第五話

「お前と火ノ浦のきっかけで試合のことが突き止められてるんだよ。夕貴ちゃんのことで騒ぎになってたかもしれないけど、それでも話を聞いているやつってのはいるもんで、お前が火ノ浦と強化とか炎属性とか話しているの聞かれてたんだよ。そっから」

「どんだけ深入りされてんだよ」

「当たり前だろ。火ノ浦は魔術の腕もだし、その見た目もかなり注目浴びてるぞ」


 ぐっと喉が鳴った。そりゃ、そうだよな、と突きつけられる。

 瑞々しい薔薇のような緋色の髪も、ぱっちりとつぶらな紫色の瞳も、白くて透明感のある肌も、スリムな体躯も。これは多分、下世話だけど、豊満な胸とくびれた腰のラインも。一級品のひとつひとつが、巧妙なバランスで集結し、世界にひとつしかない造形を象っている。

 その玲瓏な芸術品から響く声は、凛と耳をくすぐって脳内に残る。炎を放出するための手のひらは、優雅に舞う。一挙手一投足、どれをとっても隙がない。千陽が目を惹くのは間違いなかった。

 自分の感情の行き場を見失いそうになって、はぁと深い息が零れる。この先、どうするつもりなのか。そのことをちっとも考えていなかったことに気がついた。

 浮かれているだけではないが、やはり浮かれているのだろう。今でも十分頭を悩ませていたというのに、より深い谷底に落ちていくような気がした。


「あとなぁ」


 谷底の淵に足をかけて覗き込んでいたところに声をかけられて、はっと顔を上げる。項垂れていたことにも、そのとき初めて気がついた。


「貴志君は、夕貴ちゃんの兄ちゃんだってもっと自覚的になったほうがいいぞ」


 生まれてこの方、双子の兄妹だ。自覚がないわけもない。どういった種類の忠言なのか意味が分からずに首を傾げてしまった。


「夕貴ちゃんが実技でも筆記でも超優秀な主席だって分かってるか?」

「夕貴が優秀なのなんて知ってる」

「だから、塔山……ややこしいな。貴志にとっては、夕貴ちゃんが優秀なことなんて当たり前で、着目することでもなんでもないのかもしれないけど、俺たちにとっては初見だってこと。すごい子がいるぞって、貴志が思うより物珍しく写ってるってことだよ。当然、その兄ちゃんのことも気になる」


 はぁ、とどこか他人事のように相槌を打つ。そして、その他人事のような態度が、自覚をしろと言われる原因なのだろうと気がついた。

 確かに、俺は夕貴が優秀なことを気にかけていない。それが常識であるから、確認するまでも注目するまでもないことだった。そして、比べられることにも慣れている。そんなものだから、夕貴の兄としての噂を耳にしようという気など更々なかった。

 千陽とのそれは積極的に一百野に尋ねようと思ったが、夕貴のことなど頭にない。無自覚とは、こういうものをいうのだろう。


「自覚しとかないとまずいことあるか?」


 それでも、懲りずに食い下がろうとしてしまうのは、夕貴に煩わされたくはないからだ。正直、余所事に思考を割いている余裕はない。というか、割こうとしたところで思考が千陽に戻るのは着実だ。


「つまりだなぁ、夕貴ちゃんの兄ちゃんだし、火ノ浦を護れるほどの強化を持っていてもおかしくないって、貴志の評価はたった一日でうなぎ登りなわけだよ」

「Eクラスだぞ?」

「強化が実技として評価しづらいものだってのは分かってるだろ」


 試験となると、どうしても外部魔術の出来を見ることになる。それだけで判断されることもないが、重要視されるのは外部だった。

 強化などの内部は、外側から確認がしづらいため仕方のないことだ。自己申告では困るし、かといって攻撃を当てて確かめる危険な試験を実地するわけにもいかない。だから、内部が得意な生徒はクラスが下位になりがちだった。

 俺の場合は、外部がてんで駄目なので、いくら内部が得意でも上位クラスに配置されるわけもない。分相応だと思っているし、それ以上の評価を周りがしていると思うといたたまれなくなる。


「だから、今は貴志も火ノ浦も注目株で、その二人がカップルだってのもおかしくはないってことになってるってことだよ」

「厄介な……」

「火ノ浦に惚れてる貴志としては悪い気がしないんじゃないか?」

「だからって、勝手に評価をつり上げられてもなぁ」


 夕貴の兄で、千陽の友人。自分の立場はあくまでも立場でしかなく、それが魔術の実力評価に関わってくるとは思っていなかった。噂だと恋人か、と考え直したところで、どちらにしても評価に関わってくるのは面倒でしかない。

 ため息をついた俺に、一百野も苦笑いを浮かべた。


「一度評価が上がると下がるのは一瞬だから、気をつけろよ。夕貴ちゃんの兄ちゃんで、火ノ浦の彼氏君?」

「彼氏じゃねぇよ!」

「なりたいくせに~」


 茶化す声は、さっきまで噂の解説をしていた人物と同一だとは思いたくない。もう少し、親身になる時間があってもいいのでは? と思うが、この距離が楽だと思ってしまっていたのは俺だ。

 ぐっと黙った俺に、一百野はくつりと喉を鳴らした。


「否定しないのかよ」

「う……うるせぇ」


 否定なり上手い返しなりを思いつけばよかったが、みっともなく罵倒することしかできずに髪を掻き乱す。

 今ほど外部魔術が苦手でよかったと思ったことはなかった。でなければ、罵倒の代わりに魔術が飛び出していたかもしれない。それほど、心が波立っている。

 この先のことなんて、考えていなかった。彼氏がどうだなんて、生まれたばかりの感情はまだ未来図を描くほどに成長していなかったはずなのに。こうして突きつけられると否定できない。腹中では願っていることが詳らかにされて、耳が熱かった。


「まぁ、でも気をつけろよ。評価が落ちるのは一瞬だし、悪評のほうが伝わるのが早いぞ」


 からかいの声音が潜まる。おちゃらけているのも、心配しているのも本当なのだろう。矛盾した感覚を取り繕わないものだから、一百野は胡散臭い。


「身につまされてるな」

「先駆者の話は聞いとくべきだぞ。……火ノ浦のためにも」

「千陽?」


 我ながら、そこに食いつくのかと胸の中があっぷあっぷになる。自身でも思ったくらいだから、一百野も思ったことだろう。

 だが、今は注意に天秤を傾けてくれたらしい。具合がよく分からないが、ありがたいことに違いないので、一百野のペースに乗っておく。


「制御できないって分かったんだから、火ノ浦のほうは評価が落ちかけてくる。だから、お前の上昇と釣り合ってきてんだよ」

「嫌な釣り合いの取り方……つーか、魔術の実力で値踏みして欲しくないよなぁ」

「まぁ、この学園にいてそれは切り離せないってもんだろ」


 自分たちでも知らぬうちに、その考えは染みついているものなのだろう。自分だって、そこに染まっていないとは思っていない。それでも、その基準で噂を決めつけられると困惑する。

 一百野も常識とばかりに口にしながらも、渋い顔をしていた。


「その面倒さで火ノ浦が俺の後を追いかけるから、気をつけてやれよ」

「具体的には?」


 繊細な話をしているのは分かっている。一百野が答えたくもないことだろう、ということも。

 ただ、切り出したのは一百野で、話せるのならば口にしてくれればいいとは思った。千陽のことに焦点を当てているけれど、いるからこそ、話せることもあるのでは、と。俺たちの距離感は、間に人一人挟むくらいがちょうどいい。


「それは人それぞれだろ? 期待が重くなって、できないことに焦るとか」

「ふーん」


 相槌はわざとらしいくらい軽くなる。そうでなければ、一百野は口重たくなってしまうだろうから。多分、そうした思惑も一百野に筒抜けているはずだ。それでも、一百野はそのまま口を滑らせてくれた。


「周囲とのギャップは精神を疲労させるし、身勝手にそんなもんじゃなかったはずだって幻滅されるのは鬱陶しい」


 淡々と語る声音に顎を引く。

 幻滅されるつらさは、知っていた。俺だって、妹の才能を横にして期待されていたことがある。双子の兄妹なのだ。俺にもその才能が眠っているのではないか、と。

 それはごく狭い範囲でしかなく、それも長らくは続かず、周囲の的になることはなかった。だから、それほど苦しんだという記憶もなく、こうして口にされてようやく心当たりを思いつく程度のことだ。

 でも、それは分かる。確かに。間違いなく。俺の中にも、その鬱々とした感情はあった。無言で納得できるほどには、気分が沈む。


「まぁ、上は上で、期待かけられて、できて当然ってのに答えなきゃならねぇプレッシャーがあるんだろうけどな。正直、夕貴ちゃんよくやっていけるなと思っている」


 付け足された言葉に、口内が苦くなった。

 夕貴へ向けられている期待の眼差しも、よく知っている。それは俺への期待がなくなってから、より勢いが増してしまったかもしれない。一身に請け負ってくれていると言っても過言でもなかった。

 多少申し訳なくは思っているが、優秀であることを選んだのは夕貴だとも思っている。捨てることもできたはずだ。兄が落ちこぼれているのだから、妹が同じ道を進むのは難しくない。

 ……あの妹が兄から零れ落ちた期待を寄せられて、逃げ出せたかどうかという点では疑問があるが。

 ただ、そんなお人好しな感情だけで、優秀であり続けることもできないだろう。夕貴はいくら何でもそこまでいい子じゃない。


「まぁ、とにかく、期待にせよ何にせよ、勝手に評価されるのはしんどいからな。貴志がちゃんと火ノ浦のことをありのまま見てやれてれば大丈夫じゃねぇの?」


 あまりにも雑なまとめに、苦笑いが零れた。


「それでいいのかよ、ホントに」

「いいんじゃねぇの?」


 アドバイスのラフさがいかにも一百野だ。それでいいと思っているが、千陽に対することなのだから、もう少しまともに取り合って欲しいと思ってしまう。まったくもって、千陽のことになると余裕がない。


「大体、今のお前は挙動不審にならないようにするほうが先決だろ?」

「うぐ」


 もっともな指摘に、喉が締まる。ははは、と笑った一百野が、とんとんと俺の肩を叩いた。顔には愉悦が滲んでいたが、その仕草はいくらか配慮がある。アンバランスなくらいがちょうどいいのは変わらない。


「まぁ、そのままのほうが火ノ浦も気楽かもしれないから、貴志らしくってことで」

「バレたくねぇよぉ」

「ここ一番情けねぇ声出すんじゃねぇよ」

「一百野〜」

「はいはい」


 無遠慮な手のひらがくしゃりと髪を掻き混ぜながら、適当な返事を寄越す。何だかんだ面倒見いいよなぁと思いながら受け入れた。

 そして、手のひらは離れていって、一百野はしれっとした顔で「風呂」とだけ呟いて離脱する。何の惜しみもなさそうに見えたが、そんなこともないんだろうなと、その後ろ姿を見送る。

 期待をかけられてプレッシャーを感じ続けてきたことも、降りた途端に幻滅されたことも、一百野はすべてを経験しているはずだ。軽々しくそのままでいいと言っているように見せかけて、あれは真実だろう。どうしようもない中の、たったひとつ一百野が求めたものなのだろう。

 誰よりも序列に嫌気が差しているのは一百野だ。だから、あいつは魔術学園には来たが、クラスには執着していない。自由に魔術をやっている。

 ……俺は途中だった弁当をすべて掻き混んで、さっさと片付けた。俺の周りは優秀なやつばかりだ。色んなプレッシャーの中で生きている。俺だけがそこから、いの一番に抜け出した。本当の落ちこぼれは俺だけだ。

 惨め、と思わないが、そんな俺がどれだけありのままでいられるのか、と苦い気持ちになる。

 一百野も夕貴も、千陽も。どうしたらいいのか。ぐるぐると回る思考は止まることがなく、その日眠りにつくまで、俺はくだらない序列に意識を向けることになってしまったのだ。

 ただ、意識を手放す直前に瞼の裏に浮かんだのは千陽で、俺はやっぱり恋の萌芽にも振り回されていた。

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