第四話

 とはいえ、自主練を始めれば千陽は平常通りだ。俺が心配するようなことはなかった。内心の心配のほうは。外側の心配は、思ったよりも表面上に浮かび上がってきていた。

 千陽の魔術だ。

 講義の間は、さして気にならなかった。恐らく、千陽も意図して気をつけていたのだろう。周囲の目がなくなったことで、それが表立った。

 講義中も、魔力を抑えている気配はあった。一時とは言え暴走したのだから、抑制を心がけていたのだろう。だが、実際には、抑制が上手くできていなかっただけなのだと判明した。

 千陽は度々手のひらのうえの炎を大きくしてしまう。手袋には防火措置を施しているようで、怪我にならぬうちにどうにか消化しているが、それはとても黙認できる状態ではなかった。そりゃ、自主練を申し出もするだろう。

 俺は千陽と手合わせしながら、その不具合を痛感して、心配を深めた。


「休憩しよう」

「でも」

「適度に休憩を入れないと集中力が途切れて余計に上手くいかないだろ?」

「……うん」


 しょぼくれた千陽が壁に凭れて座り込む。今日は瀬尾がいない。連日の自主練に飽きたのか、身が入っていないのは分かっていた。そして、今日ついぞ断りを入れられたのだ。

 そうすることで、千陽と二人きりだとはしゃぐ気持ちはなくもない。だが、千陽の状況改善のほうがよっぽど急務で、浮ついてばかりもいられなかった。

 俺は伸びをして、おもむろに千陽のそばに腰を下ろす。


「焦るか?」

「……そうだね」


 手のひらを見下ろした千陽が、うつろな相槌を打った。

 我慢していたと言って、腕に縋られたのは初日のことだ。それから、自主練中も千陽は俺に対して言動の遠慮をしなかった。そのおかげで、意固地にならずに頷いてくれるのはいいことなのだろう。

 ただ、その影のある表情はよくない。それは悲しい。少しでも身軽にしてやりたいと思う。


「俺も焦ってた」

「貴志君が?」


 深い怪訝の声だった。不機嫌であるのかもしれない。

 自分の気持ちを分かったようなことを言う相手は面白くないだろう。それを予測するくらいの思考はあったが、それで止まったところで他の手法はなかった。愚かな方法しか知らない。

 俺は両足を前に投げ出して、壁に頭を預ける。だらりと凭れて訓練室の高い天井を見上げた。


「俺の妹、夕貴だぞ」


 我ながら、みっともねぇなぁと自嘲が零れそうになる。

 双子の片割れの天才。ひとつの屈託もなく過ごしていられるわけもなかった。自分のことを不幸せだと可哀想な子扱いするつもりはない。そんな目を向けられてたまるかと、そう思って生きてきたくらいだ。それでも、身体が強ばることはあった。

 そして、夕貴の兄、という発言は千陽にも分かりやすかったようだ。


「昔から俺は外部が苦手だし、まったく表に出ることがなさすぎて相当焦った」

「夕貴さんは、そんなことなかったの?」

「あいつは魔術書を読み始めてすぐに外部が出せるようになったくらいだから、元から素質があったんだろ」

「すごいなぁ、夕貴さん」


 ぼんやりとした口調な分、実感が伴っている気がした。

 魔術書に書かれていることをのっけから実行するのは才能がないと難しい。今のように勉強した後であれば、ある程度のことはできるようになっているものだ。けれど、初見でそれができるというのは、ずば抜けている。やはり、あのころから夕貴はおかしかった。

 だが、双子に他のサンプルはいない。俺たちはお互いが自分と同じもの。もしくは、近いものだと思い込んでいた。幼いころの世界は狭い。そんなものだから、焦燥感は人一倍だった。

 俺と夕貴は、魔術に関わるまで、おおむね同じように成長してきていたのだ。だからこそ、その一歩の差はとても大きなもののように感じていた。実際には、夕貴が大きな一歩を踏み出したに過ぎなかったが、俺には自分が一歩を踏み出すことに失敗したように思えた。

 あのときの虚無感も寂寥感も、よく覚えている。


「強化が見つかるまでは、何をしたらいいのか分からなくて焦った」

「……そっか。貴志君は私の先輩なんだね」

「胸を張れるもんじゃないけどな」


 噛み締める苦さが渋い。千陽はふっと息を吐いて、三角座りした膝の上に頬を押し付けた。


「どうすればいい? 先輩」

「さぁ?」

「ちょっと」


 やさぐれた声は、責める片鱗がある。そりゃそうだろうな、とますます渋くなった。とはいえ、そんな方法が見つかっていれば、俺は無欠の人間になれている。


「俺だってまだまだもがいてるんだよ」

「……そんなに抜け出せないの?」


 滲むもどかしさは、本気の憂慮だった。

 千陽は今、魔力の制御をどうにかしたいのだろう。そのために自主練しているわけだから、当然のことだ。何より、制御ができないことは、決定的な弱点になる。

 俺が強化に目覚めながらも焦っているのとは、またベクトルが違うはずだ。同じような焦りと一概に言っても、その中身も切迫感もまるで違う。

 一百野が言っていた。落ちるときは一瞬で、その幻滅されるつらさのことを。気にしてやったほうがいい、とアドバイスされているほどだ。千陽の感じている焦燥感は、そういったものなのだろう。

 周囲の目から離れてようやく、俺にそっと零せるくらいには追い詰められてもいる。どうにかしてやりたいという強い気持ちが流露していた。


「制御なら、魔石に魔力を注ぐ練習が役に立つって聞いたことがあるぞ」

「でも、魔石は高いから……」

「抜くことも練習に加えればいくらか繰り返し使えるんじゃないか?」

「……破壊しちゃったらおしまいじゃん」

「破壊しないように訓練したいんだろ?」

「そうだけど」


 言葉を止めた千陽が、唇を噛んでから膝の上に顔を伏せる。表情が見えなくなると、途端に不安が増した。俺たちが普段、どれだけ視覚を頼っているのかがよく分かる。

 少しでも感情の変化を見逃さないように、耳をそばだてた。そこに小さな声が忍び込んでくる。


「自信がない」


 きゅっと握り締められた拳のおかげで、その力みを気取る。

 全神経が千陽に集中していた。五感をすべて使っても、まだ足りない。第六感もただの勘も何もかも総動員して、千陽のことに集中していたかった。

 そして、それくらい集中していたとしても、俺はまだまだ力不足なのだ。適切な言葉が思い浮かばない。大丈夫だなんて、言ってやるつもりはなかった。そんな安直な言葉で済むなら、千陽はこんなにも悲嘆に暮れていない。

 不甲斐なくて悔しかった。これほど悔しかったことは、夕貴との差を感じたとき以来かもしれない。


「千陽」


 呼びかけても、顔も上がってこなければ返事もなかった。じっと耐えているのがよく分かって、こちらまで身体に力が入る。


「俺がいくらだって付き合うよ」

「……」


「頼りないかもしれないし、上手いことも言えないし、千陽よりもずっと能力だって劣ってるけど、それでも、俺の時間なら千陽にあげられるから」

 そんなもの無価値だ。俺が時間を渡したって、千陽の時間が増えるわけでもないし、効率的に動けるアイデアがあるわけでもない。これが大した力にならないことなんて、俺が誰よりも分かっていた。歯を軋ませる。

 少しの間を置いて、千陽の顔がゆるゆると持ち上がってきた。それは俺を捉えながらも唖然としている。

 ……だろうな。そんな力にならないものを差し出されても、困惑するしかないだろう。


「貴志君は、何を言ってるか、分かってる?」

「大した力になれないことなんてよく分かってる」


 即応すると、千陽の表情が険しくなった。何が気に障ったのか分からなくて、気持ちがから回る。どうすればいいのか。そうでなくとも手探りなのに、機嫌を損ねられてしまったら挽回する方法は思いつかない。


「そんなの、ダメだよ」

「……俺じゃダメ?」

「違うっ」


 自分で口に出しておいて、鋭い刃に斬りつけられたような痛みがあった。

 だが、その傷が幻想だとばかりに千陽が飛びかかってくる。三角座りを崩して、俺の隣に両手を突いて身を乗り出してきた。瞳が潤んでいて、泣くんじゃないかと焦る。

 唇を噛み締めたまま、何度も首を左右に振られても意図を汲めない。どれだけ千陽を分かりたいと思っていても、俺と千陽の関わりは所詮数ヶ月に満たなかった。

 心を奪われてからは、四六時中千陽のことを考えていただろう。それでも、理解が深まるわけではない。むしろ、要らぬ探りや勝手な期待が混ざり合った思考は、現実の千陽を相手にするには邪魔になることすらある。

 千陽はそれから、意を決したように手を伸ばして、俺の手のひらを両手で掴んだ。そうして、大きく深呼吸を挟む。そこまで決意を漲らせられると、身体が軋んだ。

 俺がひやひやしていることに気がつかないほどに、千陽は自分のことで一生懸命になっている。


「時間なんて、返せないよ」

「いいよ、そんなの」

「よくない! 私がもらい過ぎちゃう。貴志君は、今日までだってずっと付き合ってくれてるもん」

「それしかできないからな」


 もっと抜群に頼りになる力があればよかった。できないから、愚直なことしかできない。それは自分の中では足りないことばかりで、心許ない部分だ。だから、これだけ。稚拙なものだ。

 そうだというのに、千陽は悲壮感を出す。やっぱり訳が分からなくて首を傾げてしまった。


「貴志君は、もっと自分の時間を大事にしなくちゃダメだよ。私に何でも差し出そうとしないでよ。友達でしょ?」

「……だから、千陽の力になれるなら嬉しいんだけど」


 友達以上の感情があるから、余計に。

 本心から告げているのに、千陽は今にも泣き出しそうになってしまって、こちらまで泣きたくなってくる。


「友達って平等じゃない?」

「助力したいって思うのは見下してるってこと?」

「そうじゃなくて! 私ばっかり助けてもらってて、貴志君にちっとも返せてないって話をしてるの」

「そんなことないよ」


 千陽が千陽としていられるのならば、俺にはそれがご褒美と言ってもいい。

 切り返した俺に、千陽は困った顔になる。どうすればこの状況から抜け出せるのか分からない。ただ分かっていることは、千陽にこんな顔をさせてしまっているのは俺だということだ。

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