第三話
一応、四人チームが組めたことで、生徒の落ち着きのなさからは抜け出せた。
一百野という異例のせいで、千陽はいくらか声をかけられたりもしているらしい。しかし、もう組んでいるから、とすべてを断っていると聞く。
そして、試験まで一週間。千陽はすっかり試験に向けての対策に気を向けていた。優秀なだけあって、真面目であるようだ。
これがBクラスか、と思いつつも、準備はもちろんいる。ダンジョン攻略に、何の用意もなく挑めるわけがない。試験であると銘打っているのだから、それなりの難易度は設けられているはずだ。
学園にあるダンジョンを使うと言っても、中に入れば自分たちだけで乗り越えなければならない。
恐らく、妨害もある。入ってしまえば、チーム以外は敵も同じだ。
宝の準備は生徒分あるのだろうが、競う以上順位が成績の決め手になる。そのために手段を選ばないものもいる可能性は捨てきれない。周囲の神経質な空気を感じれば、予想は仰々しいということもないだろう。
千陽もそれを読んだうえの準備発言だ。一百野がそれに入ってくることなんて、尋ねるまでもなかった。チームのことは伝えたが、案の定するりと抜け出すかのような返事しかもらっていない。
千陽も瀬尾も一百野はそんなものだと納得してくれているようで、そのままになっている。練習にも参加しないのが通例だ。
瀬尾は流れで参加している。千陽が言い始めた場にいたこともあって、自主練に巻き込まれた形だ。積極性があるのか何なのかは分からないまま、千陽に連行されている。
「……よかったのか?」
訓練室は取ったもん勝ち状態で、空いていればラッキーというほどに繁盛していた。試験期間は利用時間が区切られていて、鍵の貸し出しと返却で厳密にスケジュール管理されている。クラスが上位なほど取りやすい傾向にあるのは、序列がある以上自然の摂理だ。
俺たちは、千陽の手腕でどうにか訓練室を取ることに成功していた。一番小さな訓練室であるので、三人だと少し狭いくらいなのが困りどころだ。そこに向かう最中に瀬尾に声をかけると、瞬きをされる。
「練習しないわけにはいかないでしょ」
「時間的な話」
千陽は当たり前のように放課後を練習時間に充てるつもりでいるらしい。俺は付き合うつもりでいたし、自主練しようと思えばその時間になるのは分かっている。
しかし、瀬尾の放課後が暇かどうかは知らない。クラスで唯一話す相手と言ってもいいくらいだが、瀬尾の生活なぞ知らなかった。
「……邪魔だった?」
「は?」
低く唸った俺に、鍵を開けようとしている千陽を瀬尾がちらりと見る。その仕草で言われていることが分かって、頬が引きつりそうになった。
瀬尾の抜かりのないからかいもさることながら、それを拒絶できない自分の内面にぶち当たるのがたまったもんじゃない。無言を貫いた俺に、瀬尾が脇腹を突いてきた。
「やめろ!」
割と本気で鬱陶しい。騒いで手を払った俺に、扉を開いた千陽が振り向いた。
「何? どうしたの?」
「なんでもない」
早口で即答してしまったのは、いかにも何かあると隠し立てするかのようで臍を噛む。千陽は緩く首を傾げた。連動するかのように揺れる赤い豊かな髪が美しい。
「……」
「ちょっと茶化したらムキになっちゃっただけ」
「瀬尾さんと貴志君って仲良いんだね」
俺が無言で濁そうとしたのは、瀬尾にフォローされた。しかし、何をどう解釈したのか。千陽の感想には眉を顰めてしまう。そこには、勘違いされたくないという瀬尾に遠慮のない反駁があった。
「そこまでじゃないよ。火ノ浦さんと貴志には負ける」
「私たち、そんなこと、ないよ」
身体の前で両の手のひらが振られる。明らかな拒否であったが、瀬尾はふ~んとばかりに目を細めた。
逃げ出したい。何のやり取りなんだ。これから自主練に励もうと言うのに、それより先に体力を消耗したくなかった。
「そんな必死にならなくたって、変な噂立てないよ」
「おい」
流れを手放していたところに噂を持ち出されて、思わず突っ込みが出る。
声をかけたのは瀬尾へだったが、視線は千陽のほうに流れた。様子をスルーすることはできない。千陽は瞳を見開いてから、へにょっと眉尻を下げた。困っていても可愛いのはこっちが困る。
「だったら、仲がいいよ」
「でしょ?」
二人の間では会話が成立していた。それでいいのか? と千陽を見ると、はにかまれる。
「友達でしょ?」
「もちろん」
言下に頷いた俺に、千陽の表情が晴れ渡った。
「だったら、仲良しじゃん?」
そういう指先が腕に絡みついて、掴まえられる。これが友人の距離かよ、とこめかみが震えた。
「そう、だけど」
苦い返事になってしまったのは、複合的な感情のせいだ。
この距離が許されていること。とても友人の距離ではないこと。男として認識されていないこと。友人であること。友人以上の存在になりたいと思っていること。湧き上がった複数の感情がマーブル模様を描いて、撹拌されている。
「そんな顔しなくたっていいでしょ? 私だから誘ってくれたって言ったの嘘?」
「掘り返すなよ!」
叫んだ勢いでそちらを見ると、千陽は愉快そうに笑っていた。
「だって! 瀬尾さん、気にしないって! 私ね、我慢してたの」
「は、はぁ?!」
そんな隠れて付き合ってる男女の睦言みたいなことを愉しそうに言われても困る。どこどこうるさい心臓が肋骨を飛び出していってしまいそうだった。
「噂になってるでしょ? あんまり仲良くして加速したら、貴志君に悪いなって」
「それは別にいいけど」
むしろ、吝かではないのだけれど。
そんなこと言えるわけもないのだが、期せずして千陽の噂への所感を聞けたのはありがたい。気にしている方向が、内に向いて落ち込んでいなかったことに肩の荷が下りた。
そして、千陽も俺の言葉に安心したようだ。こちらを見上げてくる顔が輝いた。紫色の瞳に赤い鱗粉でも舞っているかのようなきらめきに目を眇める。
「本当に?」
「じゃなきゃ、一緒にいないだろ? チーム組んだりしたら、いくらだって噂を補強しちゃうんだから」
「そっか……そうだよね」
ふにゃっと蕩けた頬があまりに柔らかそうで、思わず手が出た。至近距離で絡まれて、千陽がこんなにも心を許した行動を取るものだから、自制心がバグる。
初めて自ら触れた柔肌は離しがたい。緩く摘むと、びょんと伸びて肌が指先に吸い付いてきた。もち肌ってこういうのを言うのか、と感慨深い。
千陽はそんな無法をされながらも、愉しそうな雰囲気を壊さなかった。どこまで許されるんだ、と心臓が期待で破裂しそうになる。このままだと待つのは死なので、何もできなかったが。
「貴志君も、気にしてない?」
「千陽となら別に気にならないよ」
バグった自制心から、ほろっと本心の断片が零れ落ちる。かなり危うい発言に思えた。
実際、こちらに向けられている瀬尾の視線には、呆れたようなものが感じられる。それを感じながらも、瀬尾へ反応を返す気はなかった。何よりも千陽の優先順位が高過ぎるのだ。
「嬉しい」
ほわんと微笑まれて、摘んでいた手を離して頬の輪郭に沿える。こうしてみると、自分の手のひらがでかくてごついことを意識させられた。千陽の顔が小さいと言うのかもしれない。
すりっと指の腹で肌を確かめると、千陽が頬を預けてくる。擦り寄るような仕草は、ペットが甘えるような可愛らしさがあって、胸がぎゅんと痺れた。
こほんと咳払いが挟み込まれて、大慌てで手を引く。千陽も背を伸ばして俺から距離を取った。顔を見合わせると、たった今まで白かった頬に桃色が広がっていく。その温度は先ほどとは違うのだろうか。
「仲良しなのは分かったから入るよ、訓練室」
追い打ちのように告げられた言葉に、のぼせたように体温が上がった。きっと、千陽と同じような顔になっている。
「そうだね! 入ろう!」
定期的に照れくさい会話をしては、パニックになることを繰り返さねばならないのかと苦くなった。声を張り上げた千陽が、ぐいぐいと俺の背を押してくる。
「痛いよ」
「いいから!」
やけっぱちになっているようだ。それもまた可愛い。痺れ過ぎて心臓への負荷がかかり過ぎる。
これ自主練を軽々しく受けてよかったのか? 体力とは別の何かを消耗しきってしまいそうな予感がした。
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