活字少女とラノベ少年②
そのまま無言で居間に入ると、ナツさんが座って待っていた。
「二人とも怪我はない?」
「私は大丈夫だよ。でも、蒼くんが痛がってたから明日は病院に行くようにしてもらって」
「いや、僕は」
「ダメよ。ちゃんと行ってきてちょうだいね」
「……はい」
確かに、どれだけ軽く感じたといっても、人一人が自分の上に落ちてきたのだ。強く言い切られれば頷くしかできない。
「それで部屋のことだけどね」
ナツさんはすぐにお世話になっている大工さんに話を通すという。それでも、明日になることはどうしようもないし、部屋を片付けることもできない。できたとしても、本を退けることが精々だし、学校に必要な荷物を取り出すことくらいだ。
そして、僕も大路さんも部屋がない状態になる。部屋の空きはひとつしかない。あぶれているものは二人。それも、今日だけやり過ごせばいいというものではない。天井が直るまで、住む場所が必要だ。
正確には、住居を失うわけではない。だが、寝室は失う。居間でも、とは思うが、現実的ではない。
ナツさんが食事を用意してくれて、僕らは居間で食事をする。全員が揃えればいいが、そううまくはいかない。バイトや付き合いで帰りが遅くなることもあるし、ナツさんが居間で過ごすこともある。そんなところで寝起きしていれば、生活に影響があるだろう。
僕たちが落ち着いて眠れないというのもあるが、他の住人だって居間で人が寝てるなんて気を遣うはずだ。一日、二日くらいならまだしも、改装工事にどれほどの時間がかかるか分からない。
かといって、他の住居に移ることもできなかった。僕の両親は九州に転勤してしまっている。僕は推薦で高校を決めたので、かなり早い段階で進学先が決まっていた。その後に、父の転勤が決まり、そこから受験するのは厳しかったのだ。
だから、母の知り合いであるナツさんに連絡を取って、僕は夏目荘へとやってきた。ここを除けば、今の僕が身を寄せる場所はない。
そして、それは大路さんも同じだ。彼女の両親も忙しいらしく、祖母であるナツさんのいる夏目荘にやってきている。そんなものだから、僕らは二人とも、夏目荘以外に避難することができない。
そうなると、一部屋を取り合うことになるが、どちらか一方だけというのは具合が悪かった。自分から部屋を寄越せと図々しい挙手もできず、かといって譲ってしまえばしまったで自分の身の置き所がなくなってしまう。
結果として、二人揃って相手の出方を窺う羽目に陥ってしまった。じりじりと牽制しあっているところに、軽々とタオルを投げ込んできたのは透先輩だ。
「二人で一部屋を使うしかないだろ」
「いや、それは」
「栞ちゃんに思うところがあるのか?」
そう首を傾げてくる透先輩は、思うところの理由が分かっている気がして癪に障る。目を細めて見ると、透先輩は肩を竦めた。大路さんはきょとん……どころか、眉を下げてしまっている。
「……異性だって分かってるよな?」
透先輩に答えるのはなんとなく避けたくて、眉を下げている大路さんに理由を零す。それを進言するというのは、意識していると報告しているようでいたたまれない。
大路さんは大きく瞬きをする。睫毛が長い。まるで意識していないようだ。僕が意識されていないのか。それとも、大路さんが鈍感なのか。どちらなのか判別ができなかった。
「仕方ないと思う」
「まぁ、それはそうだけど」
至極真っ当な返答には返す言葉もない。色々と問題はある。並べ立てて反論したい気持ちもあった。けれど、他に手段がないのだから仕方がない。大路さんの言い分が正しかった。
それにしたって、さっぱりし過ぎていて困惑が拭えない。
「分かってるなら、そうするってことでいいだろ。出来合いってか、緊急でパーティションみたいなの作って区切るくらいはできるだろうし……二人とも、必要なものを引っ張り出してこいよ」
「そうですね……でも、区切るって言っても、急にできますか?」
「シーツを天井からガムテープで吊すとか、そういう応急手当だな。今日は特に」
「明日には大工さんに来てもらうから、そのときに相談しておこうかね。今日は透くんの言う通りでお願いね、蒼くん」
「分かりました」
ナツさんにまとめられてしまえば、僕にはどうしようもない。そもそも、他の道はないのだから、ナツさんに言われなくてもどうしようもなかったが。
透先輩とナツさんが、部屋の準備をしてくれると言う。僕らは木材に気をつけながら、通学に必要なものを引っ張り出しに行った。
多くの家具が二階から落ちてきている。大路さんはその中を慎重に漁って、鞄や教科書や筆記用具を引き出していた。こちらはそうしたものを机周りに置いている。自分たちの身が無事だったように、ものも比較的無事で簡単に収集できた。
ある程度集まったところで、大路さんが二階を見上げている。そこには、梁にかけられハンガーに吊された制服が揺れていた。足場がないので、回収できないのだろう。大路さんの身長は高くない。仮に不安定な足元を足場にしたとしても、制服まで手は届かないだろう。
僕はいくらか足元の揺れ方を確かめて、危ないことは承知で二階……大路さんの部屋から落ちてきたであろう本棚を足場にして、上へと背伸びをした。
「蒼くんっ」
慌てたような声がしたが、もう手を伸ばしてしまっている。制服に触れられるのが嫌だっただろうか、と思いつつも、今更手は引けずに制服を手に取った。
瞬間、がくんと足元が揺れる。ああ、とそのときになって慌てた様子の理由に気がついた。本棚の一辺が抜けただけで転んだりはしなかったが、それはそばで支えてくれた大路さんのおかげかもしれない。
「ごめん、ありがとう」
「ううん。大丈夫?」
肩の下側から身を潜らせているかのように寄り添ってくれている。大路さんからは、フローラルなシャンプーの香りがした。黒々とした艶のあるロングヘアがすぐそこにある。絹のような糸を凝視してしまっていた。
「大丈夫だよ。本棚壊してごめんな」
「そんなこと気にしなくていいよ。ほら、足退けて。本当に怪我してない?」
大路さんは言いながら、僕の足元へと身を屈めてくる。心配がくすぐったくてたまらない。僕が足を床につけると、大路さんは無傷を確認して胸を撫で下ろしていた。やっぱり、くすぐったい。
「大路さん、制服どうぞ」
そのくすぐったさを誤魔化すように、制服を差し出す。女子のブレザーをずっと持っているのも気まずい。
「本当にありがとう、蒼くん」
「いや、こっちこそ支えてくれて助かったよ。見ててくれてありがとう」
お互いに、やけにお礼を繰り返してばかりいた。
そうでもなければ、会話がうまく運ばないのだ。僕らはそれくらいの距離感でしかない。本当に二人で同室を使うことができるのか。その不安がむくむくと顔を出す。そして、僕はそれを胸に秘めておくことはできなかった。
「……大路さんは本当にいいの?」
おかげで出し抜けになってしまい、大路さんは困惑したようだ。きょとんと首を傾げてくる。その怪訝そうな顔は、先ほど僕が異性の話を持ち出したときと大差がない。今の怪訝は僕の出し抜けさが問題だろうけれど。
「同じ部屋に二人で生活すること」
「蒼くんは、私と一緒だと大変?」
「僕よりも大路さんのほうが大変だろ? 着替えとかもあるし」
「でも、パーティションを作ってくれるって山下先輩も言っていたし、大丈夫だよ。蒼くんは、そういうことをしないでしょ?」
「どういう信頼なの」
信頼してもらえることは嬉しい。だが、その土台がどこにあるのかが分からなかった。僕らに信頼が芽生える交流はない。
「本が好きだから」
とんでも論理をさも当然みたいにもたらされて、ぎょっとした。
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