかった。そう言えば、今日は学校が休校だとか言っていた気がする。結った茶の髪を揺らして、隣の男性にぴったり付くように歩いている。まるで恋人とのデートだな――そう思って僕は思い出した。先日の夕食で、妹はやけに機嫌がよさそうだった。秘密と言ってもったいぶっていたけど、その中身はこれというわけか。予想の範ちゅうだったけど、こうして知って見ると、兄としては少し微笑ましい気分にもなる。
妹を笑顔にさせている相手は、細身でやや背が高く、明るい茶の髪は短く切り揃えられて清潔感がある。おそらく同級生なんだろう。表情には若干の幼さが残っているけど、顔立ちは地味な印象だ。女性に特別もてる感じはしないから、妹は言っていた通り家柄や資産で選んだのだろう。玉の輿という目標へ、ようやく進み始めたか。
「君が信じられなくても、この世界が滅びることは変わらない。手遅れになる前に、とにかく聖域へ行ってくれ。頼む……」
声に振り向くと、ラモンは深刻な表情でそう言い、僕の前から去っていった。今度は控え目な態度で気を引く作戦か? でも何も信じていない相手じゃ何をしたって無駄だ。まずは僕を信じさせるものを見せてくれないと話を真面目に聞く気にもなれない。っていうか、世界が滅びるなんて話を信じる人がいるとも思えないけど。
夕方、帰宅すると居間に妹の姿があった。手に持った何かを見つめながら一人微笑んでいる。昼間のデートの余韻がまだ残っているようだ。
「何見てるんだ」
横から聞くと、妹は視線を上げて笑った。
「ふふ、貰っちゃった」
そう言って手の中のものを見せてくる。それは銀色の星の細工が施された髪飾りだった。
「へえ、綺麗だな。でも高そうだ」
「うん。ちょっと高かったんだけどね」
「地味な顔の恋人は金持ちなのか?」
聞くと、妹は目を丸くして僕を見た。
「兄さん、知ってたの?」
「昼に通りを歩いてるのを見かけただけだ。……で、金持ちなのか?」
「当然よ。父親が商売してて、ソラーノは長男なの。だから将来は後を継ぐんだって。いい感じでしょう?」
妹はにこりと笑う。いろいろ調べてから恋人にした本人が言うのだから、有望な金持ちなのだろう。
「じゃあ玉の輿の見通しも立ちそうだな」
「私はまだ学生だから、目標までたどり着けるかは卒業してからが正念場よ。その間にご両親とも仲良くしておかないと……楽観はできない」
妹の頭の中には、玉の輿までの綿密な道筋が描かれているのかもしれない。抜かりを許さない真剣な眼差しには、妹ながら頼もしさを覚えてしまう。
「上手く行けば、あと数年……あと数年で我が家の苦労も解消されるわ。料理も野菜中心から肉と魚中心に変わる。もう少しだから、兄さんも頑張ってね」
「わかった。ソラーノ君、だっけ? 彼に期待するよ」
僕は妹と笑顔でうなずき合った。すべては家族の幸せのために……今はそれが一番重要なことだ。世界が終わるとか滅ぶとか、そんな空想の話を聞いている場合じゃない。目の前の現実と向き合い、僕も頑張らないとな。
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