第二話

 実技の授業で一緒に訓練するかどうかはその時々だ。挨拶すれば、そのままなし崩しになることのほうが多い。今日もまた、その流れで一緒に向き合うことになった。

 近頃では、試合のようなやり取りもしている。何度か手合わせをして、休憩を取るタイミングで、俺はようよう口火を切った。


「千陽」


 呼びかけるのなんて、いつものことだ。たったそれだけのことに緊張する自分の心を引っ叩く。

 こうして改まると、自分が普段どうやって平常を装っているのかさっぱり分からない。もしかすると、繕えていないのではないか。バレバレで引かれていたり。そう考えるともんどり打ちたくなるが、そんなことをすればそれこそ変人なので絶対にしない。


「どうしたの?」

「……チーム、まだ組んでないって聞いたんだけど」

「貴志君もでしょ?」


 自分のことを知ってくれていることに喜べばいいのか。自分の友人関係が広くないことを把握されているのを嘆けばいいのか。今だけは、後のことが切り出しやすいと喜んでおこう。


「組まないか?」


 もっと御託がごろごろと転がり出るかと思っていた。だが、緊張が逆に余計な言葉を削ぎ落として、単刀直入なお伺いになる。

 千陽はぱちくりと目を瞬いた。意外。そういうような表情にいたたまれなくなって、手持ち無沙汰に後ろ髪を掻く。間はほんの数秒しかなかったはずだが、必要以上に引き延ばされたものだった。

 そして、耐え切れずに


「いや……」


 と要らぬ追加をしそうになる。騒ぎ立てる心情に、脳内が空回りしていた。


「ビックリしちゃった」


 そのからから回る歯車の間に、がちりと言葉が嵌まり込む。はっと顔を上げたことで、視線を逸らしていたことに気がついた。紫色の瞳が眩しい。そう感じるのは、今や当たり前のことになっていた。


「あのね」


 そろっと続けられて、瞳から意識を取り戻す。


「私も誘おうと思ってたの」

「え、あ、マジ?」

「マジだけど?」


 きょとんと首を傾げられて、馬鹿みたいな反応をしたことに気がついた。また、無意識に髪を掻く。


「えっと、え? よろしく?」

「うん。よろしく。貴志君がいれば、大丈夫だよね」

「心強いのは俺のほうだよ」

「そんなことないよ」


 そう小さく笑う顔は、覚束ない。謙遜というには切実だ。周囲から心ない言葉を向けられているだろう。俺だって、噂の一片を耳にしていた。

 千陽の実力を疑問視する声は多い。その渦中の言葉を軽く捉えられるほど、俺は楽天家のつもりはなかった。だからと言って、重々しく対応するつもりもない。


「俺は外部魔術ダメだからな。千陽とはバランスがいいだろ? だから、声かけたかったんだ」

「能力だけ?」


 むくれた頬の膨らみが柔らかそうで、手のひらが疼く。当然、突くような豪胆さはない。だが、能力だけだと頷くつもりもなかった。

 そんなわけないのだから。


「千陽だからだよ」


 考えなしに零れた本心は、飾り気がなさ過ぎてキザったらしくなった。汗が噴き出して、背筋が冷える。

 千陽がぱちぱちと長い睫毛を叩き合わせた。それから少し俯いて、前髪を弄りながらこちらを見上げてくる。


「……そりゃ、能力じゃないって言って欲しいなぁと思ったのは私だけど、なんていうか、そんなふうに言われると普通に恥ずかしいよ。リップサービスが過ぎるんじゃない?」


 即時にリップサービスじゃないと否定がまろびでそうになって、言葉を飲み込んだ。それを伝えてしまえば、気持ちを明かしたも同然になってしまう。その心の準備はできていないし、仮にできていたとしても講義の最中は選ばない。


「いいだろ? ちょっとくらいかっこつけても」


 恥ずかしいのはこちらも一緒だ。それを誤魔化すために、過剰に拗ねた声音になったことに自覚が追いついた。


「千陽が、求めたんだろ」


 慌てて付け足した言葉は、明らかに余計だ。削ぎ落として勧誘した意味がない。

 求めたって。求めたって何だよ、アホか。求められたなんて、盗人猛々しい。顔中に熱が伝播していく。あー、と喉から零れ落ちそうになる声をどうにかしまいこんだ。


「もう、そんな言い方しないでよ」


 照れ隠しだろう。黒い手袋に包まれた手のひらが、緩く二の腕の辺りを引っ叩いた。

 黒い手袋は、もう見慣れている。けれど、身動ぎに袖がズレて手首の白い領域が見えるとドキッとする。そんなフェチズムが自分にあるとは初めて知った。


「言い出したのはそっちだろ」


 引くに引けなくなって、その道を進む。頭の中は大パニックで、坂を転がっているかのようだった。


「貴志君がそういうこと言えるとは知らなかった」

「千陽のせい」


 全速力で意図せぬほうに転がっていたのは分かっていたが、一度勢いづいてしまったものを止める方法がない。

 冷静なら、壁にぶつかって無理やり止まることもできたのだろう。だが、そんな冷静さが残っているなら、こんな訳の分からない道に迷い込んでいない。方位磁石をなくしたのはあの日だ。


「だって、貴志君が能力のことしか言わないんだもん。ちょーっと拗ねるくらい、いいじゃん。私だって、不安になるんだよ?」


 千陽は自分がどの方向へ舵を切っているのか分かっているのだろうか。どこかふざけた調子の中に混ざり込む甘さに、ほとほと参ってしまった。


「だから、俺は答えたんだろ?」

「その恥ずかしさを私のせいにしないでよね」


 収拾のつかない転がりの中で、羞恥心だけが雪だるま式に増えていく。むくれた千陽だって、気恥ずかしさを隠せてなくて、予期せぬ空気から抜け出せない。ふわふわとした落ち着きのない空気にまとわりつかれて、この先の顛末を見つけられなかった。

 苦笑いだけが零れ落ちるこっぱずかしい空気に、


「何やってんの、二人して」


 と割って入ってきた声は、救世主だったかもしれない。

 俺が勇猛であれば、邪魔者だと言える感情もあっただろう。残念ながら、俺はそこまで能動的になれていなかった。千陽に呆れられていないといい。


「甘酸っぱいなぁ」


 ……まったくよいものではなかった。瀬尾のからかうような笑みに、すわり心地が悪くなる。ちらりと様子を窺った千陽と目が合ってしまい、ますますなすすべをなくした。


「からかわないでよ、瀬尾さん」


 同じ実技のクラスで、同じように俺の友人であるから、二人もここ数ヶ月で顔見知りになっている。千陽も知らない仲ではないので、ごく自然に受け答えた。


「だって、なんかもじもじしてるからさぁ。見てるこっちが恥ずかしいって」

「貴志君のせい」

「人のせいにするなよ」

「はいはい。仲が良いのは分かったから。それより、今いい?」


 からかいで割って入ってきたというのに、切り上げるのも早い。下手に引きずり回されるよりはずっといいけれど、それにしたってマイペースだ。


「どうしたの?」


 一人で転がり落ちて怪我を負った気持ちの俺を取り残して、滑らかに会話が進んでいく。千陽は舵を取っていてあの状況だったのか。立ち直りが早いのか。深く考える間も与えられなかった。


「あたしもチームに入れてくれない?」

「いいの?」

「いいのって、あたしのほうが恩恵を受けると思うんだけど。火ノ浦さんのほうはいいの?」

「私はもちろん。貴志君は?」

「問題ないよ。瀬尾はバランサーだしな。あと、一応一百野を誘ってるけど」

「そっか。貴志君って一百野君と同室なんだっけ?」

「……話したっけ?」

「一百野君はどうしたって動向追われてるからね。同室者も話題になってたよ」


 もしや俺の噂の問題は、夕貴の兄、千陽の友人にプラスして、一百野の同室者という点もあったのではないかと気が遠くなる。周りが有名人過ぎた。頭を抱えてしまった俺に、瀬尾が失笑を漏らす。


「気がついてなかったの?」

「気にしてなかった」

「フラットに接すのは貴志のいいところだけど、鈍感なのは面倒なことを取り逃して大変になるよ」

「瀬尾は一百野も一緒でいいのか?」

「あからさまに話を進めようとするな。一百野、ちゃんと出てくるの?」

「……分かんねぇ」


 どうしたって、確定的な返事はできなかった。実際に、言質を取っていないのだから仕方がない。全員が全員、苦い顔にならざるを得なかった。


「……一応、一百野には千陽と瀬尾がチームになってくれたって伝えとく」

「最悪、三人でもどうにかなるよね?」

「火ノ浦さんがいるなら大丈夫でしょ」

「そんなに期待しないでよ。一緒に頑張るけど」

「大丈夫大丈夫」


 瀬尾は気軽に言ってのける。それが千陽にどんな感情を抱かせているのか。気が気ではないのは、俺が千陽に肩を入れ過ぎてしまっているからだろう。千陽は緩く笑うに留めていて、真意はさておき、気持ちを沈めている気配はない。瀬尾くらいの軽やかさが俺にも必要な気がした。


「とにかく、よろしくね」


 さらっとやってきて、マイペースに進めて、ころっと話をまとめる。終始瀬尾のペースで進んだチーム決めとなった。

 千陽との行き先不明の会話がうやむやになったことには、ほっとしておこう。

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