活字少女とラノベ少年③

 荘で一緒になって三週間。確かに、お互いに相手が読書家であることに気がつける場面に遭遇している。僕だって居間でも本を読むし、大路さんはその比ではなく本を読んでいた。本の虫だ。だから、お互いに知っていることではある。

 だが、それだけで信頼ができるなんてのは暴論だ。謎論理過ぎて、話についていけない。


「何か変?」


 僕が無言でいたものだからか。大路さんがゆったりと首を傾げた。連動するように長い髪が揺れて、毛先が胸元の膨らみの上へ弾んだ。無意識に追っていた視線を焦って外す。


「変、というか。そんなことを理由にしてたら、君はそのうち騙されると思う」

「蒼くんは本をとっても大切に扱っているし、そういうところで見てるだけだけど」

「それでも危険だろ」


 ただ本を読む、という部分で判断しているわけでないことは、多少納得できた。だが、どっちにしても危うい判断材料であることは確かだ。

 ものを大切に扱うことにいい印象を抱くのは分かる。僕だって、大路さんの手つきをいいなと横目で見たこともあるから。でも、だからって、一事が万事それを基準にするってわけにはいかない。


「でも、蒼くんはちゃんと異性の話を取り上げて、こうして確認してくれるし。それは信頼できると思う。山下先輩もお婆ちゃんも事情を知っているのに、妙なことをしでかすとも思ってないよ」

「……それは結果論だろう」


 自分の行動から信頼を重ねてくれていることも分かった。だが、それと読書が結びつくのは別だ。もちろん、信頼は嬉しいが、謎論理であることには呻きが零れてしまった。


「何か間違ってる? 蒼くんは優しいよ」


 そう零す大路さんが制服を見せてくる。それは、取ってくれたからということなのだろう。事実に基づいた評価はいい。いいのだが、僕だって男だということは多少気に留めて欲しいところではある。実績のない全面的な信頼は、期待が重い。

 そして、容易にどうしたらいいのか分からなくなってしまうほどには、僕はコミュニケーション能力が欠如している。そのうえ、僕らはそこまで仲がよくない。会話は簡単に蹴躓いてしまって、沈黙が横たわる。

 その気まずさが空気になって荘を渡り歩いたわけではないだろう。だが、まるでそれを読んだかのように、透先輩がひょいっと顔を出してきた。


「荷物、取り出せたか? できたらさっさと出て来いよ。怪我するぞ」

「透先輩、パーティションどんな感じですか?」


 ちょうどよくやってきたものに僕はあっさりと縋る。

 揃って廊下に出ると、二人でいたという認識が薄れて、気が楽になった。大路さんといることを苦痛に思っているわけじゃない。仲良くできるのならば、それはとても嬉しいことだった。

 同じ趣味を持つものだ。仲良くなれば、共有できるものがあるだろうと想像するだけで楽しい。だが、今すぐというのは僕には困難だった。


「一応の応急処置って感じだから、あんまり乱暴に扱わないようにな。理性手放すなよ」

「勘弁してくださいよ」

「蒼くんは山下先輩とは違いますよ」


 横からフォローが入って、見下ろす。制服と鞄を抱えた大路さんが真っ直ぐにこちらを見上げていた。


「俺、そこまで遊び歩いてないって。千佳子じゃないんだから」

「千佳先輩のことを引き合いに出してると、また怒られますよ」

「千佳子は俺のことなら何でも怒るよ」

「分かってるなら、からかうようなことしないでいればいいじゃないですか。蒼くん、部屋に行こう」

「あ、ああ」


 透先輩と小縣千佳子先輩は二年生。関係性はそれなりにできあがっている。口さがなく言い争いながらも仲が悪くないという不思議な関係だった。

 そして、大路さんは僕よりも二人に慣れているところがある。ナツさんが祖母ということもあり、越してくるより前から夏目荘に顔を出すことがあったらしい。その中で、透先輩とも千佳先輩とも雑談する程度の関係は結んでいたようだ。

 その影響が、こういったところに出た。仲間はずれにされているなんて思いやしないけれど、ちょっとばかり羨ましくはある。

 それを感じながら、空室の一〇一号室に入った。夏目荘の部屋は和室だ。ふすまなので、廊下側からなら一面どこからでも入れる。それを利用するためだろう。部屋は縦に区切られていた。

 ただ、それも奥のほうだけで、手前はテーブルが境界線を跨いで置かれている。


「悪いけど、今日はこうするしかない。シーツにだって限度があるし、布団を敷いている部分だけ相手の姿が見えないようにしてるから。栞ちゃんは不安だろうけど」

「大丈夫ですよ。山下先輩じゃありませんから」

「何度も言わないであげなよ」


 透先輩に遊び人気質があることは事実だ。ルックスが整っているから、女性も放ってはおかない。たった三週間の関係しかない僕ですら、その性質には気がついているし、認めている。それほど明確であるから、言いたくなることもあるだろう。

 それにしたって、大路さんはあけすけもいいところだ。思わず感想を零すと、大路さんは目を細めて僕を見た。


「千佳先輩には負けるよ」

「二人のやり取りと競争しようなんて無謀なことだろ」

「やり合っているときは関わることもね」

「傍観一択だな。ところで、どっちにする?」

「私は左で」

「じゃあ、それで。テーブルを使う用事もないし、僕はシーツがある場所からでるつもりはないから安心してくれ」

「心配していない」

「二人ともそれなりに打ち解けてたんだな」


 僕らのやり取りを見ていた透先輩がけろっとした顔で言う。透先輩は居間に出てくることは少ないし、今日のように僕らの状態に駆けつけることも稀有だった。非情であるわけではないが、留守にしていることも多いという話だ。

 そんな透先輩は、俺たちが居間で本を読んだりしているのを知らない。だから、僕らの交流について知らなかったのだろう。

 そうはいっても、微々たるものではあるが。それを知っているのと知らないのとでは感想が違ってくる。思ったよりも、と言う透先輩に僕らは顔を見合わせた。


「それなりですよ」

「ふーん?」

「透先輩のその恋愛脳はどうにかならないんですか」

「面白そうなことは全力で探るものだろ」

「だから、千佳先輩に嫌われるんですよ」

「千佳子のビッチな恋愛に興味はない」

「……」


 やはり、透先輩と千佳先輩の関係は読めない。それは大路さんも同じのようで、そっとアイコンタクトを交わした。僕らのそれは透先輩のいい餌になったようで、にやりと口元を緩めている。本当にどうでもいいところに全力な人だ。


「分かりましたから、出てってくださいよ。透先輩がいたんじゃ大路さんが休めないでしょ」

「自分は大丈夫って? さっき」

「あー、もう遅いですから、先輩も早く寝たほうがいいですよ。僕らのせいで心配かけてすみませんでした。どうぞ、お引き取りください」


 あんな危機的状況で、性差を感じていたというのは気まずい。そうでなくても気まずいが、シーンの危機感に相応しくないだろう。いくら肉体的接触があったとしても、そんな場合ではない。

 僕は透先輩の背を押して、部屋から追い出した。透先輩は半笑いで僕の動きを受け入れている。


「じゃ、二人でごゆっくり」

「やかましい」


 意味深長を狙っているのはあからさまだった。

 僕は突っ込みながら、去っていく透先輩を見送る。大路さんもただの戯れだと認識しているのか。それとも、僕らのくだらないやり取りの中身に気がついていないのか。何事もなく見送っていた。

 そうして、僕らは部屋へと引っ込む。ぎこちない感情があるのは仕方がないことだろう。シーツの向こう側が気になるのも。

 それでも、この生活をするしかなかった。

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