第五章
第一話
特殊な責任の問答はさておき、時間を捧げてともに訓練するという意味での責任は取れている。
瀬尾はあれから連鎖的に休んでいた。一百野が顔を出すわけもないので、俺と千陽は二人きりだ。そうして試験までの日々を積み重ねて、当日はあっという間にやってきた。
千陽のコントロールは少しずつではあるが、改善の兆しが見えている。それと比べると、俺の外部魔術の伸びなさは肩が落ちるものだ。エンチャントと強化ばかりが上達していく。それは悪ではない。技術が磨かれるのだから、歓迎すべきことだ。
ただ少し、千陽ばかりが弱点を克服していくのに、置いてけぼりを食らっているような気持ちになる。ここしばらくは新たに芽吹くことのなかった魔術での焦燥感に駆られていた。
そこには、想い人によく思われたい見栄もあるだろう。それがあるにしても、しばらくぶりの焦燥感だ。俺はそれを意外な心地で受け止めて、千陽に負けぬように自主練へと邁進した。
向上心が触発されている。序列の上位に君臨したいという我欲があるわけではない。だが、魔術学園に進学して魔術師になるのであれば、自分の能力を高めたいという欲くらいは持ち合わせている。
そうでなければ、魔術学園に進学すらしなかっただろう。どれだけ劣っていようとも、魔術への探究心はあった。
その欲が、千陽と向き合うことで満たされている。恋心とは別の満足感も、確かに存在していた。当日の朝。寝起きとともに褌を締め直すほどには。
しかし、そうした俺のやる気に反比例するかのごとく、同室者のやる気はまったくないらしい。まず、朝から部屋にいなかった。二段ベッドの階段を上って覗き込んだが、見事にいなかった。朝帰りもよくあるが、今日ほど肩透かしを覚えることはない。
いや、確かに一百野からは了承を得られていないままだ。だから、約束をしただろうと責めることはできない。しかし、多少の期待はあった。序列には興味がないだろうが、魔術への興味はそれなりにある。人嫌いというわけでもないから、組むこと自体に忌避があるとは思えない。
だから、付け入る隙はあるのではないか。わずかなりとも、結んだ友好が作用するのではないか。そんな楽観視があったのだが、甘いものだったようだ。部屋を出る時間になっても、一百野が戻ってくることはなかった。
先に試験会場に行っている可能性もゼロではないが、さすがにそこまで楽観視はしない。三人だろうな、と確信しながら、俺は会場へと移動した。
地下ダンジョンが構えられている広場に揃う生徒数は多い。一年生全員だ。久しぶりに一堂に会する人数は慄くほどだった。それが、チームごとに固まって揃っている。クラスごとではないようで、規則性はなかった。
その中から、合流するつもりのなさそうな一百野を探し出せそうにもない。長身は目立つが、そのまま突っ立っているかは怪しいものだ。一百野は周囲に溶け込むのがいやに上手い。それでも諦め悪く目を走らせてはいた。
その中に、赤い姿が飛び込んでくる。俺の目はフィルターを手に入れたっきり戻っていないので、見つけたのは千陽だ。その発見の速度は我ながら気持ちが悪い。
だが、どちらにしても合流はしなくてはならないので、今だけはこの無駄な能力に感謝を捧げておく。もっと大人数になっても見つけられそうだな、という確信は見て見ぬ振りをしておいた。
「千陽」
そばに近寄って声をかけると、紫色がこちらを捉えて肩の力を抜く。
「おはよう、貴志君。見つかってよかった」
「こんなふうになるとは思わなかったな」
「初めてのことだから仕方ないでしょ」
そう言ったのは瀬尾で、俺はすぐに声のほうへ視線を落とした。
どうやら、瀬尾は千陽と一緒にいたらしい。水色のボブカットは毛頭、目に入っていなかった。
そんなことを言えば何が飛び出してくるか分からないので、涼しい顔をしておく。瀬尾のしたり顔は見透かしているような気がしたので、きっちりと無視しておいた。それが功を奏したのか。瀬尾はすぐにこちらへの興味をなくして視線を走らせる。
「一百野は? やっぱり来てないの?」
「部屋にも戻ってきてなかった。来てるかどうかは分かんないな」
ぐるっと視線を回してみるが、やはりあの背の高いイケメンは見当たらない。
肩を竦めると、瀬尾は呆れ顔になった。とはいえ、俺よりもよっぽど期待していなかったらしい。そして、千陽もそれは折り込み済みのことであるようだ。一百野が信用されている部分には問題しかない。
「じゃあ、三人で頑張ろうね」
「まぁ、火ノ浦さんがいれば大丈夫よね」
「貴志君もいるし、瀬尾さんだって頼りにしてるよ?」
千陽は俺たちを額縁通りの成績として受け止めていなかった。それは嬉しいことだろう。
だが、そうは言っても、瀬尾の能力値はそれほど高いわけではない。現状学んでいることは一通りこなせるが、その威力は実働に耐えうるか否かのギリギリの値でしかなかった。平均以下で見るところもない。これがEクラスの実力と言ったところだろう。
そして、俺は強化一点突破。役に立たないわけではないだろうが、強火力の炎を使う千陽の頼りになるには力が足りない。いくら序列にこだわらないといっても、現実が見えていないわけではなかった。
千陽には何の屈託もないだろうが、瀬尾には苦笑いの発言だったらしい。どこか空々しい笑いが滲んでいた。その中身を即座に精査できたわけではないだろう。だが、空々しい笑いを流せるほど、千陽の感性は鈍くない。表情が曇った。
「まぁ、やるしかないからな。一百野の分をカバーするには魔力不足だけど、どうにかなるだろ。瀬尾、準備できてるのか?」
「いつも通りだよ」
二人がこれ以上深入りする前に、場を濁す。ここで衝突してほしくはない。瀬尾がさらりとこちらの話に乗ってくれて助かった。
千陽は未だ何か言いたそうだったが、俺の一瞥で飲み込んでくれたようだ。今日までの時間に育んできた信頼関係は、それなりに頼りになるものらしい。色々とやらかしたことが無駄にならずに済んでよかった。
「揃っているか」
ざわざわとした空間に、大音声が響き渡る。拡張魔術でも使っているらしい教師の声は、試験の始まりを通知する挨拶だった。
ルールは試験内容を伝えたときと変わりがない。妨害については、一切口にされなかった。明確に禁止されないことは、起こりえると考えるのが通例だ。緊迫した周囲の気配を見れば、そのつもりで動くことが求められる。それすらも、成績として反映されるかもしれない。
魔術具の鏡を使って、教師の監視が行われる。ただし、それはあくまでも観察に過ぎない。よほどの事件や事故が起こらない限りは不干渉を貫かれる。そうした説明がされた後、
「それでは試験を開始する」
と、淡々とした開始の合図がもたらされた。
あまりの端的さに、一瞬不意を突かれる。それから、生徒たちが一斉に動き始めた。先陣を切ったのは、Aクラスの生徒たちだ。その中に、金髪のポニーテールが見えたような気がした。それは、夕貴なら抜け目なく動くだろうという信頼から見つけられたものであるかもしれない。
俺たちもすぐにスタートを切る。周囲が四人で組んでいるものだから、悪目立ちしているような気もした。
それは、同じクラスで組んでいるチームの中に紛れているから分かる、メンバーの不釣り合いさに対するものであるのかもしれない。
千陽が絡まれているところに遭遇したのは、あれきり一度もなかった。だが、同じような目を寄越す生徒は随所で見受けられる。それが今、自分たちを取り囲んでいた。
もしかすると、やっかみを抱かれて妨害に遭う確率が上がるかもしれない。考えたくないことだが、あのときの三人の好戦的な態度を覚えている。あれが実技で寄越されるのならば、腕尽くも否定しきれない。鞭を打たれたような気持ちになる。
守らなければならないというほど、か弱い存在ではない。むしろ、うちの戦力は千陽だ。俺は防御でしか役に立てない。
それでも、守らねばならないと気持ちが引き締まる。もちろん、それは瀬尾も含んでいた。むしろ、千陽に不相応とみれば、狙われるのは俺たちだろう。油断するわけにはいかない。
「地下三階まで降りるのにトラップありってのは、一年生にしてはまぁまぁ厳しいよね」
「トラップなんてなくても、大変なものだもんね。下に降りるほど、魔獣が出るってのが自然ダンジョンだけど、それはないんだよね?」
「聞いてないな……魔生植物くらいはいるかもしれないが」
「触手は勘弁だなぁ」
「火ノ浦さんは植物に有利でしょ?」
「そっか! 燃やすから任せてね」
三々五々に散った生徒たちを横目に、俺たちもひとつの道を進む。先導しているのは千陽だ。事前に作戦会議をしたわけでも何でもないが、そうあるべきとばかりに列を形成していた。
最後尾が俺だ。とはいえ、はっきりと一列になっているわけではない。それとない前後関係があるというだけの話だ。道は千陽が選んでいる。俺も瀬尾も文句を言わないものだから、それが通っているだけだった。
そして、その道は比較的安全な道だったようだ。
それとも、注意喚起は厳重だったが、一年生だという配慮が十二分にされているのか。薄暗いという悪環境以外は、今のところ不備はなかった。しかし、俺たちは地下に潜っているのだ。進めば進むほど、暗さは濃くなっていく。
「明かりが欲しくなる……暗くてよく見えなくなってきたわ」
ついぞ我慢できなくなった呟きから、瀬尾の居場所を確認する始末だ。気がつけば、距離が近付いて団子のようにまとまっていた。
「……ちょっと待って」
ダンジョン内での制止に理由を問う愚行は犯さない。千陽の声に足を止めると、微妙に身体がぶつかった。柔軟なものであった気がするのは考えない。少なくとも、今はそんな感情に翻弄されている場合ではないのだから。
千陽も接触に慌てることはなく、手のひらを胸の前でお椀を持つように構えていた。その中心に、ゆっくりと魔力が集まっていく。そのほの暖かな色味は、炎の揺らぎとなって形を作る。そうして野球ボールほどの火球ができあがった。
その明かりに、自分たちの姿が浮かび上がる。思った以上に近付いていた千陽の表情は、安心と自慢の狭間のようなものだった。
「すごいね、火ノ浦さん。これでバッチリじゃん! 明かりも確保できたし、進もう」
瀬尾は千陽が魔術に不安を抱えていることを詳細には知らない。あっけらかんと言ってのけると、千陽の明かりが届く範囲で歩を進めようとする。
千陽は瀬尾の態度を気にすることなく、笑顔でそれに追従した。光が届かなくならないうちにそれに追いつくと、千陽がこちらを見上げてはにかむ。瀬尾が先導する形になったので、前後関係に変化が生じた。その笑みは、瀬尾の目を盗んだように俺だけに向けられたものだ。
ズルいよなぁ。
こんな真似をされてしまっては、俺の心はあっけなく千陽の手中に収められてしまう。試験の最中だろうが関係ない。ぎゅっと握りこまれた心臓の痛みに耐えながら、その背をとんと撫でた。
言葉なく褒める別の方法が思い浮かばなかった結果だが、千陽は更に表情を綻ばすものだから満足する。小さく頷き合って、二人だけの小さな密談は終わった。千陽もそう長々と気を抜くつもりはないらしい。
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