第22話

 どん底に落ち込んで食欲も無くなってしまい、ぼーっとしながら本を書籍棚に戻している私を見て、木本さんが谷口さんに小声で話しかける。

「中川さん、一体どうしちゃったんでしょうか?こ

 こ最近仕事でのミスも多いし…。あぁ、また本を

 逆さまに戻してる!しかも戻してる棚が間違って

 ますよ。それに仕事中だけじゃなくて、編み物を

 している最中もずっとぼーっとしちゃったままで

 心ここに在らずって感じなんですよ。溜め息ばか

 り吐きながら編んでるんです。食べる気が無いか

 らって昼食も食べないんですよ。」

「そうね、何だか少し痩せちゃったみたい。」

「多分、あの様子じゃ朝も夜もほとんど食べてない

 と思いますよ。ほら、顔色もすごく悪いし何かや

 つれてるでしょう?」

「私もずっと気になってるんだけどね。きっとあの

 娘何かかなり悩んでるわ。でも、いくら悩んでて

 も誰にも言ってないでしょうし私達にも話さない

 と思うのよ。うーん木本さんの言う通りとっても

 顔色が悪いわよね。館長に言って、少し休憩させ

 ましょう。このままだと倒れかねないわ。」

谷口さんが館長の所へ行き、木本さんが私に「休憩室に行った方が良い」と言いながら「何ともないよ」と言う私を休憩室まで半ば無理矢理連れて行った。

 簡単に栄養が摂取できるゼリー状の飲み物を木本さんから受け取りながら、

「私なら大丈夫なのに…。今日は、特に書籍のチェ

 ックとジャンル別と作家別の本を移動させるから

 忙しいでしょう。休憩なんてしてられないわよ」

「こんなに顔色が悪い人が、何言ってるんですか!

 足下もふらついてて仕事の心配より自分の心配し

 て下さい。中川さん、最近ろくに食べてないで

 しょ?寝てもないでしょう?」

「なっ、何で分かったの?」

「誰が見ても分かりますよ。それじゃあ体調を崩す

 に決まってます。つべこべ言わずに休んで下さい

 ‼︎編み物も当分の間、禁止ですからね!」

「そんなぁ〜、もうすぐ出来上がるのにぃ。休む、

 今から少し休ませてもらうから編み物だけはさせ

 て!そうでもしないと…」

「中川さん…。」

涙ぐみながら俯く私に、木本さんはかける言葉がみつからないようだった。そこへ谷口さんが入ってきて、

「館長も心配してたわよ。休んで、まだ具合が悪い

 ようならそのまま帰って良いそうだから、しっか

 り休みなさい。倒れちゃったらそれこそ編み物も

 できないのよ。みんなに心配かけたくないなら、

 それ飲んでソファに横になって休みなさいね。今

 日はそれがあなたの仕事よ。」

「谷口さんも木本さんもありがとうございます。迷

 惑や心配までかけちゃって…これ以上心配かけな

 いように、少し休ませてもらいますね。」

「中川さん、あなた何かとっても悩んでいるみたい

 だけど一人で抱え込んじゃダメよ。何を悩んでい

 るのかは聞かないわ。でも話したくなったら、い

 つでも私達に言ってちょうだい。愚痴でも何でも

 良いからね。」

「そうですよ。愚痴を言うのは女性の得意分野じゃ

 ないですか。いつでも付き合いますから。でも今

 はゆっくり休んで下さい。」

そう言って二人が休憩室から出て行くと、大きな溜め息を吐く。

《あーあ、谷口さんや木本さんだけじゃなくて館長まで心配かけちゃった…。もう迷惑や心配かけたりしないように、しっかりしなくっちゃ》

「マフラーももうすぐ完成するし、しっかりしろ楓

 子!頑張れ楓子‼︎》

そう自分に言うと、両頬をパンッと叩いて気合いを入れた。

 そして木本さんがくれた飲み物を飲んで、いけないと思いつつバッグから編みかけのマフラーを取り出す。

 もうすぐ完成するマフラーを見ながら、

《これ、渡せるかな…。あぶジィがどっかに行っちゃったら最初で最後のプレゼントになるんだなぁ》

胸が締め付けられる思いに、マフラーを抱きしめた


「あの様子じゃ、もうマフラーも諦めるしかないか

 もしれないわ。中川さん、あんなに頑張ってたの

 にね。」

「谷口さん、あの…」

休憩室を出た谷口さんが残念そうに言うと、一緒にいた木本さんが言いにくそうにマフラーの事を話し始めた。

「中川さん、マフラーを編む時も上の空でボーッと

 しながら編んでるんですけど今までとは別人みた

 いなんですよ。信じられない速さで編んでるんで

 す。しかも手元を全く見てないのに、失敗どころ

 か一つも間違えず完璧に編んでるんですよね。私

 唖然としちゃって…。」

「えぇ、何それ⁉︎どういう事?別の事考えて、編む

 のに集中しない方が編むのが上手くなってるって

 事⁉︎普通は逆でしょう?」

「私にも分かりませんよぉ。しかも溜め息吐きなが

 ら時々遠い目をして、何やらあぶジィがどうのっ

 て独り言を呟いてるのにマフラーはどんどん編み

 上がっていくんですもん!もう私、中川さんとい

 う人が分かりません。物思いに耽っている方が上

 手に編める人っているんですか?何かもう悩んで

 いながら悟りを開いちゃった人みたいで…。誰な

 んですか、あの人?私の知ってる中川さんじゃあ

 りません‼︎」

「私にも分からなくなってきたわ。どこか掴み所の

 ない娘だとは思っていたけど…。ただ私達が思っ

 ていたズレてるとか天然だとかいうレベルじゃな

 い人間だという事は分かった。あの娘みたいな人

 、私初めてよ。一度、中川さんの脳の中を見てみ

 たいわ。どういう構造になってるのかしら…?不

 思議を通り越して理解しがたい次元での謎の超人

 に近いかもしれない…。」

「そうかも…。」

マフラーの話からとうとう中川楓子とは、どんな人間なのかという深い話になっている二人は同じポーズで考え込んでしまった。

「とりあえず、中川さん自身は絶不調だけれどマフ

 ラーの方は絶好調なのね?」

「はい。今の中川さんなら一週間とかからずマフラ

 ーを完成できるでしょう。手袋も編めます。」

「そう。でもいつ元の中川さんに戻るか分からない

 から、手袋は予備として私がこっそり編む事にす

 るわね。」

私の説明のつかない摩訶不思議な上達の仕方は、谷口さんと木本さんに衝撃を与えたうえ手袋の事まで気を遣わせてしまっている事に、落ち込んでいる私には気付くはずも無かった。


 そして木本さんが言った通り一週間どころか三日でマフラーは無事完成。

「良かったですね。ちゃんと出来上がったじゃない

 ですか!間に合って良かったぁ。私、ハラハラし

 てたんですからね。まぁ、三分の一は段違いして

 るし所々穴が開いてますけど手編み感が出て合格

 です。残りの部分は、キレイに編めてて完璧です

 もん!さぁ、この調子で手袋も編んじゃいましょ

 うね。」

「うんっ!みんな谷口さんと木本さんのおかげだよ

 。二人がいなかったら私、今頃半分も編めないま

 まで手袋だって諦めるしかなかったもん。本当に

 ありがとう、木本さん。谷口さんもありがとうご

 ざいます。」

「どういたしまして。さあさあ、マフラーの次は手

 袋でしょ?編み終わったら三人で盛大に喜びまし

 ょう。」

コツを掴んだのか、木本さんが見ててくれながら二日間で編み終わる事ができた。

 完成したマフラーと小豆色のちょっと小さめの手袋を机の上に並べて、谷口さんと木本さんが「ほぉ

〜」と感嘆の溜め息を吐く。今度は二人で手を取り合って喜び合った。

「やりましたね、谷口さん!私、自分はやれば出来

 るって初めて心から思いました。頑張って良かっ

 たです。」

「そうよね。やり遂げたわ私達!今日ばかりは自分

 を褒めてあげたい。頑張ったものね、私達…。」

「はいっ、谷口さん‼︎」

「すごい、すごい」と二人でお互いを褒め合っている。木本さんに至っては、ピョンピョン飛び跳ねて大喜びしていた。

「えっ?えっ?何故二人だけで喜び合ってるんです

 か⁉︎谷口さん、三人で盛大に喜ぼうって言ったじ

 ゃないですか。」

「そんな事言ったかしら?」

「言いましたよぉ。私だって一生懸命頑張りました

 もん‼︎いっぱい怒られながら、私も頑張りました

 ってば!」

《飛び跳ねて喜んで良いのは私もじゃないの?私も頑張ったのに、どうして二人だけで喜び合ってるの

?私も仲間に入れてよぉ》

「中川さんもすごく頑張りましたけど、一番頑張っ

 たのは谷口さんと私です。見てて間違ってる所を

 指摘して注意した数どれ位だと思ってるんですか

 ?」

「そう言われちゃうと…」

「イチからじゃなくゼロから見てなくちゃいけなか

 ったんですよ。注意しても注意しても全然、ちっ

 とも、さっぱり上達しないったら!」

「それに体調まで崩して心配させてねぇ。一時は、

 私達が代わりに編もうって話し合ってたんだから

 。そうでもしないとマフラーまで諦めなくちゃい

 けなかったのよ、あなた。どれほど中川さんを心

 配してたと思ってるの?」

[ねぇ]と二人揃って頷き合う。

「うぅ、それは…。えーっと、ハイッそうですね。

 お二人がいなかったらマフラーも手袋も完成させ

 る事ができませんでした。心配をおかけして、本

 当に申し訳ございません。本当にほんとーっに、

 ありがとうございます。お礼に、今度食事でも奢

 らせて下さい。」

私は、二人に向かって深々と頭を下げた。

 恐縮する私を見て、谷口さんと木本さんがプッと吹き出してポンと私の肩に手を置いて

「冗談ですよ。一番頑張ったのは中川さん本人です

 からね。中川さんが諦めずに一生懸命頑張ったか

 ら、マフラーも手袋も編み上げる事が出来たんで

 しょう。そうですよね?私がいくら怒っても、弱

 音吐かずに頑張り続けたんですもん。」

「そうよ。中川さん本人が、一番頑張ったわよ。あ

 なたの一生懸命な姿を見続けていたから、私達は

 あなたにどうしても最後までマフラーと手袋を完

 成してもらいたかったんだもの。力になりたいと

 思ったのよ。」

「谷口さんと木本さんがそんなに思って下さってた

 なんて…」

「この二つは、中川さんの努力の結晶。自信持って

 プレゼントしなさい。」

「こんなに頑張って編んだんですから、絶対受け取

 ってもらえますよ。」

「谷口さん、木本さん…。」

二人の優しい言葉に、ポロポロと涙が溢れる。

《二人に『ありがとう』と何かお返ししよう。木本さん、熱心に最後まで見ててくれてありがとう。谷口さん、優しく励まして下さってありがとうございます。二人とも心の底から感謝しています》

「ほらほら、泣かないの。これから仕事なのよ。そ

 んな泣き顔していたら、利用者も館長もビックリ

 しちゃうじゃない。」

「そうですよ。そんなに泣かないで下さいよ。そう

 しないと私まで…」

「まぁ!木本さんまでもらい泣きしちゃったの?も

 う困った娘達ねぇ。コラッ、二人とも今すぐトイ

 レに行って、お手洗い場で顔を洗ってきなさい」

谷口さんに木本さんと一緒に注意され、トイレへ急いで駆け込んだ。

 顔を洗うと涙も止まって、少し鼻の上が赤いけれど仕事には支障が無い顔になる。同じように木本さんも顔を洗ったらすっきりした顔に戻っていた。

 そして今日一日中、谷口さんと木本さんから事あるごとに「もう編み物をしようと思わないて頂戴」や「もう私は監督なんて引き受けませんからね」とからかわれ続け、帰り際「もうあまり心配かけないで」と約束させられた。しかも指切りまでして…。


 家に帰り、テーブルの上にマフラーと手袋を置いて、しばらくの間見つめる。

《せっかく谷口さんと木本さんのおかげで完成できたけど、渡せないかもしれない。無駄になっちゃうかもしれないんだよね…》

二人にごめんなさいと心の中で謝る。


それから毎日私の心の中では、どしゃぶりの大雨が降り続いたまま止む気配すらない。











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