第5話

 「大鳥くん。少し事務室へ行っているわね」


彼女は通りすがりにスタッフの青年へと声を掛ける。青と白が爽やかなストライプ柄のワイシャツを着た彼は、戸惑ったように一度俺たちを見ると、「分かりました」と頷いた。


 通された事務所の中は、表と比べて随分と殺風景だった。白い壁の部屋に、二人掛けのソファーがガラステーブルを挟んで置かれている。彼女は俺たちを上座へと座るように促した。それから、廊下を通りがかった誰かにお茶を出すように伝えると、ようやく俺たちの向かいに腰を下ろした。


 「申し遅れました。オーナーの萩玲子と申します」


よろしくお願いします、と萩さんは慣れた手付きで名刺を差し出す。そして俺たちがそれを受け取ったのを確認し、一拍置くと、「それで」と続けて口を開いた。


 「警察の方が、一体何の御用でしょうか」


 和やかな口調は崩さないものの、ある種の緊張感のようなものが含まれているのを感じる。だがこれは特に不思議なことではない。やましいことが一切なくても、警察とは緊張する相手なのだ。


 「この男性、ご存知ありませんか?」


 山内が手帳に挟んでいた写真を取り出す。防犯カメラの映像を拡大して抜き出したもので、少し画質は荒いがどんな人物かはかろうじて分かる。

 ガラステーブルに置かれたそれを、萩さんはじっくりと覗き込む。しばらくしてから、「いえ」と首を振ってこちらへと視線を戻した。


「知りません。この写真は確かに、この店の前ですが」


誰なんでしょう、と首を傾げる彼女を見ると、山内が続きを話すようにと俺に目で促す。俺は一つ息を置いてから、順を追うように言葉を紡いだ。


「八月六日、この近くにある住宅街の空き家で男性が倒れているのが見つかりました。身元はまだ分かっていません。男性の行動を追っていたところ、八月五日の二十時頃にこちらの店から出るところが、向かいのコンビニの防犯カメラの映像に残っていました」

「その時間は営業時間ですし、お客様だとは思います……。今、こちらの店では私の作品の展覧会も兼ねていて、多くのお客様に出入りいただいているんです。正直、顔までは把握していなくて」


 腕を組み、綺麗にネイルされた爪を唇に当てて考え込む仕草をする。ノックのあと、「失礼します」とアイスティーの入ったグラスをトレイに乗せた、さっきの青年が部屋へ入って来た。彼女はその彼に写真を見るように言う。


「この方、大鳥くんは覚えがある? 八月五日の二十時頃にお店を出たようなんだけど」


大鳥と呼ばれた青年が俺たちの前に一つずつグラスを置きながら、写真へと視線を落とす。萩さんと同じようにじっくりとそれを見た後に、彼もまた「知りません」と首を横に振った。


「僕はその日、一日お店にいたんですけど。この人がいたかどうかまでは、ちょっと」

「そうですか」

「失礼ですが、萩さんは五日の夜間から六日の早朝にかけて、何をしていらっしゃいましたか?」


 山内が問う。


「五日は二十一時に閉店して、それから二十二時半ごろまでお店で作業をしていました。大鳥くんが一緒にいました」

「はい。僕も同じ時間まで一緒に作業をしていて……。玲子さんも僕もタイムカードを通しているので、記録が残っていると思います」

「それこそ、私たちが店を出るところがコンビニの防犯カメラに映っているんじゃないかしら。最後は表のシャッターを閉めて帰るので」

「なるほど。では、二十二時半以降は?」

「二十二時半以降は……自宅がこの近くのマンションなので、そちらで。あいにく、独身なので証言してくださる方はいません」

「マンションに防犯カメラなどは?」

「確か、なかったと思いますよ」


 先ほどまで穏やかに返事をしてくれていた萩さんが「あの、」と眉を下げる。


「その男性は殺害されていたんですか? それから、私のことを疑っているのでしょうか」

「まだ詳しいことは……」

「事件と事故、両面で捜査しています。すみません。念のためにお伺いしただけです」


山内が俺の言葉を遮る。手帳をパンと音を鳴らして閉じると、「先輩、行きましょう」と立ち上がった。こいつは一体、何の圧を萩さんにかけているのだろう。強い視線と口パクで「早く」と催促され、俺もようやく腰を上げた。遺体を見ても動じず、先輩を変なあだ名で呼ぶ図太さがあるくせに、綺麗な女性には心が狭くなるのかと意外に思った。

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