第三話
一百野の問いに流れた沈黙は一瞬。その隙に、全員が巡らせた考えは何だっただろう。
俺の中で生じた感情は、どうなろうと向こうの自業自得では? という無情なものだった。そして、当事者意識のあるものは、同じ感想であったようだ。会話の間も断続的に膜にぶつけられる風圧が、その感情を昂らせているのかもしれない。
「……監視があるから、いざとなれば中断されるんじゃないかな?」
「おいおい。Bクラトップの優秀者がそんなこと言っていいのか? ダメだったら、成績落下は免れないぞ」
「それってそんなに重要?」
千陽の返事は、一百野の感性にそぐったものだったようだ。ひゅうと吹かれた口笛が、急迫しているはずの実戦の場に軽やかな空気を運び込んでくる。空気を軽くするのは、一百野の才能なのかもしれない。
「好きにやりなよ一百野」
「蒼依もな」
けろっと返す刀の軽さに比べて、一百野から渦巻き始めた魔力はちっとも軽くなかった。
俺はふぅと息を整えて、改めて正面を見据える。風。それから、水と土。三人は三者三様の外部魔術を投げつけてきていた。その威力は、やはり増幅されているだろう。
千陽の魔力を捌けていた自分の実力を疑うつもりはなかった。その後の手合わせにも付き合ってきたのだ。そのときよりも切迫した魔術の対応を求められているのだから、三人まとめての攻撃だとしても異様だった。
俺は跪いて、再び息を整える。手のひらを地面に押し付けながら、一百野を横目に見た。一百野の魔術が整ったことを理解できるのは、その雷に殴りかかられたことがあるからだ。
「消すぞ」
呟くと、一百野が顎を引く。強化壁は向こうからの魔術を防護してくれるが、逆にこちらからも魔術を通さない。反撃するには、消さねばならなかった。
千陽と瀬尾にも目を向けると、同じように顎を引く。それぞれどうやって躱すつもりなのか。そんなことに思考を巡らせることは無意味だ。頷くのだから、それだけが答えだった。強化壁を消滅させる。
寸分違わず、向こうからの攻撃が一斉に襲いかかってくる。自分だけを守るのは、姑息な気もした。しかし、確認はしてある。肌の周りに魔力をまとわせるいつもの強化で、衝撃に備えた。
目の端には、千陽の炎のカーテンと瀬尾の水の防御膜が入る。増幅された魔術をどこまで防げるのか。そんなことを考えたのは一瞬だ。あちら側の攻撃は、こちらの誰かに届くよりも先に、すべて相打ちになった。
ビリビリと走る雷が、ダンジョン内を照らし出す。相手の攻撃を飲み込んだそれも、相手の元にまでは届かずに、ひどい土埃を舞わせた。散った砂利がびしびしと身体へとぶつかってくる。魔術に耐えるために上げていた防御力が通用した。
顔を片腕で庇いつつ、地面に手をつける。土を掘り返して三人組の足元を崩そうと試みた。しかし、土竜のように進んでいた魔術は、すぐに同じ土属性の魔術によって堰き止められる。それでなくとも勝ち目のない外部魔術の勝負に、魔術具を持ち出されては歯が立たない。
間を待たずに、風圧がこちらを目掛けて飛んできた。問題ないと切り捨てるには、斬撃は無視できない。後方へジャンプして回避する。飛び上がった地面に、かまいたちがぶつかるのと同時に火玉が衝突した。
炎は風に煽られて、野原の高い草のように周囲へ広がる。向こうとこちらを隔てる境界線のような火事は、俺たちを守るものだろう。しかし、それはすぐに波に飲み込まれて消火された。その勢いに、下唇を噛む。
千陽が放出する炎は魔術だ。自然現象ではあるが、魔力で作り出している。魔力負けすれば水でも消せるものではない。それを赤子の手をひねるかのように消火しくさる。普段なら、そうはいかないはずだ。魔術具の性能の高さを思い知らされた。
ムキになったような青い炎が、水と拮抗するかのようにぶつかる。押しつ押されつしている中に、新たな水圧が瀬尾から放たれた。
それは相手の水に混ざって、魔術の威力を削ぐように蠢く。だが、その差は歴然としていて、水の動きを変えることも、圧を抑えることもできていない。むしろ相手の水圧に飲み込まれてしまっていた。
そこに一筋の光が走る。それは、瀬尾の水を起点にして通電させた雷だ。弾けた光が、相手の水圧を内側から電撃で制圧する。コンビネーション技とも言えるそれに、一百野がニヒルな笑みを浮かべていた。
しかし、それも一瞬のことだ。雷電によって釣り合いが崩れた水と炎は互いを打ち消し合い、水蒸気を発生させた。
その靄の中から一直線に放たれる土壁を認めるや否や、一百野のでかい身体が反転して瀬尾を抱きすくめる。小さな瀬尾はその腕の中に包み込まれた。毛の一本すらも閉じ込めた一百野の顔は、いつになく剣呑だ。
一切の躊躇がない体躯の盾を瀬尾が目を見開いて見上げた先を見届けずに、その一百野の前に滑り込む。強化壁で、というよりは、もはや自分の身体の強化で力任せに土壁を抑え込んだ。腕に痺れが走る。魔術だけではどうにもならなくても、腕力ならばどうにかこうにか踏ん張れた。
骨が軋む音がするが、ここで手を抜けば後ろの二人が潰される。そこまで冷酷なことをしでかすとは信じたくないが、直面している力を考えれば冗談でもない。
しかし、このままではいずれ押し負けてしまうだろう。ぎりっと噛み締めた唇から、血の味がした。それでも根性で踏ん張っていると、土壁を押している手のひらの横に大きな手のひらが並んでくる。
「一百野……」
歯の隙間から漏れた声に、一百野は答えもせずに破壊的な魔力を土壁に叩きつけた。魔力の混ざった土になら、電撃は与えられるらしい。俺の手のひらにまでも雷電が走ったが、一百野はお構いなしだった。これは蔑ろにされているのではなくて、信頼されているのだろうと信じておく。
一百野の魔力で崩壊した壁に力が抜けたのは、一秒にも満たない寸刻だ。その向こうから、かまいたちが迫ってくる。間に合わない。
慣れているとはいえ、どうしたって魔術を発動するまでにはラグが生じる。ましてや、たった今まで土壁と押し合っていた。消耗は発動に影響を及ぼす。
今度は一百野が俺の前に立っていた。
「おまっ……」
「蒼依を!」
雷属性は壁には向かない。攻撃特化の魔術だ。かまいたちに立ち向かうには、雷撃をいくつも放射するしかない。そんな余力がまだ、と考えながらも、俺の身体は一百野の命令に忠実だった。同室者の本気を取り逃さないほどには、培ったものがあるらしい。
瀬尾の肩を抱き寄せて引き倒す。瀬尾だって棒立ちするほど不慣れではないのか。自ら倒れてくれたので力はいらなかったし、怪我の心配もなかった。
一百野が対応するかまいたちに、すぐに炎の刃が加勢する。一百野と並んだ千陽が、決死の表情でひとつひとつを捉えて消滅させていた。その精密さには目を見張るものがあるが、長引けばその限りではなくなるかもしれない。長期戦は望むものではなかった。
しかし、向こうにとっては一隅のチャンスだ。みすみす手放すことはないだろう。どうにかして、現状の均衡を壊さなければ。そのためにできることは、あちらの戦力を削ることだ。
手っ取り早く言えば、魔術具を取り上げてしまえばいい。いくら三人いるとはいえ、素の魔力では一百野と千陽に渡り合えないはずだ。だからこそ、ブーストの手段を用意したのだろうし、それさえ奪ってしまえばいい。
増幅の魔術具。よく聞くし、よくある。だからこそ、その種類は千差万別だ。ピアスでもネックレスでも指輪でも腕輪でも、マニキュアでも口紅でも香水でも、札や武器の形を成していることすらも。
三人は特殊なものを所持していないので武器の線は消せるが、他の何だってありだ。目星がつけられない。
「……瀬尾、魔術具の形状は予想できるか?」
「水の男は帽子。風のお下げ髪は眼鏡ね」
「土の女は?」
「……目に見える範囲じゃ分からないわ。ネックレスでも腕輪でも制服で見えないし。それこそ、香水じゃ簡単には消せない」
「二人分消えれば、上等だろう」
「買い被ってない?」
「千陽なら大丈夫だよ」
「一百野は体力ないから危ないわよ」
「分かった」
時間がない。それは、言われるまでもないことだ。
千陽なら大丈夫だというのも本音だが、大丈夫であるからと言って無茶して欲しくはない。可能な限り早く解放してやりたかった。水と風。攻撃に回っている二人は、都合良く前衛だ。俺はその場に立ち上がって深呼吸する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます