第四話

「俺の姉ちゃんと蒼依ちゃんの兄さんが同級生だったんだよ」

「あ、なるほど」


 そうした子ども同士に端を発した関係なら、想像しやすい。俺と一百野だって、同じようなものだ。それで一百野家の行事に参加することになるとは思えないが。それでも、その繋がりは分かりやすかった。

 しかし、瀬尾はその繋がりを大歓迎しているわけでもないらしい。まぁ、確かに。一百野と古い付き合いというのは、色々と面倒な探りを入れられそうではある。家系的にも、遊び相手的にも。


「昔の話でしょ」

「つれないこというなよ。一時期は婚約者になりかけたじゃん」

「それはあたしたちじゃない!」


 驚きの連続だった。過ぎれば麻痺しそうなものだが、そうでもないらしい。


「姉ちゃんはその気だったんだけどなぁ。入り婿狙いだからしょうがないけど」

「お姉さん、家を継ぐの?」


 千陽の疑問に、遅れて気がつく。そうだ。名家で入り婿を狙うということはそういうことだろう。


「そりゃ、俺は嫡男だけど、姉ちゃんのほうがずっと家督を継ぐために頑張ってきたんだから、そうなるべきだろ。だから、気軽な長男なの」

「シスコン」

「お前に言われたくないぞ、蒼依」


 敬称が抜けると、途端に仲の良さが浮き彫りになった。瀬尾は昔の話だと言ったが、その昔の交流はままあったのだろうと悟らせる。サボっても当人の自由と考える瀬尾の緩さは、一百野には心地良いだろう。


「お姉さんのために、適当ぶちかましといてよく言うわ」

「可愛い弟だろ?」

「自由のやり方が可愛くない」

「なんだよ。蒼依ちゃんは俺が他の女の子と仲良くしているのが気に食わないか?」

「まるで嫉妬してるみたいな言い方はよしてくれる?」

「違った?」


 繋いでいた指先をすりすりと動かしながら、一百野はうっそりと零す。人を誑かすときの常套手段なのだろう。こうして見ると、顔がいいことがよく分かって鼻についた。

 やはり、俺と接しているときとでは、その振る舞いには差があるらしい。そりゃ、こんな態度を取られてもドン引きするだけだが、女子には効果覿面なのだろう。瀬尾には逆効果であったようだが。


「寝ぼけたこと言わないで」

「ちぇー。蒼依はもっと俺に優しくてもいいだろ」

「十分、優しいと思うけど?」

「どこがだよ……」

「一百野を甘やかしてくれる女の子たちは、一百野に甘いんじゃなくて甘い一百野に甘いだけだからね」

「何? 甘やかしてってこと?」

「日本語通じてる?」


 戯れるような軽妙なやり取りに、千陽と視線を交わす。瀬尾がこれほど気ままに一百野と肩を並べるとは、予想外だ。人のことをからかうところがあるのは分かっていたが、それが今になって一百野との共通点に見えるほどには、二人は馴染んでいた。


「会話してるじゃん」

「噛み合ってないって言ってんの」

「満更でもないくせに~」

「まさか言葉が通じないだけじゃなくて、目が悪いとは知らなかった」

「コンタクトしてるからちゃんと矯正されてる」

「じゃあ、やっぱり頭のネジのほうが……」

「一緒に探してくれる?」

「めげなさ過ぎない?」

「知らなかったのか?」


 呆れた顔をする瀬尾に、一百野が肩を竦める。互いに間合いの分かっている収束に、再度千陽と顔を見合わせてしまった。友人たちが思った以上に友人として近しいと知ると、どうしていいか分からなくなるものらしい。


「二人とも仲良かったんだね」


 直截に口に出した千陽に、二人はバラバラの顔つきを寄越した。どちらが不満顔でどちらが笑顔かを言う必要はないだろう。


「こんな色ボケのサボり魔と一緒にしないでほしい」

「友人と同一視は違うだろうが」

「それでも一緒」

「それを言うなら、そっちだって目立つのは嫌だからって出し惜しみしてるだろ」

「出し惜しみはしてない。元の能力だってそれほど高くないもん。一百野のサボりに比べたらそんなに虚偽じゃない」

「サボりは実力の虚偽じゃないからな」

「狙ってる効果が一緒なら一緒のことでしょ」

「やっぱり、蒼依も狙ってんじゃん。それがどうした? 火ノ浦と組むなんて、注目度も馬鹿にならないだろ」

「そこは、ほら、貴志にお任せって感じで」

「いい生贄だな」

「おい」


 二人のテンポに入ろうとも思わなかったし、入っていけるとも思っていなかった。しかし、さすがに声が出る。俺を一体なんだと思っているんだ。


「だって、火ノ浦さんと言えば貴志、みたいなとこあるじゃん? 正直」

「いや、知らないけど」

「だから、お前自覚しろって言ったじゃん」

「それは夕貴のことだろ?」

「火ノ浦ともだよ。あれだけ懇切丁寧に状況教えてやったのに、気にしねぇよなぁ」

「そんなことはないけどよ……」


 千陽がいる場所で噂について詳細に話すのは初めてのことだった。一度は軽く触れている。とはいえ、ちゃんと触れていなかったことに触れるのは怖い。様子を窺ってしまう。千陽は苦笑を浮かべていた。


「あるだろ。騎士さん」

「は?」

「絡まれているところを助けたんだって?」


 名前の響きが違うのはすぐに分かった。いつ日のことを言っているのかも。そう何度あっても困るのでそれはいいが、そこまで噂になっているとは思わず額を押さえる。

 騎士、という大仰で気恥ずかしい呼称にも頭が痛い。千陽の口からもたらされたときは素直に舞い上がれたが、一百野の口から聞くと嬉しくなかった。


「まぁ、実際はそんないい噂じゃないけどな」

「あれでしょ? Eクラスのくせに生意気ってやつ」

「本人たちが流してんのかよ」


 その罵倒が出てくる例なんてひとつしかない。漏れた嘆息には不快感がふんだんに盛り込まれていた。


「愚痴ってたのを聞かれたんでしょ。で、騎士って煽って回ってるわけだ」

「まぁ、貴志に煮え湯を飲ませられてるやつも相当いるだろうしな」

「何だよ、それ」

「火ノ浦って高嶺の花だぞ?」

「私、別にそういうんじゃないけど」

「火ノ浦はBクラに馴染んでないだろ?」

「……」


 千陽はきまりが悪そうに視線を逸らす。

 人当たりは悪くないはずだ。試合をしただけの俺に気軽に声をかけてきてくれて、友人になってくれた。その後の人付き合いもかなりいい。

 その千陽がクラスでそんな立ち位置にいるとは知らずに驚愕する。事情を知りたくなって視線を投げたのは一百野だ。本人から聞き出すには、良心が咎めた。


「つれないって話だぞ? 理由は知らん」


 そりゃそうだ。さすがの一百野でも、噂になっている張本人の心情まで聞き出してくることはしないだろう。

 陰口叩いてますって正面切って喧嘩を売るようなものだ。浅く広い人付き合いをする一百野が、そんな突っ込んだ情報収集をするとは思わなかった。浅く広いがゆえに拾える噂は人よりずっと多くはあったが。


「……だって、序列にしか興味がなくて、旨味とかそういう利害ありきの友人関係が主だから。あと……男の子とか」


 そこに含まれた物事が分からないほど、清廉潔白ではない。馬鹿な男たちはそのルックスやスタイルのよさを注視しているのだろう。何より、千陽に惚れている俺にも心当たりがあるものだから、そこを詰められると苦い。


「だから、適当っていうかそんな感じなだけで……でも、高嶺の花とかそういうつもりじゃないよ」

「まぁ、そういうのは大体周りが勝手に思うもんだからな。火ノ浦は俺みたいなのでも普通に話すし、人が悪いってわけじゃないんだろ? でも、クラスじゃ無愛想だったらそうなるよ」

「魔術を向上させるのは好きだけど、ピリピリするのも、それだけで付き合いを決めるのも好きじゃない」

「同意だな」

「じゃあ、火ノ浦さんはどうして貴志を認めてるわけ?」

「認めるとかそんな大層なもんじゃないけど、面白そうだったから」

「面白そう……?」


 そんな頓狂なことをしでかしたか?

 記憶の底を漁ったが身に覚えがない。やはり平常心を保っていられなくて、おかしなことをやらかしているのか。じわっと汗が滲んだ。

 その悪寒が顔にも出ていたのだろう。千陽は慌てたような顔で首を左右に振った。

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