第二話
「な、なに」
「嬉しい。仲良くしてね」
会話の内容は変わりがない。だが、熱量が段違いだし、周囲からの注目度も違う。
試合のときは千陽もそこまで注目を浴びていなかったし、浴びていたのかもしれずとも、夕貴がすべてをかっ攫っていっていた。けれど、今そんな規格外の女はここにいない。千陽と手を握り合っている男を暴こうとするかのような目が俺に向けられていた。
「それでね」
千陽は気がついていないのか。それとも、気がついたうえで煩わしいものを見限っているのか。どちらかは分からないけれど、悠然と口を運ぶ。
手を払いのけてしまいたかったが、それをすればたった今行った失敗の二の舞いだ。それが分かるから、どれだけ居心地の悪い視線に晒されても身動きは取れなかった。
「強化って、炎でもできるかな?」
とても真剣な話をする体勢ではない。少なくとも、俺はこんな状態で女子と話していられるほど図太くはなかった。けれど、千陽はちっともふざけていなくて、真っ当に話をしてくる。
せめて手を離してくれないものか。そうした主張が脳内をいっぱいにしていた。
「……どう、だろう? 俺は土属性だから、炎のことはあんまり分からないかな?」
「でも、強化って属性は関係ないんだよね?」
「それはそう。魔力を練って壁を作る感覚だから……炎だとカーテンを作って防御するって感じじゃないか? 千陽は波みたいなのを作れるだろ? あんな感じで魔力を練って、身体を覆うことでバリアみたいに使うのを強化って呼んでる」
状況を抜け出したい。けれど、強化は俺の得意分野だ。自分がそこにしか力を注げないと見出してから、飽きずに向き合ってきた。聞かれれば、考えるまでもなく口が回るほどには身についている。
千陽はふんふんと興味深そうに相槌を打っていた。それから、俺の手を離して薄い炎のカーテンを作り出す。それをバリアのように手のひらに沿わせようと動かした。
「ちょっと、待った」
「え?」
さっきまで離して欲しいと願っていたし、離れていってほっともした。しかし、目の前で行われていることを看過することはできない。気がついたときには、その手首を握り締めていた。きょとんとした顔がこちらを仰ぎ見る。
「火傷、しないか?」
炎魔術は、取扱注意だった。他の魔術よりも、ずっと術者の身に危険が迫る。千陽はその術者であるのだから、そんなことは分かっているはずだ。だから、大丈夫なのかもしれない。だが、目の前のことを見過ごすのは難しかった。
「あ、そっか。火力いるよね……? じゃあ、ダメかも」
千陽はさらっと言って、炎のカーテンを消す。なんて簡単に、と思いながら、俺はようやく千陽との接触を断った。
「君は結構、無謀をするんだな」
「やってみたいじゃん」
「強化必要か? 今のができるなら、カーテンをそのまま盾として使うほうがいいだろ」
「だって、それじゃ片手が塞がっちゃうでしょ」
「もう一方があれば、炎は難なく出せるだろ? 俺とやってたときは、片手だった」
「それは模擬で威力を抑えていたからできたけど、火力を上げたら両手じゃないと支えきれないの」
「片手でも十分な火力だったが?」
本気を出せばどれほどの火力が出るのか。そして、それを使おうとする心意気はどこから来るのか。
確かに、王宮魔術師は国を守るための戦闘に投下されることもある。戦闘力は必要なもので、だからこそ模擬試合のテストがあるわけだ。千陽がそれに備えて魔術の使い方を考えているのはおかしくはない。
しかし、それにしたって、火力の疑問はある。
「そ、そうかなぁ?」
褒めた、というよりは事実を伝えた。むしろ、あれ以上とは? と気持ち的には引いていたほどだ。
だと言うのに、千陽は照れくさそうに笑う。あれだけ囲まれて持て囃されていただろうに、というのは言ってはならないことなのだろう。
「そうだよ。負けた相手にそういうこと言わせんなよ」
「あ、ごめん。気にした?」
すぐにしょぼんと垂れた眉に調子を崩される。そこまで本気で言ったつもりはまったくない。真っ正直に受け止められて、たじたじになってしまった。
「軽口だよ」
「……そっかぁ。じゃあ」
んん、と咳払いをして、したり顔を浮かべた千陽が、ぐいっと下から見上げてきた。距離が縮められて、また踵を浮かせているのが分かる。引きそうになる足は、それでも後退するだけの勇気もなかった。
「負けた相手じゃなきゃ、威力の具合を思い知らないじゃない?」
軽口に乗ってくれてる気安さは、とびきりのいい顔だ。自らやりだしておいてなんだが、どういう状況なんだと省みたくなった。
「あんまりだな」
「ふふっ、すごかったでしょ?」
「擦過傷ができるくらいにはな」
「え、ちょっと、大丈夫だったの?」
冗談が転がされてマジの顔になる。どこ? と口走りながら、その指先が胸元につけられた。直接心臓を殴打されたかのような衝撃に、身が揺れる。
「だ、大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて千陽」
胸に突かれた手首を捕まえてしまったのは、それ以上の侵攻を阻みたかったからだ。それ以上もそれ以下もない。
だが、そうして触れることで、千陽も今の状態に気がついてしまったらしい。男の胸板に縋るようになっていることには思うところがあるようで、まろい頬に桜色が滲んだ。
まずい、と急に手を離したことのほうがまずかったのだろう。千陽は自分を支えていた俺の力を失って、バランスを崩した。そして、そのままこちら側に倒れてくる。先の出来事が予測できて、汗が噴き出た。だからと言って、避けるわけにはいかない。
俺は一歩も引くことなく、千陽の身体を支えた。はっきりと抱き合う形になる。その瞬間、びょんとバネのように跳ね上がった千陽が逃げていく。耳から首筋までが真っ赤に染まっていて、紅色の髪の中に埋まってしまったかのような一体感があった。
「ご、ごめん。わたし、あの」
そこまで照れられてしまうと、こちらまでテンパる。
「大丈夫。大丈夫、です。千陽こそ、大丈夫か? 足、捻ったりしてない?」
「うんうん、大丈夫。ありがとう、貴志君」
「……おう」
自分たちで陥っておいてなんだが、自分たちを取り巻く空気がいたたまれない。
窺うだけで済んでいた周囲の視線は、今や突き刺すようなものになっている。そりゃなぁ、と目先で赤面する千陽を視界の隅に置いた。
片手で頬を押さえながら、ロングの横髪を梳くように触れている。どこからどう見ても可愛い。ここに至って、千陽の注目度が単に魔術能力値が高いからってわけではないことに気がつく。遅ればせに過ぎて、頭を抱えそうになってしまった。
今すぐ逃げ出したくてたまらないが、そんなことができるわけない。勇気を出したなんて暴露してくれた千陽を置いていけるわけもなかった。そうでなくとも、逃げ出す根性はなかったが。
かといって、どんな言葉をかけて事態を動かせばいいのかも分からない。意気地なくも、俺はその場に立ち尽くすことしかできなかった。
甘酸っぱい空気に胸が騒ぐ。そこに、どうにかしなければという焦燥が加わって、心臓は地響きのような音を立てていた。それでも、頭はぐらぐらと茹だるばかりで、まともな対応ができない。
どれくらいそうしていたのか。本当にどうしようもないことだが、空気を壊してくれたのは講義終了のチャイムだった。
我に返った千陽と、わちゃわちゃというかへどもどというか。何ともあやふやした言葉にもなっていないような挨拶をして、それぞれ次の講義へと別れた。
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