僕が恋する夏目な彼女⑤
「それで? だからって、なんで僕と千佳さんのことに口を出してくるんですか?」
開き直りのような八つ当たりのような。二人の会話をぶった切って、品田が声を出す。気合いが入っていたのか。目の前の景色を叩き潰したかったのか。声は低く大きくなっていた。
栞がびくりと驚いたように身体を震わせる。僕はそっと後退して、栞の隣に並んだ。今となっては、僕らはもうマネキンとして飾られているようなものだった。
「そういう関係だからだろ?」
ぶちりと血管が切れたような音がしたような気がする。
それくらい品田の怒りが表面化した。それまでも苛立ってはいただろうが、これほど分かりやすいものか、というほどに憤怒の表情だ。千佳先輩が遊んでいると分かっていてなお、透先輩の態度は捨て置けないのだろう。
確かに、透先輩は上から目線を崩さない。それでもまだ、品田は怒声を上げて狂乱することはなかった。理性的であることが褒められるのかどうかは、甚だ疑問だ。逆に恐ろしいという見方もある。
「……そうだとしても、これは僕と千佳さんとの話であると思うのですが、貴方が出張ってくる理由はありますか」
「そうだな」
透先輩は軽やかに相槌を打って、そのまま表情を消した。
造形の整っている透先輩から表情が落ちると、途端に恐ろしくなる。感情のない造りもののようだ。
見ているだけの僕だってぞっとするものを、品田は真正面から受け止めている。その根性を思うと、千佳先輩の魅惑具合が恐ろしい。一体何をやって、品田を惚れさせたのだろうか。
「まぁ、確かに二人の話かもしれないけど、千佳子は既に十分断ったんじゃないのか?」
透先輩はひどく冷静だ。ここまでの経緯を推測できているのは、千佳先輩の行動を知っているからなのだろう。品田も痛いところを突かれたとばかりに、勢いが削がれた。
「それでもしつこくするなら、他の人が出てくるのはそこまで不思議な話じゃないだろ」
「だとしても、マウント取る必要があるんですか。僕は話し合いがしたいんですよ」
透先輩に食ってかかる姿を見ていると、話し合いをしたいと願っている人の行動としては感情に傾き過ぎている。だからといって、話し合いができないわけではないけれど。けれど、透先輩の冷厳さを見ていると、その差は天と地ほどにあるようだった。
「あんた、東の生徒だろ? この状態がどう呼ばれるのか考えれば分かるんじゃないか?」
山里東私立高校はこの辺りで一番偏差値の高い高校だ。それが今は効果的な煽り文句になっている。透先輩の言い草は、遠回しであるがゆえに嫌味であった。
「僕は訪ねてきただけですよ」
「確かに夏目荘はすぐに分かる家だし、訪ねてくることに問題はないかもしれないけど、千佳子は拒否したはずだ。住民に拒否したうえで恐怖を与えたとなれば、それはストーカー行為となりえるんじゃないか。それだけで訴えられるだとかられないだとか、警察が動くとか動かないとかそういう話に重点は置いてない。被害者がどう思うかという話をしているからな」
創作のときもそうだし、嘘のときもそうだけれど、透先輩は自分の理論をしっかりと持っている人だ。意見を言うことに揺らがないエネルギーがある。
悪足掻きをしていた品田も徐々に苦しくなってきたのか。怒りとは別に唇が歪んで噛み締められた。
「千佳子に迷惑をかけたいのか」
飴と鞭というほど分かりやすくはない。だが、責めた後で千佳先輩への感情を優先させる人情を出すのは、落差で響くようだ。
品田の表情が緩んで、眉が垂れ下がった。その顔がにわかに恐れに似た感情を宿し、千佳先輩へと向けられる。
千佳先輩は平常運転だ。迷惑を被っていようといまいと平常運転なのは、どう取ればいいのか分からない。それが品田を余計に不安にしたようだ。透先輩を相手にしていたときの強腰はあっという間に引けていた。
「千佳さん」
「迷惑だよ」
けんもほろろ。まだ疑問も口にしないうちから、先読みで切り落とす。このシチュエーションを引き起こした張本人にしては、残酷にも写った。
しかし、ここまでになってしまったら、はっきり言う以外の道は残されていない。発端が千佳先輩にあったとしても、今ここで付きまとってくる男を慮れというのは別問題だろう。
僕にはどうすればいいのかも、何が正しいのかもさっぱり分からないけれど。
「ごめんね」
「……」
謝罪することが、ダメ押しになったようだった。
すっかりしょげかえってしまった品田が、その場に棒立ちになる。今までだって立っていたけれど、今や魂が抜けてしまった悄然とした立ち姿になっていた。それでも、身を引くにはまだ何かが足りないのか。それとも、動き出すことすらできないだけなのか。
しかし、このままでいられても困る。
「……敷地内で悲しむのはやめてもらえるか」
追い打ちになると分かっているからか。透先輩の声音は柔らかかった。
「言いたくないけど、これ以上は自分の立場を危うくするってのを理解してくれ。噂だけでも致命傷だろう。東高生」
その言い方は、柔らかいからこそ怖い。最終勧告と言えるものだった。
ただし、その指摘は噂をほのめかす程度の圧しかない。絶対的に退ける力があるわけではなかった。けれど、品田を動かすには十分過ぎるものであったようだ。
「失礼します」
それは多分、千佳先輩ではなく、この場を占めている透先輩へのものだっただろう。そうして、品田は回れ右をして去って行った。
これでもう、品田が来ないという確証はない。荘には来ないかもしれないが、千佳先輩とは連絡先を交換しているのだから、この後のことは品田次第だろう。
だが、ひとまず、休日の平和を取り戻すことができた。僕と栞はただの部外者だったが、そっと息を吐いて気を抜く。
千佳先輩も肩の力が抜けたのが分かった。そして、もう必要はないとばかりに透先輩の手をはたき落とす。透先輩はその仕草が気に食わないとばかりに、眉を顰めた。
品田相手に見せていた余裕が吹っ飛ぶ。僕をからかう以外では飄々としていると思っていたがそうでもなかったようだ。
そして、透先輩は弾かれた手のひらをそのまま翳して、千佳先輩の額にチョップを落とした。チョップとはいえ、威力はままあったようだ。
「いった!?」
と叫んだ千佳先輩が、透先輩から飛び退いて頭を抱えた。
「お前は気をつけろって散々言ってきただろうが。荘まで攻め入られてんじゃないぞ。栞ちゃんに何かあったらどうする気だったんだ」
「心配、そこなの?」
「お前は自業自得だ、馬鹿! 大体、心配じゃなきゃ相手してなんかやらんわ。この大馬鹿が」
吐き捨てた透先輩が、ずんずんと荘へと戻っていく。
照れ隠しというような態度ではないが、聞いているこっちが気恥ずかしいほど心配していることを隠さないセリフだった。こういうところが本当のイケメンなのかもしれない。
千佳先輩が目を瞬いて、唇を引き結んだ。かすかに頬が赤いような気がするのは、陽光の具合だろうか。千佳先輩がそんな純真な反応をするわけがないと思っている僕の固定観念がそうした思考をもたらすのかもしれない。
「そういうの恥ずかしいからね、透!」
「うるさい。お前、本当はチョロいんだから、ほどほどにしとけ。俺に落とされたくなかったら、千佳ちゃんらしくしとくんだな」
叫んだ千佳先輩に返す刀で戻ってきた言葉は、破壊力が凄まじい。
千佳先輩も唖然とした顔で荘へ戻っていく透先輩を見送っていた。僕と栞も顔を見合わせて、透先輩の最後っ屁に慄く。
千佳子らしいところなんて、僕らは知らない。透先輩がそれをチョロい部分に被せているのかどうかも分からなかった。それでも、色々と十分過ぎる破壊力で、目を瞬くことしかできない。
千佳先輩は額を押さえてから、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。その手荒い手つきは、普段お洒落に気を遣っている千佳先輩から考えられないものだった。そして、あーっと悲鳴を上げてから顔を上げる。
何かを吹っ切ったかのような行動に、僕と栞はやっぱり面食らうことしかできなかった。僕らは徹頭徹尾、部外者でしかない。
「迷惑かけて悪かったわ」
直ちに謝罪されて、僕と栞は顔を見合わせた。
「いや、何もできてないんで……」
「うるさかったでしょ。まぁ、元が真面目だし、大丈夫だと思うけど、これから先絡まれたらすぐに言って。栞のことは蒼汰に任せる」
「任せるって……」
傍観者になり過ぎていて、何を求められているのか頭が回らない。復唱してしまった僕に、千佳先輩が肩を竦める。透先輩に乱された調子は取り戻したようだ。
「一緒に登下校するくらい安いでしょ」
「……まぁ」
それは簡単なことではあるが、僕一人の意思だけでは決められない。曖昧な相槌を打って、栞へ目を向けた。
「そこまでする必要ありそうですか?」
品田の調子を見ていれば、栞へ凸する勢いはなさそうではある。栞の疑問も分かるが、千佳先輩は
「一応ね」
と短く答えた。
その端的さは、本当に一応というスタンスではある。千佳先輩も品田がそこまでするとは思っていないのだろう。
言葉に拘束力はなかったが、透先輩の勢いにはそれを飲ませてしまえる力強さがあった。あの消沈っぷりを見れば、千佳先輩の前にもそう現れないのではないかと思われるくらいだ。
「……分かりました。蒼くん、いい?」
「もちろん」
栞の質問には即応できる自分のチョロさといったらない。だが、断る理由は微塵もなかったので、即応でなくとも結果は同じになっただろう。
「とにかく、今日は騒ぎにしてごめんね。この間も」
「千佳先輩も気をつけてくださいね。透先輩が守ってくれるかもしれないけど」
「栞、透のことはナシで」
そこは頑ならしい。結果が伴ったところで、認めるつもりはないようだった。
栞は苦笑しながらも続きは飲み込んだ。ここで透先輩のことをごり押ししても、何も得られないことは栞も分かっているのだろう。
いくら透先輩が爆弾発言を残していったって、その辺りを僕らがどうにかできるとは思っていない。
「じゃ、僕らは僕らでどうにかするので、千佳先輩は千佳先輩でってことで」
「うん。それで」
ここまで傍観していたというのに、話をまとめる立場になっていることに不思議さはある。
だが、僕のこれが終幕のきっかけとなった。
千佳先輩は、「それじゃ」と呟いて透先輩と同じように荘へ戻っていく。……透先輩と話す気があるのだろうか。というのは正しく野次馬だろう。これは心配とは別の感情だ。
「僕らも戻ろうか」
声をかける必要はなかったのかもしれない。けれど、なんとなく同行して出てきたものだから、同行して戻るのが正しいような気がした。二人して部屋にいそいそと戻る。何をしに出てきたのか、と苦笑いになるのは同じだった。
「透先輩かっこよかったね」
のんびりともたらされる栞の感想に異論はない。ないのだが、直接口にされると悲しさが襲ってくる。
透先輩に心をざわめかせられるは、僕も品田も変わりないのかもしれない。僕は栞に突っ込んで食い下がるなんてことはできないけれど。そう思うと、品田の根性はすごい。行動は褒められたことではないが。
「あんなに心配していたんだな」
「千佳先輩のこと大事にしてるよね」
「……いいコンビだよな」
それ以上、突っ込んだことは言えなかった。たとえ自分たちのことでないにしろ、恋愛事に転がりそうな話を振る勇気はない。
栞が何を考えているのかは分からないけれど、栞もコンビということで納得したようだった。
そうして、僕らは休日の穏やかな午後に戻る。執筆と読書という孤独な趣味を、同じ空間で堪能する。それができる最後の日は、その後特に問題もなく長閑に過ぎ去っていた。
千佳先輩と透先輩は、夕飯にはもうすっかり元通りになっていて、あの後何かがあったのかどうかは分からない。本人たちが口に出さない事案をこちらから掘り返すつもりはなかった。もし二人に何かがあったとしても、僕らが関知することではない。
そこを流してしまえば、休日は淡々とした終わりを迎える。翌日には、元の部屋の天井……床が、改修された。戻らない理由もない。
僕と栞は、お互いの趣味に没頭する時間をそのまま、それぞれの自室へと持ち帰ることになった。
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