第五話

「違う違う。おかしいとかそういう意味じゃなくて、強化がとっても上手くって、私の外部魔術をあっさり撥ね除けるのに、Eクラスだっていうから変だなって思って。魔術の使い方が面白いなって思ったから、試合のときに声をかけたの」

「ああ」


 同じようなことを既に伝えられているし、それならまだ納得できる。強化特化に進むものは珍しい。その面白味が千陽の興味を惹けたのならば、今となってはそれでよかった。これといって親しくもなっていなければ、感想も違ったのかもしれない。

 これでも、この道を選ぶまでには紆余曲折があったし、面白いの一言に集約させて構われるのは面白くはなかった。ただ、それが俺たちのきっかけになったというのであれば、それもまたひとつだろうと思える。

 げんきんだろう。恋にうつつを抜かして、魔術の技術を判断しているのだから、浮ついていた。けれど、今までずっとわだかまっていたものが希釈されるのであれば、その理由がどこに付随しようとも、好転と捉えていいだろう。

 少なくとも、俺はそれでもなお自分の懊悩に執着するほど、過去にこだわろうという意欲がない。


「それから後は、なんていうか、助けてくれて……いい人だなって、貴志君と仲良くするのは自然でしょ」


 うっと喉の奥が引きつりそうになる。いい人、というのは些か欲目だ。いや、そう感じてくれる下地があるというのならば、それは構わないのだけれど。だが、男の目線がどうだというニュアンスの流れで、俺をそこから外されると気まずい。

 一百野の目が面白そうに歪んでいた。


「火ノ浦にとってはそうかもしれないけど、周りから見るとなんで貴志と? と思われてると思うぞ。それこそ、夕貴ちゃんの兄ちゃんのくせに大した実力もないのに、ってな」

「夕貴さんの」

「夕貴ちゃんが優秀過ぎるんだけどな、この場合」


 苦笑いする一百野に、こちらまで釣られる。煩わしいとまでは思っていないが、優秀過ぎてその余波は免れない。


「そんなもんだから、貴志がEクラなのは能力がないっていうか、夕貴ちゃんと違ったものを持ってるんだろうって見方をされてるけど、それを火ノ浦が目をかけているってのはなかなかなぁ」

「なんで私が夕貴さんと張り合うことになっているの……?」

「……火ノ浦、君はBクラでも上位優秀者だろ? 制御に問題がなければ、Aクラもありえたって話だぞ」

「なんでそれを一百野君が知ってるかなぁ」


 千陽の魔術の威力はよく知っている。Aクラスも目じゃない。千陽はそれを誇り高いことだとは思っていないようだ。


「でも、主席の夕貴さんと比べられるほどじゃないよ。まぁ……貴志君のことだから、ってのは分かるけど」

「そのうえ、一百野と同室だから、一百野のせいで堕落してるとか言われてるしね」

「蒼依、それは言わなくていい」


 一度考えたことだ。やはりそうだったらしい。そして、一百野は意図してその情報を伏せていたようだ。半眼で睨むと、一百野はわざとらしく口笛を吹いた。すかしかたもさまになっているのが癪に障る。


「つまり、貴志がイレギュラーって話。そんなだから、火ノ浦とペアで噂が巡るわけだろ?」

「そんな、の原因にお前も加わってるんだろうが」

「ごめんね、私も」

「千陽は悪くないよ」


 千陽が噂になっているのは、千陽の落ち度とは言い難い。悔しい話だが、制御できない千陽の現実を勝手に貶められているだけだった。

 一方で、一百野のそれは、一百野が自ら選択した言動が原因だ。自分でもそうしようと心がけて幻滅へとひた走っているのだから、それに巻き込まれるのはたまったもんじゃない。


「……貴志が騎士だってからかわれるのは、その火ノ浦贔屓も関係してるからな」

「友人とその他がまったく一緒じゃないのは普通のことだろ」


 それが詭弁であることを、一百野は分かっているだろう。

 それでも口にせずにはいられなかったのは、こんな場面で告げるつもりなどなかったからだ。青写真は未だに描けていない。それでも、こんな場所でという理想だけはいっちょ前にあった。


「まぁ、そういうことにしといてやるよ」

「上から目線やめろ」

「口には気をつけろよ、貴志君? 俺は君の弱点をいくらでも知ってるんだぜ」

「かっこつけるな」

「かっこよくないよ」


 俺の言葉に突っ込んできた瀬尾に、一百野が片眉を引き上げる。


「そっちも口に気をつけろよ」

「女の子を傷つけられない義嗣君は怖くないもーん」

「こういうときだけ女を武器に使う卑怯な子に育てた覚えはないぞ」

「育てられた覚えはまったくないよ」

「ほーん? うちの姉ちゃんに魔術を教わってたこともあるくせに?」

「それはお姉さんに育てられたのであって、一百野じゃないでしょ。大体、昔話はやめてって言った」

「そーんなに、俺とのこと秘密にしたいの?」

「当たり前でしょ」


 噛み合っていないことがここまで明瞭なままに噛み合っている会話もないな、と感心する。

 どれだけ瀬尾が隠そうとしても、こうして会話するシーンを見かけられたら、何ひとつ隠せないだろう。その感想は千陽も同じだったようで、またぞろ目線が合った。三度目ともなると、苦笑を分かち合ってしまう。

 俺たちの仲の良さをどうこう言えた義理か。そういう感情があったのは、こちらだけだろうか。


「それで?」


 前触れもなく疑問を投げてきた一百野に会話が止まって、空気まで止まる。

 どこに繋がった接続詞なのか。ここまでは軽快に返事をしていた瀬尾ですら、怪訝な顔で一百野を睨んだ。


「三人とも気は落ち着いたか?」


 聞かれて、長大息が零れた。三人で目線を交わす。


「大丈夫か?」


 本当に、今更だ。だが、こうして冷静になると、確かめなければいけないような気がした。


「悔しいけど、一百野のおかげで回復した」


 本当に不承不承。瀬尾が繋がったままの手を持ち上げて零す。不機嫌な面と深い手繋ぎの隔たりが凄まじい。そこにくっついている一百野の顔が飄々としているので、何ともアンバランスだった。


「千陽は? もう、腕は平気か?」

「貴志君が支えてくれてたから」


 それで平気と言うには、千陽の呻き声が耳朶に残っている。顔を顰めた俺に、千陽は困ったように眉を下げた。


「そんな顔しないで。貴志君だって、同じでしょ? 一緒に踏ん張ってたんだから」


 男女の差があるだろう。そう言ってしまえばそれまでだ。けれど、同じ経験をしていた、という着眼点は蹴り飛ばすには惜しい。それが気遣いから出た言葉であろうとも、惹かれるものがあるというのは厄介だ。何より、気遣いを無駄にするのは忍びない。


「……そうだな。そろそろ、動けそうか? 瀬尾」

「もちろん。さっさと離して一百野」

「まだ介助してやってもいいんだぞ?」

「腕は疲れてるけど、足はへっちゃらだから遠慮するわ」

「残念なことで」


 そう言いながらも、未練は感じられない。あっさりと手を離す引き際の良さが、実に手慣れていた。こうした間合いが読めなければ、こいつはとうの昔に刺されていたっておかしくない。

 瀬尾が立ち上がって、俺と千陽もそれに続く。最後に立ち上がったのが一百野なのは、やる気の違いだろうか。俺たちだって、周囲に比べれば安穏としているだろうに。その下を行くものがいると、気が抜けてしまう。

 休憩を伴っていたにしても、雑談に過ぎた。それを操縦していたのが一百野で、俺たちはまんまと踊らされている。敵わないものだ。


「それで?」


 一百野への意趣返しのように、瀬尾が零す。一百野は自分に投げかけられていると分かっているようで、眉を動かして続きを促した。逐一、仕草が板についていて、クールなやり取りに見えるのだからたまらない。


「一百野は同行するつもり?」

「……お前ら、放っておけないからな」

「注目浴びるわよ」

「蒼依がそれでもいるんだったら、俺は手を貸すよ」

「どういう心理なんだか」

「下手な勘繰りをせずに素直に受け取れよ」


 冷静な目で肩を竦める瀬尾に、一百野が微苦笑を落とす。一百野が女子に対して、ここまで手こずっているところなんてなかなか見られない。そして、一百野の同意をこうも簡単に引き出す人間もなかなかいない。瀬尾がその人間だったとは知らなかった。


「じゃあ、ここからは四人だね」

「これで少しはマシになるといいけど」

「俺がそんなに頼りにならない人間だってのは、貴志がよーく分かってるだろ」

「それでも一人は一人でカウントされるし、いないよりはマシだよ。大体、今だって一百野がいなけりゃ終わってたんだから」

「俺が間に合って助かったのは偶然だからな。俺がいたって、階段の崩壊なんて察知して守るなんてできないぞ」

「えげつないトラップだよね」

「トラップ、ねぇ」

「何よ。一百野は違ったと思ってるわけ?」

「崩壊にしちゃタイミングが良すぎるだろ。トラップの可能性もあるけど、地下ダンジョンをどうにかするなら土属性が得意なら簡単だしな」

「俺がどうにかできればよかったんだけどな」

「あんな急じゃ貴志君じゃなくたって無茶だよ」

「しかも人を掴んだままどうにか、ってのは無理無理」

「めった刺しにすんなよ……」

「フォローしてんだろ。お前のせいじゃないって」

「そうだよ。貴志君がいなかったら、私は踏ん張れてたか怪しいもん」

「そうそう。貴志のおかげでもあるしね。そんなに気に病まないで。助かったよ」

「なら、いいけどさ」


 それで自分の心に折り合いがつくかどうかは半々だ。

 すべてを受け取れるほど、俺は無垢じゃない。責任感があると言えば格好もつくだろうが、ぐだぐだと思考の谷に落っこちる。どうしたって考えずにはいられない。

 俺のネガティブに落ちがちな精神性を理解しているのか。一百野の手のひらが背を叩く。気を取り直す一端にするには、ちょうどいい。一百野はそれも分かっているようで、軽い調子で足を踏み出した。


「行こうぜ」

「リーダー面しないでよ」

「時間浪費してる場合じゃないだろ?」

「遅れてきておいて言う?」

「蒼依は俺に厳しいんだから。なぁ、そう思わない? 火ノ浦」

「え、いやぁ……」


 千陽が半端な笑みになる。その中に含まれているのは、瀬尾への同意だろう。可哀想だが、こっちもまったく同意だ。


「残当だろ。行こう」

「うん」

「俺と反応が違う!」


 揃って頷いてくれた女子に二人に、一百野が喚く。

 いくら雑談で時間を置いたといっても、さっきまでのっぴきならない事態だったはずだ。それが霧散している。

 人が一人加わるだけで、これだけ心理的に楽になるものか。それとも、助かったことでハイになっているのか。一百野にいいように振り回されているのか。それでも、四人になったことは安心できる要素だった。

 ダンジョン制覇は進んでいないけれど。けれども、足取りはすっかり元に戻っている。千陽の火球に導かれるように、四人で新たな道を選んで進み始めた。

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