第二話

 結局、一百野の案をそのまま取り入れて、ありふれた木の棒には風の増幅魔術陣を組み込んだ。対峙する彼女は、その棒に一驚しているようではあったが、油断するほど呑気な相手ではなかった。

 ふぅーと息を吐き出して、呼吸を整える。

 対峙している女の子は、真っ赤だ。ハーフアップにしている紅のロングヘアが揺れて、身体を包んでいるかのように真っ赤だ。

 そして、彼女はその印象と齟齬のない炎魔術を放出した。

 次々にこちらへ放たれる炎の玉を、体術と棒だけで捌く。炎を波のように逃げ場なく放つことも、この子には可能だろう。ただ、それが俺への攻撃過多になると分かっているから使わないに過ぎない。

 使った瞬間に、試合は中断されるはずだ。だから、彼女は使わない。そうして、実力を抑制しながら投げ放たれる炎の玉は、それでも確かな火力を持っていた。

 強化を施した木の棒が、傷だらけになっていく。それと同時に、跳ね返せる威力も落ちて、いくつかの玉や火の粉が身に降り注いだ。じゅっと制服が焼ける音がする。強化した身体には痛みもなければ、跡も残らない。それでも、現実に迫ってくるのだから、攻撃を受けている重みはあった。

 負けている気分が増す。実際に打ち負けているので、気分なんてものではないのだが。それでも、押し負けるには至らず、しばらくの間、撃ち合っていた。

 こちらからの攻撃は、すぐに炎の盾で防がれてしまう。仕込んだ風の魔術だって、炎の魔術師相手では意味がない。利用したところで、相手の補助になるだけだ。泥臭く体術で近付いて張り合うしかなかった。

 その均衡が崩れたのは、それからすぐのことだ。


「ぐっ」


 波にはなりきらない。しかし、それにも似た巨大な炎の塊が迫り来る。躱せない。瞬時に下した観念に、木の棒を胸の前に構えた。多量の魔力を注ぎ込んで、強化の盾を張る。

 と言っても、魔術の盾は実物が顕在するわけじゃない。自分の魔力が自分の身体の周りに膜のように展開される。盾と言うよりは鎧のようなものだ。その鎧に全力で魔力を注ぐ。

 波打ってきた炎の衝撃に身を焦がした。焼かれたような痛みはあったが、それはあくまでも視覚情報によるものだったようだ。

 その衝撃に転がされて、受け身を取る。呻き声も出ずに、息の塊だけが肺から押し出された。こほこほと咳き込んでいる間に、一本と試合終了を告げる教師の声が響く。

 取ったはずの受け身ではあったが、すべてを受けてはいられなかったようだ。そのままパタリと倒れ込んで、酸素を取り込む。試合後にこうなる生徒は少なくない。俺の前でも同じようになっている生徒がいたし、教師たちは慌てた様子もなかった。落ち着くまで放っておいてくれるのはありがたい。

 俺は大の字になって休息を取った。そこに近付いてくる足音がある。大きな音ではない。むしろ、体重を感じさせないような静々としたものだ。しかし、その音は明確に近付いてきている。

 目を向けると同時に、手のひらが差し出されていた。


「大丈夫?」


 見下ろしていたのは、対戦相手だ。

 火ノ浦千陽ひのうら ちはる。炎の魔術師に相応しい名前の子だった。

 俺はのろのろと手を持ち上げて、その手のひらに触れた。炎の印象が強過ぎたせいか。指先の体温を冷たく感じる。柔らくて細い。それでも、魔術師になるために学園に通っている女性だ。身長差もものともせずに、上半身を引き上げられた。


「サンキュ」

「ううん。火傷、してない? 大丈夫?」


 首を傾げながら、隣に膝をつかれる。繋がれていた手をそのまま検分されるように扱われて、腕まで確認された。近さに驚愕して固まっている間に指先が頬に触れてきて、肩が震えた。


「わ、」

「ごめん! どっか痛かった?」


 慌てた顔で覗き込んでくる紫色の瞳が揺れている。心配は嬉しいが、バグった距離感には困惑しかない。

 ぐっと背を反らせると、紫色がぱちぱちと光を瞬く。距離感などまったく気にしていないようだった。俺だって撃ち合っている間は気にしなかったが、試合が終わればそうも言っていられない。


「平気だ」

「本当に?」


 念押しされて、顎を引く。衝撃はあるし、身体の痛みがないわけではない。だが、火傷にはなっていないし、怪我と言うよりは消耗くらいのものだ。

 何の疑問もなく頷いたが、火ノ浦さんは目を見張っている。まじまじと凝視されてしまい、間が悪い。今すぐ立ち上がって逃げ出したくなった。後ろ手についた腕に力がこもる。


「塔山君、強いんだね」

「いや、そんなことは」


 負けた相手だ。あてつけかとも思うが、火ノ浦さんはごく真面目に感想戦をしているつもりらしい。苦笑が零れ落ちた。


「ひとつもまともに当たってなかったってことでしょ? 悔しいなぁ」

「そんなことないよ。当たってなきゃ倒れてないし」

「……最後のは、ちょっと、卑怯っていうか、アレだったから」


 すっと視線を逸らされる。

 やはり、最後のは模擬で使うにはギリギリの力押しだったのだろう。自覚があるどころか、反省までしているのは人がいい。教師も一本を認めているし、勝てばよかろうと何食わぬ顔をしていてもバチは当たらないはずだ。


「炎魔術が見事なんだな」

「これしかできないの。適正なくって」


 困ったように眉を下げて笑う。

 多かれ少なかれ、魔術師とは得手不得手を併せ持っているものだ。これだけの炎魔術が使えるのならば誇っていい。まぁ、こればっかりは外野が何を言ったところで気にすることを止められるものではないだろうが。

 俺だって、強化しかできない自分をあまねく認めているかと言われると、自信はない。


「素晴らしかったよ」

「……ありがとう」


 今、俺が言って説得力があるのは、これくらいだ。詳しく知らない相手に、下手な励ましなどできるものではなかった。魔術とは、それだけ複雑怪奇に入り組んでいるものだ。微かでも笑みを取り戻す手伝いができたのならば、それだけでも上出来だった。


「うおおおお」

「すっご……」

「入学試験で主席だった子でしょ?」

「代表挨拶してた塔山夕貴とうやま ゆうきちゃんだろ?」

「……塔山?」


 火ノ浦さんとの会話のテンポを計られていたのか。頃合いを見計らったように上がった歓声に、意識が引き寄せられる。

 その中心に立っているのは、翡翠の瞳に金髪のポニーテール。その髪がそよいでいるのは、その子の魔術適正が風だからだ。かまいたちは殺傷力が高いだろうから、別のものを使ったのか。周囲には残り香のように風が舞っていた。

 その風音に混ざるように観衆が沸いている。そして、その中のひとつを拾ったらしい火ノ浦さんが、その名を復唱してこちらを向いた。


「妹だよ」


 別に隠してはいない。だからって、大っぴらにもしていないが、尋ねられれば答える。どれだけ驚かれることになろうとも、真実は曲がらないのだからしょうがない。


「似てないってよく言われる」


 先手を打って苦笑いすると、火ノ浦さんも笑みで受け取ってくれた。


「すごいんだね、妹さん」

「あれは天才だからな」


 自分の妹。それも、双子の妹を賞賛するのはむず痒い。しかし、躊躇うほうがよほど惨めなことを俺は知っている。

 俺たちは徹頭徹尾似ていない。黄土色と金色の髪も、栗色と翡翠の瞳も、性別は無論、その魔術の能力までも。すべて丸ごとだ。そんな妹に変なライバル意識を燃やしても、兄としての矜持がへし折られるだけに過ぎない。気後れしているつもりもないが、認めるべくは認めていた。


「天才かぁ」

「火ノ浦さんもでしょ」

「私はBクラスだもん。天才じゃないよ。あと、千陽でいい」

「AとBの差は微々たるものだし、あくまでも一般的な能力値の差でしかないじゃん。あれだけ炎特化してれば、天才の素質あると思うけど。俺も貴志きしでいいよ。塔山だと妹と被るし」

「そう言ってもらえるのはとっても嬉しいけど、自分ではなかなかそう思えるものじゃないんだよねぇ。色々あるし。じゃあ、貴志君ね。よろしく」

「それを言われちゃどうしようもないな。こちらこそ、よろしく。千陽さん」

「さんはいーよ」

「じゃあ、千陽?」

「うん。よろしく」


 何をよろしくするんだろう、と頭の片隅でぼんやり思っていた。

 しかし、試合して、こうして会話している。仲良くしようと本当に思っているかはさておき、同学年であるのだから挨拶を交わすことくらいはあるだろう。そんなふうにぽやぽやとした思考のまま、俺は千陽との初対面を終えた。

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