三話

 午後もいつものように父さんの助手として働いていたけど、僕の頭にはなぜかラモンの話が残っていた。どうせ作り話だと思いつつも、なぜか気になる。信憑性はまったくないとわかっているけど、学者気質の性なのか、本当に作り話なのか、それとも真実が混ざっているのか、確かめておきたい気がしていた。これが予言だの占いだのといった類の話なら一切気にすることはなかっただろうけど、まだ謎の多いイレドラ族という名を出されると、歴史学者の卵としては裏を取りたくなってしまう。それに、本当にあいつがイレドラ族なら、これは爺ちゃん並の大発見になるかもしれないことだ。まあ、その可能性は限りなく低いだろうけど。とにかく、確認はしておきたい。頭をすっきりさせるためにも。


 僕は本棚に読み終えた本を戻しながら、父さんの様子をうかがった。他の学者の論文に目を通しながら参考部分を書き出している。時折分厚い専門書を開いては、そこの小さな文字を読んでいるけど、目頭を押さえたり首を回したりと、かなり疲れた様子でもある。まあそれも当然だ。研究所ではこうした書き仕事が大半だ。外出して調査することもあるけど、それは新たな遺跡が見つかったり、珍しい文書が出た時なんかに限られる。基本、僕達はこの研究所で座りっぱなしなのだ。


「父さん、肩でも揉んであげようか?」


「そうか? 悪いな。昼に少し寝たんだが、どうも疲れが取れなくてな。歳を取るとこうだから困る」


 僕は父さんの背後に回り、その肩に手をかけた。揉んでみると少し硬い感触がある。やっぱり凝っているようだ。


「痛くない?」


「大丈夫だ。ちょうどいい。お前も疲れていないか?」


「僕は平気だよ。父さんと違ってまだ若いから」


「じゃあ研究にでも行き詰まったか?」


「え? どうして」


「そうじゃなきゃ、仕事中にこんなことしないだろう」


 親は子供のことなんかお見通しってことらしい。


「……行き詰まったわけじゃないけど、ちょっと聞きたいことがあるんだ」


「何だ? 言ってみろ。わかる範囲なら教えるぞ」


「あのさ、イレドラ族っているだろう?」


「ああ、殺されてしまった大昔の先住民族か。それがどうした」


「彼らのこと、今はどこまでわかってるのかな」


 すると父さんは首をひねって僕を見てきた。


「もしかして、研究主題にするのか?」


「そんなんじゃないけど、最近、その話を聞く機会があって……少し気になってね」


「イレドラ族か。そうだな……」


 父さんは顎を撫でながら宙を見つめる。


「私が知る限りでは、イレドラ族を研究している人間はいない。何せ歴史上では大昔の一時代にほんの少し現れるだけの存在だからな。彼らについて書かれた文献はごくわずかしか残されていないが、そこに文化や生活様式が書かれているわけでもない。その材料不足から研究したくてもできない状況とも言える」


「その中でわかってることは?」


「不思議な術を使えたと言われている」


 それは僕も知っていることだ。


「どんな術かは知ってる?」


「そこまで判明はしていないんじゃないか? これに関しては多くの人間が懐疑的だ。中にはイレドラ族そのものが架空の存在だと言う者もいるそうだ。私はさすがにそれは行き過ぎだと思っているが」


「間違いなく、いたとは言えるの?」


「王国が編纂し、所管する歴史書には、はっきりとイレドラ族の名が出ている。彼らと戦い、双方に死傷者が出たことまで書かれている。そんな嘘を書き残す理由などないだろう」


 イレドラ族がいたのは確かなようだ。


「彼らは、本当に皆殺しにされたと思う?」


「それは何とも言えない。そう書かれているのは一部の文献だけで、王国の歴史書には彼らの最後については何も書かれていない」


「でも今はそういうことになってるけど、どうして?」


「忽然と姿を消してしまったからだろう。王国と争っていたようだが、その最終的な勝敗もわからないままだ。私達がここに住んでいるということは、王国が勝ったということなんだろうが、敗者である彼らがどういう扱いをされたかはわかっておらず、消えてしまった敗者――そこから想像できたのが皆殺しという結末だったんだろう。今はそれが通説だが、あくまで推測でしかない。疫病にかかって死んだのかもしれないし、戦いに敗れて大陸を離れたのかもしれない。通説であっても、確実と言えるようなものじゃない」


 へえ、父さんは通説でも疑ってかかるほうなのか。


「じゃあさ、イレドラ族が今も生きてるなんてこと、あり得るかな」


「ないとは誰も言えないだろう」


「だけど彼らを見た人なんてどこにもいないよ」


「実は見ていながら、それがイレドラ族と気付いていないだけかもしれない。もしくは、私達の目の届かない場所でひっそりと生き続けている可能性だってある。新種の動植物のようにな……肩、ありがとう。大分ほぐれた」


 僕は手を離して、机を挟んだ父さんの正面に回った。父さんは僕が揉んだ肩を軽く回しながらこっちを見る。


「エヴァンは肩もみが上手いな。凝ったらまたやってくれ」


「うん、いいけど」


「それで、お前はどっちだと思っているんだ?」


「どっちって?」


「イレドラ族が今もいるかいないかだ」


「ああ、それは……」


 父さんの見解を聞いていると、絶対にいないとは言い切りにくい。一般的にはすでに消えた存在だけど、本当にどこかにいるのかもしれない。もしくは見ていながら気付いていないだけなのかも。たとえば、自分をイレドラ族と自称する胡散臭すぎる男性――いや、あの人はないだろう。服装でそれらしい雰囲気を醸し出してはいるけど、世界を救ってくれとか、僕がイレドラ族とか、言うことが突拍子もなさすぎることばかりで到底信用できない。あの尾行男が本物なわけないとは思うけど――


「僕も、どっちとも言えないよ」


 いないほうが分がある気はするけど。


「やっぱりイレドラ族の研究をするつもりなのか」


「そこまでのことじゃないんだけどさ……」


 あいつの嘘をはっきりさせたいだけだ。


「真偽をね、ちょっと確かめておきたくて」


「真偽?」


 父さんの目付きが若干鋭さを増して僕を見た。


「何か有力な材料でも手に入れたのか」


「有力だなんて、そんなすごいもんじゃないよ。小耳に挟んだ程度の――」


「だが真偽を確かめておきたいものなんだろう? そこから誰も知らない事実が見つかるかもしれない。いいんじゃないか?」


「いいって、何が?」


「研究主題にだよ。さっきも言ったが、イレドラ族を研究している人間はいない。つまり競争相手がいない主題だ。もし一つでも新たなことが判明すれば、それだけでも功績になるぞ」


「父さん、僕はそんなつもりは――」


「イレドラ族か……確かに主題としては盲点だったな。新たな研究材料があるなら、イレドラ族研究の第一人者になれる可能性も高い。エヴァン、いいものに目を付けたな。だが研究者がいないということは、それだけ材料が乏しく、難しいということでもある。困ったりわからないことがあったら私はいつでも協力するぞ。必要なら共同研究者として調査を行ってもいいが」


「えーっと……うん、今はその、気持ちだけで十分だよ」


「そうか……遠慮はするなよ。相談に乗るぞ」


「うん、わかった……」


 僕は愛想笑いを残して静かに自分の机に戻った。イレドラ族を研究するなんて一言も言っていないんだけどな……。まあ、いいか。それにしても、功績の匂いを嗅ぎ付けた父さんはあからさまだ。何が何でも大発見をしたいという下心を隠しもしない。それだけ爺ちゃんを尊敬して、その山に並び、越えようとしている強い気持ちの表れなんだろうけど、息子の僕に乗っかるっていうのはどうなんだろうか。まあ、乗っかれるような研究をするつもりはないんだけど。


 建物の影が伸び始める夕方、今日の仕事を終えた僕と父さんはいつもなら一緒に帰るところだけど、今日は父さん一人で帰ってもらい、僕はある場所へ寄り道をした。


「まだいるかな」


 歴史研究所からほど近い距離にある二階建ての建物を見上げる。その入り口の上には王立地理調査所と刻まれている。ここはその名の通り、王国内の地理を司る機関で、各地の測量や調査、地図の作成などを行っている。僕がここに来たのは、あの男ラモンが言っていた言葉を確かめるためだ。


 入り口をくぐり、とりあえず廊下を進む。ここには学生時代の同級生が勤めていて、前に聞いた話では、山林の調査をしているとのことだった。月日が経っているから今も同じことをしているかはわからないけど、まずは彼を見つけなければならない。


 歩きながら開いている扉や窓をのぞいて部屋を確認してみる。すでに帰宅して真っ暗な部屋もあれば、残業なのかまだ書類にペンを走らせている光景もちらほらあった。でも同級生の姿は見当たらない。一階じゃなくて二階にいるのだろうか――階段を探して廊下を突き進んでいた時だった。


「……あ!」


 奥から歩いてくる姿を見つけて、僕は思わず声を出してしまった。これに気付いて視線が合った向こうも、声こそ出さなかったが口を開けて驚いた表情を見せた。


「エヴァリスト・ミトレか?」


「ジョルジ、久しぶりだな」


 僕達は互いに小走りに駆け寄ると、数年ぶりの再会に笑顔で抱き合った。


「どうしたんだよ、こんなところへ」


「ちょっと聞きたいことがあって……変わりないか」


「見ての通り、何も変わってない。少し体重は増えたけどな」


 ジョルジは外套の前を開け、シャツの下の胸をぽんっと叩いて見せた。学生時代は僕よりも細かった彼だけど、今はそれなりに筋肉も付いたようだ。地理調査の仕事はかなり体力を使うらしいから、それで自然と付いたのかもしれない。


「エヴァンも変わってなさそうだな」


「まあね。昔と大差ない毎日を送ってるよ」


「そんな感じだ。顔に幸福感がない」


「失礼な。僕はもともとそういう顔なんだ。ジョルジのほうこそ疲れた顔してるぞ」


「昨日まで調査に出てて、今日はその報告書をまとめてたんだよ。体も頭も疲れが溜まって、今日はさっさと帰って寝るつもりだ」


「帰るところだったのか。じゃあ呼び止めて悪かったな」


「いいって。久しぶりに顔を見られたんだから。……それで? 俺に用があるんだろう?」


「ああ、確認したいことがあってさ。一週間前に地震があっただろう」


「うん、それが?」


「その地震で被害が起きたっていう報告はあったか?」


 僕が確認したいのは、ラモンが言っていた山崩れが本当にあったのかどうかだ。あいつは確か、西の山岳地帯から来たと言っていた。つまりそこに住んでいるということで、山崩れもそこで起きたということになる。


 ジョルジは宙を見つめ、記憶をたどっているようだった。


「被害報告? いろいろあったぞ。土砂が川に流れ込んだとか……」


「そういう小規模なものじゃなくて、山崩れがあったとか、聞いてないか」


「山崩れ……あっ」


 ジョルジははっとした顔で僕を見た。


「そう言えば、西のほうを通りかかった商人が、あの日、ものすごい音と白い煙が上がってるのを見たっていう報告が――」


「それ、山崩れだったのか?」


「そうかもしれないが、まだ確認に行ってないから何とも……」


「何で行かないんだ? 被害状況は即確認するべきじゃないのか?」


「そりゃそうだけど、報告を聞く限り、それが山崩れだとしたら、起こったのは西の山のどこかだろう。あそこはどこも険しくて人を寄せ付けない未開の山地だ。周辺にも人は住んでないから、被害確認の優先順位としては低いんだよ。そんな無人の場所より、まずは生活に係わる身近な場所の被害から順に回復させるほうが先だ」


 もっともな理由だ。


「じゃあ、まだ誰も山崩れを確認してないのか」


「王国は広い。もっと人員がいれば、明日にでも見に行けるんだろうけど、今のところそんな予定はないな」


 山崩れはあったかもしれないけど、未確認という状況か……。


「そうか……」


「西の山に何かあるのか? まさかあんなところに向かった物好きな友達がいるとか言わないだろうな」


「違うって。そんな心配はないから安心してくれ。とりあえず聞けてよかったよ。ありがとう」


「役に立てたのかよくわからないが、こっちもエヴァンと会えてよかった。そのうち飲みにでも行かないか? 時間が合った時にでもさ」


「いいね。じゃあ暇な時にでも誘ってくれよ。金はそっち持ちで」


 そう言うとジョルジは心配げな目を向けてきた。


「まだ金に困ってる状態なのか? 給料は貰ってるんだろう?」


「困ってるわけじゃない。大丈夫だよ。何とかやってるから」


「まあ、一杯くらいおごってやるけどさ……。困ったら言えよ」


「だから困ってないって」


 僕は苦笑いした。実際は半ば困っているような状態だけど。


 ジョルジと共に入り口を出ると、空は群青色に染まり、辺りは薄暗さを増していた。


「それじゃあ、またな」


「ああ、無理するなよ」


 お互い手を振って別れ、僕は帰路につく。暗く冷たい空気に思わず首をすくめる。だけどジョルジと久しぶりに話せたことは心を温めてくれた。学生時代と変わらず、今も僕に気をかけてくれたのは彼らしい。当時からすでに金欠だった僕に、俺にたかるなと言いつつ、何度もおごってくれた心優しい友達なのだ。いつか彼には礼をしないといけないけど、こっちがおごってあげられる日はいつになるだろうか……。 ジョルジのことはひとまず置いといて、本題は山崩れがあったかどうかだ。彼の話ではそれらしい報告はあったようだけど、まだ未確認だった。それが確かめられるのはまだ後になりそうだ。仮にそれが山崩れだとして、ラモンはどうしてそれを知っていたのだろうか。僕はそんなことが起きていたことすら知らなかったのに。ジョルジの話にあった通りすがりの商人のように、偶然見かけたのか? でも西の山岳地帯を望めるあの辺りは荒野が広がるだけで、人はまったくいないと聞く。誰かいるとすれば、各地を渡り歩く商人や旅人、それと野生動物くらいだろう。だけど一週間前のあの日、あの瞬間に、偶然山崩れを目撃して、そこにイレドラ族を絡めて設定を作るって、何か手が込み過ぎている気もする。誰も知らない山崩れという出来事を混ぜたところで、僕が確実に信じ込むわけでもないし。あの男、無謀なのか緻密なのか、よくわからない。嘘を堂々と言って、いかれた頼みごとをしてきて……本人はそう思ってはいないのだろうけど、自分がイレドラ族だなんて明らかに――


『ないとは誰も言えないだろう』


 僕の頭に、ふと父さんの言葉がよみがえった。まったくの皆無とは言えない。イレドラ族は謎だらけの先住民族なんだ。これまでの通説を信じるだけの材料もない。あの男は限りなく疑わしいけど、でも全否定することもまだできない。もしあいつの言うことがすべて本当だとしたら、それはそれでものすごい発見になるだろう。父さんが言うように研究主題として申し分ないし、皆はこぞって研究したがるだろうけど……やっぱりないな。そんなの夢だ。目の前に功績が落ちているわけないんだ。考えすぎるとあいつの話に傾きそうになる。いかれた作り話を真に受けてどうするんだ。そんなことよりも、まずは目の前の現実を見ないと――道の遠くに見えてきた我が家を見て、僕はラモンのことを一旦頭から追い出した。

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