第六章

第一話

 一百野の軟性は良い具合に緊迫感を緩和させていた。

 それまで、並々ならぬ緊張をしていたかと言われるとそういうわけでもない。それでも、一百野の参入前後で雰囲気が変わったのは事実だ。その緩さに浸って、俺たちは道を進んでいく。

 新たに見つけた階段は、今度は崩壊することなく降りることができた。そのまま三階層まで降りられた順調さも、勇み足にならない理由になっているかもしれない。

 初手で躓いたにしては、俺たちは滑らかに進んでいた。もちろん、上位者と比べれば後れを取っていることだろう。

 だが、道中生物と会うこともなければ、これといったトラップに嵌められることもない。ダンジョンの足場の悪さが恐怖になるスポットはいくつかあったが、それだけで済んでいる。俺たちの運が良いと言うわけではないだろう。

 脅しのように言いつけられたが、所詮は一年生が踏破するためのダンジョンだ。簡略化されていてもおかしくはない。だとすると、やはりあの階段の崩壊は妨害だったのだろう。白眼視されていることが判明して、密かに居住まいを正した。

 それを千陽たちにわざわざ伝えようとはしなかったが、恐らく全員が気付いているはずだ。

 確かにクラスは下だし、俺たちの実力は不足している。しかし、考える力は別物だった。瀬尾も一百野もそれを確定する優秀さはある。千陽は言うまでもない。それぞれ、トラップよりも周囲の人間へ警戒心を抱いているようだった。

 いくつかのチームを見かけることはあった。ただ、そのものたちは、俺たちと同じようなスピードだ。同等レベルと見られているのか。牽制されることはない。留意されている節はあったが。

 だが、それはお互い様だ。そうしてすれ違って、それぞれ自分たちの信じるルートを行く。試験とはこういうものらしい。初めての行事であることを、今更ながらに感じながら進んでいた。


「宝の位置ってどうやって探るんだろう?」

「最奥ってのが定番じゃないか?」

「どこが最奥って判断だよ」

「通路ばっかりで部屋があるわけじゃなかったもんね」


 三階に辿り着いてからの俺たちは、ぐるぐると回廊を回っているような状態だ。宝の位置は伝えられていない。他のチームも同じように探し回っているのだろうか。それにしては、すれ違うことがない。


「トラップに迷い込んでないよな?」

「どういうトラップだ?」

「ループなら、廊下が続く状態にできるかもしれない」


 千陽の言葉に、全員が足を止める。ループしている場合、どれだけ歩いても目的地に辿り着くことはない。抜け出すためのトリガーが必要だ。知識の面で、俺たちに齟齬はないようだった。


「魔術具で発動することになるよね?」

「その辺に放置ってわけにはいかないから、多分それっぽく隠蔽して設置してあると思うけど……見つけられるかな?」

「見つけねぇと出るに出られないだろ」

「見つけなくてもこの場を崩壊すれば脱出は可能だよな?」

「ここで崩壊させられるわけないだろうが。そもそも、貴志はそんな外部を発動できねぇだろ」

「一百野ならできるだろ」

「俺は雷属性なんでな。ダンジョンとは相性が悪い」


 言外に場所次第では可能と言っているのと同じだ。一百野の魔力量が膨大なことは分かっていたが、まさか崩壊を狙えるとは、さすがの俺も本気では思っていなかったので慄く。


「相性良くてもやらないでよ、そんな危険なこと。あたし、また宙ぶらりんなんて嫌だからね?」

「そうだよ。探そう……って言っても、どこからがループの空間かどうか分からないんだけど」

「まったく同じ通路だからな。燭台があるわけでもないし、見分けはつかない。割とたちが悪いトラップだ」


 言いながら、一百野は壁へと近付いて、指を這わせている。それで現実かループかを見分けられるわけではない。

 だが、触れるように周囲を確認してでも、トリガーとなる魔術具を探す地道な道しかなかった。課題として与えられているのだから、不可能なレベルには設定していないだろう。その希望的観測を胸に、一百野と同じように壁際に寄った。

 触れた壁は、土の感触がするばかりで、他の情報を吸い上げることもできない。これといった変化のある壁面も見つかりそうになかった。

 壁面でなかったら床面ではないかと、靴先で地面を叩いてみる。しかし、踏みしめられた硬い土の廊下は、重く静かな音を立てるばかりだ。空洞などあっても怖いが、異変がないのも今は困る。地面のでこぼこを感じることはできるが、それ以上はない。

 そうして、壁や床を触れ回る謎の生物となって数分。

 一百野が


「こっちだ」


 と呟いた。その声音は、思った以上にそばでする。

 ……それもそうか。どれだけ探る気持ちがあっても、千陽の火球が照らす圏内から抜け出せない。物理的な制限があるわけではなかった。だが、暗闇では捜索もままならないのだから、実質制限があるようなものだ。


「分かるの?」

「これでも一百野家嫡男なんで」

「魔術の気配を探るのも一百野家の特技なのよ」

「だったら最初っから、見つけられるかどうか分からないみたいな言い方するなよ。焦るだろ」

「一百野家嫡男、Fクラスだからな?」

「それは何の自慢だよ」

「自信がなかったなら素直にそう言いなよ」

「跡継ぎとして期待もされてないからな。一家の特技なんてあんまり教えてもらえるもんじゃねぇのよ」

「一百野君も苦労してるんだね」

「俺の場合は自主的だからお気になさらずって感じだな」

「やっぱり、シスコンじゃん」

「それ、さっきっからどういうこと?」


 一百野の手抜きムーブとシスコンの繋がりは見えない。ただのジョークとして使っているのだろうと思っていたが、使うタイミングがあるだけに、理由はあるのだろう。首を傾げた千陽に、瀬尾が薄く笑って種明かしをしてくれた。


「お姉さんが次期当主だと揺らがないために、長男としての力がないと見せかけてるのよ」


 呆れたような感心しているような。何とも言えない顔をする瀬尾に、一百野は苦い顔をする。


「説明しなくていいよ」

「健気じゃん」

「やめろやめろ。いいから行くぞ」


 大層な理由を掲げているのが照れくさいらしい。ぶんぶんと手を振って感想を拒否した一百野は、感情を振り払うかのように移動を開始する。

 まさか一百野相手に微笑ましさなんて覚える日が来るとは思わなかった。そんな一百野の態度に、肩を竦めて笑った瀬尾が続く。瀬尾にとっては、一百野のこういう態度も見慣れたものなのだろう。

 また千陽と意外性を視線で分かち合って、一百野の後を追った。とはいえ、進んだのは数十歩範囲内のことだ。すぐに止まった一百野のそばに、わらわらと集まることになった。


「ここ?」

「ああ。壁面に埋められてるんじゃないか?」


 一百野が壁に手を押し当てながら、再確認をしている。


「壊そう」

「派手に行くなよ?」

「俺にそんな外部魔術の能力はない」


 悲しい宣言だが、虚しい事実だ。メンバーを危険に晒さないで済むのだから、この場限りではよいこととしておこう。


「それほど深くないから表面を削る程度でいいぞ」

「分かった」


 派手には壊せないにしても、ある場所が分かるのと分からないのとでは正確性が違う。一百野のアドバイスに従って狙いを定めた。

 ぽろぽろと土壁が剥がれるような弱々しい威力には、苦笑いしか零れない。だが、他の誰も責めもしなければ、幻滅する気配もなかった。実力を知っているものたちと言えばそれまでだが、その無関心さは心を穏やかにする。

 急かされない分、無事に壁土を壊すことに成功した。その向こうには、札に魔術印が刻まれた魔術具が埋まっている。ぺりっと剥がすと、魔力の変動が感じられた。


「どうだ?」

「進んでみよう」


 確かめるには、それしかない。俺たちは互いに頷き合って、千陽の火球に導かれるように歩みを再開させた。

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