第29話

 だいぶ涙が止まりそうになった頃、山ばあちゃんがタイミング良くお盆に私の湯呑みを乗せてやって来た。

「そろそろ落ち着いてきたんじゃないかい?ホレ、

 梅昆布茶だよ。飲むとスッキリするよ。」

頷いて湯呑みを受け取ると、湯呑みから伝わってくる温かさが両手と心にじんわり染み渡る。一口飲むとホッとして、「美味しい…」と呟いた。ずっと見ていたお稲荷さんの奥様が、大きくてキラキラ光る真っ白な尻尾でふんわり身体を包み込んでくれた。

 皆んなの優しさにまた涙が込み上げてきて、こぼれ落ちそうになる。すると一目入道が、

「どらどら、また泣き出す前にその汚い顔を洗って

 来いっす。どうもお前が泣くと、どうしたら良い

 か分からんっす。皆んなが心配するから早く行っ

 て来いっす。」

促されるまま洗面台に立つと、鏡の前には鼻水と涙が混じって両目共真っ赤になって、瞼も腫れぼったくなっている自分の顔が映っていた。

《こりゃ、一目入道が言った通り酷くて汚い顔だわ


と納得して、ふふっと笑う。

 冷たい水で何度も顔を洗った後部屋に戻ると、久しぶりにウチに来たたくさんの妖怪達が部屋中すし詰め状態で座っていた。私も皆んなを見ながら、さっき倉ぼっこと山ばあちゃんの言葉をもう一度確かめたくて尋ねる。

「本当に皆んな、私に最後にさよなら言いに来たん

 じゃないのね?私の事嫌いになったとか、ウチに

 来るのがもう飽きたとかでお別れしなくても良い

 んだよね?」

妖怪一同、何度も大きく頷き針女さんがやれやれとばかりに、

「バカだわさ、誰も楓子を嫌いになるもんかだわさ

 。皆んな、楓子が大好きでたまらんだわさ。何で

 さよならせんといかんのだわさ。」

「でも突然皆んな、ウチに来なくなったでしょ?だ

 からもう誰もウチに来ないんじゃないかと思った

 の。今日はお別れ言いに来たんだと…。」

 何故別れを言わなきゃならないのか意味が分からない、どうしてそう思ったのか理解が出来ないなどしばらくお互いちぐはぐな会話が続いた。

私はようやく皆んながお別れを言いに来たんじゃないと分かり、自分の誤解だったのかと安心する。しかし一番不安な事を口にした。

「じゃあ、あぶジィは?あぶジィ、ずっと帰って来

 なかったじゃない。元々いた住処に戻ってたの?

 それとも新しい住処を探してるんじゃない?」

すると今度は天狗が、不思議でならんのだがと私に聞いてきた。

「さっきから何だ?その油すましが元の住処に戻る

 とか探しているとかの話は?オイッ油すまし、お

 前どっかに行くのか?ここにおらんようになるの

 か?」

あっさりストレートな事をあぶジィに聞くと、あぶジィは頭を横に振る。

「そうだよな。お前は今まで通りここにおるのだる

 う?」

あぶジィは大きく頷いた。頷いてくれたあぶジィに堪らず私は力いっぱい抱きついて、

「本当にあぶジィは、これからもウチに居てくれる

 んだね?どこにも行ったりしないんだね?」

「行かない。ワシの家はココだから。」

あぶジィはしっかり私を抱きしめ返してくれる。

「良かったぁ…。ずっと帰って来ないから、あぶジ

 ィはウチから出て行っちゃうんだとばかり思って

 た。でも、これからもウチに居てくれるんだぁ。

 本当に良かった。安心したら、また涙が止まらな

 くなっちゃったよ…。」

涙が次々こぼれ落ちる。あぶジィはヨシヨシと片手で私の頭を撫でながらもう一度ギュッと力強く抱きしめてくれた。

「楓子がおる所がワシの家だ。ワシはずっと楓子の

 側におる。ワシの家族は楓子じゃから。」

あぶジィに抱きついたま「ありがとう」を繰り返す

。絡新婦さんは笑いながら、

「本当にバカな娘だねぇ。油すましが、あんたの側

 を離れる訳ないじゃないさ。それにあたい達は別

 に油すましを慕ってるからここに来てるんじゃな

 いんだよ。最初は、あの人見知りの激しい油すま

 しが自分から人間の住んでいる家に行った上一緒

 に暮らしているとなれば、どんな妖怪だってそり

 ゃ驚くさ。だから油すましと一緒に暮らしてる人

 間はどんな奴か好奇心で来たけど、本当に油すま

 しを慕って来てるならニ、三回来りゃ飽きてもう

 来やしないね。なのにこうやって大勢の妖怪達が

 毎日遊びに来るのは、楓子あんたに会いにここに

 来てるんだ。」

「あぶジィじゃなくて私に会いに?」

「そうさ。要は皆んなもあたいも、あんたが大好き

 なのさ。ここに楓子が居るから皆んなここに来る

 んだ。だから泣いてばかりじゃなくて、いつもみ

 たいに笑っておくれよ。」

「だけど絡新婦さんが前に来た時に、住処の事聞い

 たら滅多な事じゃ住処を変えたりしないって。住

 み慣れてる方か良いって言ったよ。住み難かった

 ら元の住処に戻るって言ったから、あぶジィはウ

 チが住み難くなったのかなと気になり出したらど

 んどん不安になってきちゃって…。」

涙目で言うと、キョトンとした顔で絡新婦さんは

「はて、あたいはそんな事言ったかいねぇ?」

「言ったよ!絡新婦さん、あの時相当酔ってたから

 覚えてないんじゃないの?」

私の言葉に絡新婦さんは、「う〜ん思い出せないねぇ…。」と考え込んだが、すぐに「覚えてないよ」とあっさり答えた。今度は山ばあちゃんが大きな溜め息を吐いて、

「それで楓子は油すましの元の住処を知ってるかな

 んておかしな事聞いたんだね。まさか、絡新婦が

 楓子を不安にさせた原因だったとはね。絡新婦、

 お前しばらく禁酒して反省おし‼︎」

「そんな殺生な!酒と生き血が主食のあたいに禁酒

 しろと言うのはあたいに死ねって言ってるのと同

 じじゃないさ‼︎」

口ゲンカを始めた絡新婦さんと山ばあちゃんを放っておいて、私はあぶジィに念の為に尋ねてみる。

「あぶジィ、前にいた所って雑草だらけの草むらだ

 ったんでしょう。滅多に姿を見せたくないのにウ

 チに居て良いの?本当に草むらに隠れて暮らさな

 くて大丈夫?」

「草むらにおってもつまらん。戻る気も無い。楓子

 とずっと一緒におった方が楽しい事も嬉しい事も

 今までより何倍も大きい。そっちの方が楓子と一

 緒に感じられる。ワシは楓子の側におりたい。」

あぶジィの言葉を聞いて、もっと力を込めて抱きしめた。 

「私もあぶジィが一緒にいてくれた方がずっと幸せ

 だよ。新しい家族になってくれて、ありがとう」

私達を見ていた河童が、面白そうに

「何か結婚を申し込んで、上手くいったような光景

 だな。」

とからかう。それにいつの間にか、口ゲンカしていたはずの絡新婦さんと山ばあちゃんまでジーッと見ていた。するといつものように慌てた一反木綿がしゃしゃり出てきて、

「バカ者!油すまし殿の大切な嫁ごをこんなけった

 いな小娘にさせてたまらんのじゃい。もっと器量

 のええ働き者の娘じゃいかんのじゃい‼︎ワシはこ

 げな小娘なぞ認めんじゃい。」

更に言葉を続けようとした一反木綿の顔を握り潰すように掴んだ山ばあちゃんが怒って、

「けったいなのはお前だよ。誰が大事な楓子を油す

 ましなんぞに嫁がせるもんかい。大切な楓子を嫁

 がせても良い男はあたしのおめがねにかなった奴

 に決まってるだろ。今度、バカな事言ったら切り

 刻んでやるからね!」

「何だか面白そうだね。あたいも楓子を嫁がせても

 良い男を見定めてやるよ。とびっきりの良い男じ

 ゃなきゃ、楓子は任せられないからさ。」

絡新婦さんまで乗り気になって、山ばあちゃんに賛同する。そしたら他の妖怪達まで「俺も」「わしも

」と次々に言い出した。そして、

「じゃあ、皆んなで決めてやろうじゃないか。」

{おー‼︎}

と全員が山ばあちゃんの提案に賛成の声を上げる。

しかし当の本人である私は困惑した。

「ちょっと待ってよ、皆んな。私の意見はどうなる

 の?もし私が、この男性と結婚しますって言った

 らどうする気?」

「そん時にゃ、全員集まってその男を試すのさ。何

 事にも動じない男じゃなきゃ、楓子を嫁にはさせ

 られないよ。」

「だったら私、一生結婚できないじゃん!だって皆

 んな、絶対誰を連れて来ても反対するでしょ?」

「そんな事は無いさ。あたい達は楓子が悪い男に引

 っかからないか、本当に幸せにしてくれるか、ち

 ょっと試すだけさね。」

《絶対嘘だ…。散々あの手この手で追い払う。皆んなが舅、姑、小姑に見えてきた。あぁ、私一生独身決定だ!》

「おい油すまし、楓子に悪い虫が付かないようにし

 っかり目を光らせるぞよ。何かあったらすぐ知ら

 せるぞよ。」

あぶジィも「任せろ」と答えながら何度も頷いている。

《もう、あぶジィまで…。こうなったら意地でも皆んなが認める男性を連れて来てやるわ!》

 どういう男性だったら皆んなが納得するか、一番のボスは山ばあちゃんとあぶジィだなと考えながら唸る。わたしの周りでは、せことキジムナーのチビ軍団が「フウ大好きぴょん」「大〜好きぽん」「怒ると怖いぴょん」「でもとっても優しいぽん」と無邪気に走り回っていた。そしてせこの一人が膝に乗っかってきて、

「ご本読んでくれたり遊んでくれたりするから、フ

 ウはとっても優しいぴょん。フウが大好きだから

 皆んなフウに幸せになって欲しいぴょん。笑って

 てぴょん。」

「えっ…?」

せこの意外な言葉に、間抜けな顔になった私の肩を鵺がポンと手(?)を置いて話し始めた。

「ワシら妖怪は仲間だと思うておるが、わざわざ集

 まったりせんべし。気の向くままそれぞれが好き

 なように暮らしてるべし。まして、今じゃワシら

 の姿が見えて話せる人間はもうほとんどおらんべ

 し。そんなワシらがいつもここに来るのは、お主

 がワシらを素直に受け入れて一緒になってケンカ

 したり、遊んだり笑ったりするのが楽しいからだ

 べし。おまけにお主は、ワシらの為に泣いてくれ

 るべし。ワシらの事を本気で考え、想ってくれて

 泣いてくれるべし。長い間生きとるべしが、お主

 のような人間はおらんかったべし。ワシらの為に

 怒ったり泣いたり、笑ってくれるべし。ワシは、

 それが嬉しゅうてたまらんべし。そして美味いカ

 フェオレやカプチーノを入れてくれるべし。」

言い終わると急に照れてしまったらしく、そそくさとテレビの前に行ってしまう。

 今度は倉ぼっこがせことキジムナーのチビッコ達を指差しながら、

「お前の周りではしゃいどるキジムナーは沖縄の妖

 怪ぞよが、人間どころか妖怪さえ滅多に会えん木

 の精霊ぞよ。」

「精霊?何それ?」

「精霊とはお前達人間は妖精と呼んどるぞよ。キジ

 ムナーにここまで好かれる奴はそうおらんぞよ」

足下でキャッキャと戯れているキジムナーの一人を引っ捕まえてマジマジと見てみるが、このちんちくりんが精霊で妖精だとはどうしても思えない。

《走り回ってばかりで障子は破るし人がご飯食べていようがお構いなしに身体によじ登ったり張り付いたりしてじゃれついてばっかのクソガキじゃん!》

「好かれてても全然ありがたみを感じないんだけと

 ?私にはただのやたら懐いてるチビ達でしかない

 わよ。」

「ほっほっほ、せこだって人間とふざけるのは好ん

 どるぞよが、人間の住んどる家は嫌うとるぞよ」

キジムナーの次に、せこに向かって

「あぁん、どういう事?あんた達人間の住んでる家

 が嫌いって本当なの?なのに何でウチは平気なの

 よ?」

「他の人間の家は嫌いぴょん。でもここはフウがい

 るぴょん。それにフウもフウの家も温かい感じが

 するぴょん。優しい雰囲気がするぴょん。だから

 フウもこの家も大好きぴょん。」

そう言ってチビ軍団は一斉に私に頬擦りしてきた。「あー、もう!」ともみくちゃになりながら、次々に頬擦りしたり顔中に張り付いて離れないチビッコ達のいつもの戯れつきに息苦しくなる。

「もう、いい!」と一言大声で叫ぶと、チビ共を無理矢理顔から一人ずつ引き離していく。

 髪の毛が乱れたまま、ハアハア言いながら、一人一人の頭を撫でるとまた嬉しそうにはしゃぎ始めた

。チビ軍団とのやりとりを見ながら、他の妖怪達は「こんなに懐いとるぞよ」「ほら、やっぱり妖怪幼稚園の先生でやんす」などからかいつつ微笑ましく笑って見守っている。チビ達たじゃれ合いつつ、

《皆んながウチに居る。皆んなが笑ってる。それがこんなに嬉しくて幸せだなんて知らなかった…。ありがとう、皆んな》
















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