第四章

第一話

 それから、俺と千陽に大きな変化はない。

 気持ちを伝える勇気もなければ、噂を確かめる勇気もなかった。千陽のほうからも噂に言及してこないので、記憶を押し込めながら何事もなかったかのように過ごしている。

 変わったことと言えば、千陽の姿くらいのものだ。手には黒い革手袋をするようになり、スカートの下が黒タイツになった。

 それがどういう意図のものなのか。考えるまでもない。そこに火傷の跡があることを、俺は知っている。だから、そうして隠されているものに触れることはなかった。

 似合うな、と変化へ触れるだけに留めている。千陽もそれ以上、何も言うこともなかった。事を荒立てるつもりはない。俺と千陽の意見は合致しているようで、交流は今まで通りだった。

 一百野の言う通り、ありのままでいられているのかは自信がない。魔術の面でもないし、恋心の面でもない。だが、千陽が俺を俺のまま受け入れてくれている以上、今の関係を動かす気はなかった。

 友人という立ち位置からマイナスに動いてしまうことを考えると、軽率に動くこともできない。情けないだろう。

 夕貴に彼女ではないことと、この愚鈍な状況を知られたら、白い目をされること請負だ。俺の中にある厳しい目線の指標は夕貴で、それを基準にしてみると苦々しい気持ちになることは多い。

 それでも、順調な千陽との交流を退けることはできそうにもなかった。そうして過ごす日々は、特に問題もなく進んでいく。

 変化は千陽の外見。そして、もうひとつあるとすれば、俺のエンチャント能力が向上したことだろう。

 今までは、強化と同じようなに自己流でやっていた。しかし、このたび講義で取り扱われたのだ。おかげで、俺は今までよりも一段階上のエンチャントへ手を出すことができた。


「貴志、上手いのね」

「これも一種の強化だからな」


 隣に座る瀬尾から告げられたことで、自分だけの感覚ではないと確信が持てる。

 模擬試合の際の木刀を、一百野に評価してもらったことがあった。その時点でも、使うことはできていたのだ。それをきちんと教えてもらえれば、技量を上げることはできる。それくらい、俺にとって強化は使いやすい題材だ。

 エンチャントは道具だけでなく、人にも付与できる。今はまだ、道具にしか行っていないが、人への好奇心も膨れるくらいには、興味関心が止まらない。講義以外でも、しこしこと訓練してしまうほどだった。得意なことを極めるのは面白い。

 強化と言っても、道具へのエンチャントには、さまざまなやり口がある。刃物として切れ味をよくするか、木刀を硬くするか。その差別化を覚えるために、身近なものを強化しては解くことを繰り返していた。

 自室でも手遊びのごとくこなしていたら、一百野も面白がって乗ってくる。一百野は序列には興味がないが、魔術に興味がないわけではないし、試すことも嫌いじゃない。

 だから、二人揃ってあれこれやって、技術を磨くのを一時日課のようにしていた。とはいえ、それほど長い時間ともにやっているわけじゃない。一百野は相変わらずふらふらしているものだから、生活リズムはズレている。

 ごくたまに帰ってきたときに、気が向けばやるというくらいのものだった。それでも、ともにやる人間がいると、切磋琢磨している気がして向上心は引き上げられる。その実力の変化は嬉しいものだった。

 そうして、少しずつ魔術の成長をしながら、恋の成長はないままに毎日を過ごし、一学期の終わりが見えてきた。

 クラス編成に成績が反映される学園だ。テストもなく終わるわけもない。筆記のほうは、受験のときと同じように何の変哲もないものだ。一百野曰く、これは代々そうであるらしい。

 問題は、実技試験だった。こっちは代々新しいものが用意されるため、前年の試験が参考にならない。情報通の一百野でも、手に入れることはできなかったようだ。

 その内容が発表されたのは、実技の講義中のことだった。


「学園内に用意されている地下ダンジョンを攻略してもらう。地下の三層目に宝を用意してあるので、それを手にして戻ってくること。トラップなどを用意してあるので、無事に戻ってくるのが条件だ。攻略は一人である必要はない。四人も揃えば簡単になるように難度調整してあるので、自分たちで班員を誘うように。言っておくが、自分たちの実力を理解して、相互補助の関係を結べることも重要な才覚のひとつとして様子を見ている。一人でも構わないが、チームを組むことが望ましいと思われていると考えるように。では、本日は解散。テスト日までにチームは各々で組むここと。テストはクラスごとではなく、学年全体で行うため、チームメンバーはクラスを隔てていても問題はない。以上」


 詳細が発表されてから、生徒たちは交流を深く持とうと躍起になっていった。チームを組まなければならない。それは、先取りだ。どれだけ優秀な生徒を誘えるか。そうした戦が開始された。

 当然、Aクラスから取り合いになって、ライバル意識がバチバチに飛び交っている。夕貴は早々にチームを決めたようだ。四人いればいいと言われたのが、四人チームと解釈され、四人が揃えば決定というような雰囲気があった。

 夕貴がチームを決めてから、我先にという空気が飛躍的に高まったような気がする。夕貴が優秀。かつ、特殊に注目を受けていることを、こういうときに理解する。

 自覚しろ、と一百野に言われたことを実感させられることも増えてきた。視点が芽生えたと言えるのだろう。芽生えたところで、俺が何をできるわけでもないし、夕貴のおこぼれで自分が声をかけられるということもない。

 兄として自覚はしたが、俺なんてのは結局噂の人物の範疇に収まる程度でしかなかった。いや、見知らぬ生徒に声をかけられたところで困惑しかしないので、それはそれで構わないのだけれど。

 けれど、俺だって誰かと組む必要がある。声をかけなければならない。正直に言えば、千陽を誘いたかった。だが、俺と千陽の関係は据え置き状態。実技の間にしか交流がないままだ。それでも、毎日のように顔を合わせているが。

 だが、誘っていいものか、という迷いはあった。発表された後、そのまま声をかけてしまえばよかったのだろう。しかし、その機会を逃してしまったがゆえに、千陽への声は一瞬でかけづらくなった。

 何より、千陽は実力の評判が落ちかけていたが、それでも十分に実力のある生徒だ。倍率が高いのは明白だった。一度でもそうよぎってしまうと、障害は高くなる。

 俺が即日で声をかけられたのは、一百野だけだった。ふらっと帰ってきたところを掴まえたのだ。声をかけると呆けた顔をするものだから、神妙に尋ねる羽目になってしまった。


「なんだよ。もう誰かと組んだのか?」

「組んじゃないけど、俺でいいのか? まともに試験を受けるかどうかも怪しい男だぞ」

「自分でそれを言うなよ、っていうか、受けろよ」

「まぁ、さすがに補講は勘弁だから受けるけどよ」

「……一人でこなすつもりだったのか?」


 成績優秀者になるつもりは更々ないのだろう。

 一百野が自分の実力を出さないのは、下手な期待も幻滅もされたくないがためだ。だとすると、四人は必要とされている試験を一人で受ければ、優秀者の道からは外れやすい。


「まぁ、そのくらいが俺にはちょうどいいかなと」

「嫌味だぞ、それ」

「好成績が取りたいわけじゃないって分かってんだろ?」

「とりあえず、声だけかけとくからな」

「そんな緩い取り次ぎでいいのか?」

「いないよりはマシ」

「火ノ浦、誘えばいいだろ」

「……」


 半眼を向けると、胡乱な目が返ってきた。勇気のなさを指摘されると分が悪いので、即座に視線を外す。


「まだ誰とも組んでないって話だぞ」

「なんで一百野がそれを知ってるんだよ」

「貴志君が知りたいかと思って」


 語尾にハートがつきそうな甘ったるい声に肌が粟立つ。腕を擦って睨むと、一百野は高みの見物しているかのような笑みを浮かべていて癪に障った。距離感が心地良いなんて言っていたのが、過去の遺物になりそうだ。沈黙を守っていると、一百野は苦笑を浮かべて肩を竦めた。


「分かった分かった。悪かったよ。でも、まだ組んでないってのはマジの情報だから、声かけとけよ。せっかくだろ。当たって砕けろ」

「砕けたくねぇよ」

「じゃあ、当たって一緒にいられるように言葉を尽くすんだな」

「……他人事だと思ってないか?」

「他人事だもんよ」


 さも当然のように、けろっと言ってのける。腹が立つと言えば腹が立つが、言ってることは間違っていないので返す言葉もなかった。

 そして、当たって砕ける意味もある。せっかくだから、と思っているのは、自分だって一緒だ。彼氏になりたいという願望を胸に秘めている人間が、チームを組みたいと思わないわけもない。

 一百野はそれで十分背を押せた、というか、茶化せた、としたようだ。ころりと会話を引き上げていく。砕けるかもしれない手段を相談に乗ってほしいところだが、生憎声をかける以外に道はない。一百野だってそう言うだけだろう。答えの分かりきっていることを粘っても、自分の情けなさが際立つだけだ。

 そうして、俺は腹を括ったのだった。

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